二か月経過して思うこと
noteを始めて2か月になる。
子どものことと身の回りのことを一日おきに書こうと決めて、それだけはなんとか達成できている気がする。
noteを書く理由は過去の自分整理のつもりだったけど、現在の感情の整理にもなることに最近気づいた。
すごく怒ったり、悲しかったり、うれしかったり、楽しかったことを文字にすることで冷静に自分が見られる。下書きで保存して、時間をおいて読み返すと赤面。反射的に削除するということは結構ある。
別に誰に向けて書いてるわけでもないしと、好き放題書いてきたが、あとから読んで赤面して削除するくらいだから「アウトプットすることの意味を今後は意識する必要がある」と考えている自分がいるんだろうと。でもまだ意識したくないと思う自分の方が強い。
この記事の対象は誰になるのかとか、表現方法とか読みやすさとか。実はそういうものがめんどくさくて、あえて意識したくなくて新しく始めたのだが、何かを書くということはそこに何の意図がなくても「発信したことに対して責任を持つ」を意識せずにはいられなくなるものだなぁと感じた。
最近はnoteを見る時間が予定より多くなっているので、自制しなくちゃと思っている。予定ではnote記事を書くこと、フォローしている人の記事を読むこと「全部で1時間」というはずだったのが、最近では暇に任せて読んでしまっている。
おかげで読書量が1/3くらいに減ってしまって、現状では一週間に一冊くらいしか進まない。アプリでnoteを読むというのは、お手軽すぎてよくないのかもしれない。2か月を区切りに、noteアプリをアンインストールして起動はPCと決めることにした。これで時間的な問題は多少ましになると思われる。どうしてこんなに時間がとられるのかといえば、面白いからに他ならないのだけれど。
何かを表現するというときには、大きく分けて二つのタイプがあると思う。理論的に解析していく人と感情的に訴える人だ。
記事によってその表現方法は異なるのだが、一人の人は概ねどんな記事でも同じような表現をするものだなぁと思う。
感情的な表現を好む人の文章はきれいで、色が見えるような描写や空気の匂いを感じるような言葉使いがあって、まるで小説を読んでいるような気分になる。
理論的に追及する人は、イメージとしては書庫。様々な知識や情報の中から、その時の状況にピッタリ合うと思われるものをチョイスして並べてある。個人の考察があるひともいれば、ない人もいる。
自分はどっちのタイプかなと考えたときに、どちらでもないなぁと思う。それほど下調べしたりすることもなく書きっぱなしで、特別な「○○について表現したい」などというものがないのが原因だろう。気分で書いてしまう。もちろん情緒的できれいな文章が書けているわけでもない。中途半端だ。
「私、凡庸の人だしそれでいい」がベースにあるのだからしょうがないけれど、なにか「表現したいもの」を持っている人というのはうらやましく眩しく感じる。
だからといって「表現したいもの」を無理やり作る必要などないし、それができたときに表現していけばいい。なんて思っているから、進歩がないのかもしれない。。。
私自身が読み続けていこうと思ってフォローするのは、どちらかといえば「理論的な文章」の方になる。想像力の少なめな私でも分かりやすいからだ。それで感動するわけでもないから、目に入って突然ショックに襲われることもないし情緒的に安心。実生活で役に立つことも多い。
じゃあ、知りたいことをググって読んでいたらいいんじゃないの?と自分でも思うのだが、それだけでは多様性に欠ける気がするし、価値観が偏るような不安もある。
ググったときに出てくるのはだいたいが「ググったときに出てくる仕様を用いている文章」。それは商業的な要素を含むことが多いので、好んで見たいと思うものではない。十数ページもめくって自分の読みたい文章を探すのは億劫だ。簡単にそういう比較ができるほうがいい。
たとえ理論的に組み立てられた文章で、同じ意味が書いてあっても、なにかを表現するという作業には、根本的な考え方の他に視座が影響する。視座が異なれば同じことが全く違う「表現」になってしまうということが面白い。いろんな人の考えや表現やその背景を知ってみたいと思う。
わかっている。欲張りだ。その我欲を満たしてくれるのがnoteという存在だったりする。しかも広告がないのはうれしい。
あと、経験談の記事も楽しい。生の経験を追体験できるというのは、表現する人がいてはじめて可能になる。その経験をした人と同じ人生を歩んでいるわけではないので、自分が読んでるだけですでに多角化されているだろうし、コメントなどを読んでいるとほんとにいろんな人がいるんだなぁと思う。
そんなこんなでnoteにとられる時間が膨大になってしまうのだ。PCにすることで今後のIN時間は大幅に減るだろう。
まだ巡り会ってないだけで、きっと素晴らしい文章を書く人もあるのだろう。私が知りたいと思っていることを毎日更新している人もあるかもしれない。そういう人に出会う時間が減ることは惜しい。でもそれは巡り会ってないという時点で、既に縁がないのだと諦めることにした。
次の目標は3か月目まで続けること。かな…
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