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突如過去が全部どうでも良くなった話。

どこも行ってないけど、
充実したGWでした。
(どのように?はInstagramに)

さて、このnote。
元はと言えば、40代の激動の10年を
記しておくために始めたのですが、
これまで諸事情で色々制約があり、
具体的に書けないことが多かった。
かといって言葉を選ぶと抽象的になるし
なんて考えながら別のことを書いてるうちに

急に過去なんてどうでも良くなった、笑
(というか過去に飽きた、自分が)

"明らめる"
という作業は、
台湾から帰国してから
意識してやってきた作業。

何故ならその時は
それをしないと前に進めなかったから。

明らめるには二つの意味がある。

1 事情や理由を明らかにする、はっきりさせる。
2 心を明るく楽しくする、気持ちを晴れやかにする。

そして"明らめる"とは"諦める"の仏教用語でもある。

諦めるとは断念するということではなく、
事実を明らかに見るということであり、
現実を直視し、
それをありのままに受け入れるということ

これって簡単なようで凄く難しくて
人は如何に自分が見たいように見て、
思いたいように思うのかを実感しました。
(人って自分ね)
もちろん最初はそれしか無いし、
それでいいんだと思う。

心の傷って切り傷と同じで、
その傷が深ければ深いほど
最初は激しい痛みが続いて
七転八倒する。

だけどやがて少しずつ痛みが和らぎ
かさぶたになって
でもかさぶた剥げてまた血が出て
それを何度か繰り返して
何事もなかったかのように治癒してく。

時間をかけて感情を取り除き、
一旦吐き出すことで客観的に
現実を直視した結果、
心が晴れて明るくなった

って感じかな。

完全に傷が治ったとしても
そこを怪我した記憶は残るけど
その記憶を自分のトラウマとしてではなく
誰かが同じような怪我した時に
寄り添える新しい能力を手に入れた
と思えば、痛い過去じゃなくなるよね
って思えたことも大きいかも。

あともうひとつ。

汝の敵を愛せよ。

もちろん私はキリストではないので
そんな寛大は持ち合わせてない。
けれど、憎むことをやめることは出来る。

自分が望んでいない誰かの言動や行動に、
がっかりしたりネガティヴな感情を持つ
は誰でも出来る簡単なこと。
もちろん憎むなんて脳の大好物。
でも、もしかしたらその言葉も行動も
自分が言わせてさせてしまったことかも
と思えば、向き合うべきはいつも自分。

それに気づくために、明らめてきたのかな。
だとしたらもういいなー、
とふとした瞬間に思ったら
急に過去に割く時間が勿体無くなった。笑

逆にビジネス(案に仕事ではなくって意味)は
今ある事実ばーっかりみて、
真実を見れてなかったなって思います。
それじゃどんなに事業計画立てたって無理。

一回全部腹落ちさせて
改めて俯瞰で見れば
今やるべきことが見えてきて
未来のワクワクにしか興味がなった。

連休中に、友人と久しぶりに長電話したり
感性を高めるソロ活に勤しんだりも
良かったのかも
(ソロ活はまた別記事で)

そういう意味で、
とーってもいいGWでした。

3日に一回、走ってます。

#自己肯定感
#自分のご機嫌は自分で取ろう

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