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狭い日本、そんなに急いでどこへいく

このコピーが何に使われていたのか、そんなことはすっかり忘れてしまったが、いまだによく口にするコピーではある。

だいたいは渋滞に巻き込まれたときだ。何もせずにただ車がノロノロと進むのを待つのは、それなりに苦痛だ。

時間にはかなり余裕をもって行動するようにしているので、たかが渋滞で遅刻してとんでもない失敗をやらかすということは、若い時ならいざ知らず、今はほぼないと言える。

それでも何かとてつもない無駄をしているような気になる。

冷静に考えてみれば、私が渋滞に巻き込まれていたところで、誰かにご迷惑をおかけすることもなければ、世の中がひっくり返るようなことになろうはずもない。ただ、一人の主婦の個人的な時間が少し減るだけのことだ。

その個人的な時間で、なにかをやっているというわけでもなく、その程度の時間ならいつでも捻出できることも理解している。それでも「渋滞に巻き込まれた」ということは、何か大きな損をしたような気になる。

そんなときに、「狭い日本、そんなに急いでどこへいく」と自分に言う。そして30年前のことを思い出す。


まだ20代前半くらいの時、友人2人とスキーに行って、帰りに温泉に寄って帰ろうということになった。

今ほど日帰り温泉が定着していたわけではなかったので、宿泊せずに温泉だけ使える宿など数えるほどしかなく、スキーの帰りのレジャー客が考えることはほぼ同じで、冷えた体を暖めたい一念で多くの人が温泉に向かった。そして通勤時間と重なり渋滞に巻き込まれる。

私は乗せてもらっている立場だったし、三人でしょうもないことを喋っているのは楽しかったし、渋滞だからといってそれほど苦痛ではなかったが、運転手は疲れているようだった。

一生懸命地図を見ていた助手席の友人が「こっちに裏道があるみたい」と、渋滞から離脱して裏道に入ることを提案した。

彼も、別に渋滞が嫌だったというわけではなく、たぶん運転手に配慮したのだと思う。

それを聞いた運転手は「いや、結局正道を行った方が疲れも時間も少なくてすむから」と、その提案を断った。そして「狭い日本、そんなに急いでどこへいく」と呟いた。

私たちはなんとなくシンとして、その言葉を聞いたのだが、「なんて奥深いんだろう」とそのコピーについてそのあと二時間、会話が盛り上がった。そうこうしてるうちに渋滞を抜け、お風呂に入り、美味しいご飯をいただいて、それぞれの家に帰ったのは深夜だった。

渋滞に巻き込まれると、あの夜を思い出し、「狭い日本、そんなに急いでどこへいく」というコピーを呟きながら、そのときに話していた「正道を行くことの正しさ」について思いを馳せる。


バブル期(1986年~1991年)に20代前半を過ごした私たちは、その恩恵を十分に味わっていた。努力すれば夢はなんでも叶うと本気で信じていたし、お金は回るものだから使えば使うほど大きくなって返ってくると思っていた。実際にそれらは身近であり得た現象だったし、別に珍しいことでもなんでもなかった。

そんな私たちが「他人と違うこと(裏道をいく)ことをしてまで、苦労して時間もかかって、たどり着けるかどうかわからないこと」を忌避したのは、今から思えば当たり前だし、その当時はそれでよかった。

いい大学を出ていい会社に入る。上司はキツイけれどもそれに耐えれば、全体としての待遇は悪くない。将来は明るいし、やりたいことは余暇にやればいいし、とりあえず正道をいっとけば間違いはない。

その話に皆で賛同し「だから高校時代は頑張ったよね」「お互いそこそこのレールに乗れてよかった」などという話も混ざりつつ、「裏道をいく辛さ」について話をした。

その道は狭いだろう。街灯もないかもしれない。真っ暗な細い山道を走っていて、何らかのアクシデントがあれば、そこで詰んでしまう。

そういうデンジャラスな体験を好むタイプの人ならいいかもしれないし、男だけならまだ大丈夫だろう。でも、女の子は何かと大変(差別的な意味ではなく)だから「お前はどんなときも正道をいけ」と言われた。

当時の女の子の正道といえば「専業主婦」である。より良い条件で結婚し、夫を助け、家を守り、次世代に繋いでいく。キャリアウーマンと呼ばれていた「働き続ける女性」はまだ少なかったので、そちらが「裏道をいく」という状態だった。

まんまと専業主婦になり、当時の正道を黙々と歩いているわけだが、もはや「専業」は少なくなり主婦とはいえどパートなどで働く人がほとんどだ。

それを悪いとも、専業主婦が悪いとも思わないが、少なくとも「正道」ではなくなったなぁと思う。そもそも、もはや正道など存在しないではないか。

大きな道をいくのが良いというのなら、それはアリだろう。でもその大きな道は時の流れと共に、誰も通らない田舎道になっていたり、すぐそばに高速道路が通ったりして、知らないうちに「楽で安全な道」ではなくなっている感じ。どこにも「正しい道」などありはしない。

そんなことに気づかずに「正道」に乗ろう、その道から外れまいと頑張っていたなぁと、若かった日々を思う。

でも、それでよかったとも思う。それがたぶん、自分がいいと信じて選んだ道だから。

私はこれからも自分が正しいと思った道をゆっくりと歩いていくのだ。

狭い日本、そんなに急いでどこへいく。

ほんとにいいコピーだと思う。

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