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やりたいこと

歳をとるに従って、忘れっぽくなってきたので、何をするにも積極的にメモをとるようにしている。

朝起きたら、今日やることを書き出す。昨日のメモを見て、やり残したことがあれば付箋にして今日のメモに貼る。

付箋はものすごく溜まっていくが、そんなことは気にしない。溜まっていくということは、やらなくても良かったことと判断できるから。

例えば毎日のトイレ掃除をやらないことはない。お出掛けが重なったりして夜になったとしても、そういうことはちゃんとやってから寝る。なので伏せんになって残ることはない。

やらなくてはならないこととやりたいことは違うので、残ってくるのはだいたい趣味関係だ。カバンを作るとか、セーターを編むとか、室内のしつらいを変える(模様替え)とか…やってもやらなくてもいいことが残ってくる。

そして、いつか「やりたいこと」ではなくなって、付箋は外される。


メモにしているから目で見えるが、してなかったらやりたかったと思ったことさえ忘れてしまう。そこで、趣味系の付箋は手帳に移る。

おかげで、私の手帳はパンパン。なぜか満足感がある。たぶん死ぬまで「やりたいこと」に困らない。けっこうなことだ。


自分がやりたいことはけっこうな頻度でそうやって後回しにしていくのに、身近人のやりたいことがずっと続いていると錯覚してしまうのは良くない癖かもしれない。

何年も前に「起業したい」と言ってた友達が途中でやめたのに気づかず、「準備はどう?」などと聞いて「いや、もう起業は考えてない」などという言葉を引き出してしまう。

その人が興味をなくした理由まで、根掘り葉掘り聞いたりはしないが、もしかするともう触れてほしくない夢だったかもしれない。と反省することもある。

自分自身の資格取得などでもそれはある。不意に思いついて資格を取ろうと思っても、試験までにめんどくさくなったりする。そのときはなんとなくハイテンションで目標に向かって走っているから、周囲にも「がんばるわー」とか言ってるのだが、専業主婦などしてると、資格の必要なものなどなにもなく「あってもなくてもいい資格」に興味がなくなれば努力はそんなに続かない。

「その資格(の勉強)に興味がなくなった」とも言えず、ずっとあとになって「あの資格、どうなった?」と聞かれて「いやぁ、興味がなくなった」と答えて微妙な顔をされる。

ただの遊びでも、一昔前とはやりたいことが違ってきているし、またやりたいなぁと思うこともあれば、身体的に無理を感じてやらなくなるものもある。もうパラグライダーやダイビングはできない。そういえば、ゴルフクラブを断捨離したのはけっこう前だった。


いろんなことをやって、簡単に飽きてしまってやらなくなるというのとはチョッと違う。飽きるほどやりこんだものは、細々とでも続いている。単純に「興味がなくなった」のだ。

そんな興味のなくなった残骸を握りしめて、「やりたいことはいっぱいある」と言っても、あまり意味はないかもしれない。それでも「いつかやりたい」と思っていれば、そのうち興味が出てくるかもしれない。そう思って付箋を貯めている。


やりたいことは残骸になってしまう前に早めに片付けた方がいいと思う。何事にも旬はある。達成感が全然違う。




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