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さぶくん

わたしが子供の頃はどこの家も大体子供が2,3人いるのが常で、小学校のクラスも各学年ごと2クラスあり、40人くらいの児童が狭い教室にひしめき合っていたと思う。田舎でありつつ商売をしている家の多い地域だったので、「布団屋の○○ちゃん」「うどん屋(製麺所)の○○ちゃん」「米屋の○○ちゃん」「魚屋の○○君」「(屋号)の○○」などと親も子も呼んでいた。今ではその店のほとんどが家業を継ぐ者がおらず店をたたんでいるが、当時を思い出すと「三丁目の夕日」のような活気あふれる商店街、人情味あふれる近所付き合い(もめ事も多かった)などが頭に浮かんで来る。がん箱屋と言われた家は、何代か前に棺を作っていた家で、そこの夫人はその名前を大そう嫌がっていた。その中で今でも思い出すのが「自転車屋のさぶくん」である。

さぶくんの本名は「三郎」で、お兄さんが2人いる家だった。三番目の男の子だから「三郎」というのはあまりにわかりやすいけれど、そういう名前の子がたくさんいた時代である。「勉一」と名付けられたもののいつも0点ばかり取っている子もいたし、当時流行りだったのかわからないが、「マユミ」という名前が学年に3人もいた。小さな学校だったのに同じ学年に同姓同名の男子がいて背の高さと幅の広さで「大きい〇ちゃん」「小さい〇ちゃん」と呼び変えていたものだ。今の姿は逆になっているらしい(これは噂なので定かではない)。
さぶくんの家は町に1軒しかない自転車屋さんで、新品の自転車も販売しつつ、パンクや故障した自転車を修理していた。
年末になると商店会のくじ引き会場になり、店先では、抽選券を持った人たちが列を作って並び、ガラガラポンを回していたのを覚えている。1等は下呂温泉旅行じゃなかっただろうか。

そんなさぶくんをなぜ今でもしっかり思い出すのかというと、それは小学校3年の時にあった1つの出来事からである。
小学校2年まで内気ですぐに泣きべそをかく性格だったわたしが、なんのきっかけか「お転婆」に目覚め、男子を追いかけまわすような子に変わっていた。3年の担任は中年の女性教師で、穏やかそうな性格だったと思うが、ちょっと小太りで眼鏡をかけていたことしか印象に残っていない。ただお転婆な女子が好みでないらしく、しばしば叱られていたのでわたしとしては苦手だった。
ある時、帰りの会の前にいつもの通り男子を追いかけていると、その男子はなぜかほうきを持って走り出した。わたしは必死で後を追いかける。もちろん狭い教室内をくるくる回るだけである。その中にさぶくんも加わり、このまま回ったらバターになってしまうのではないか、と思うほど回った気がする(この話は絵本にあった)。さすがに疲れて

「もうやめた」

と言って席に戻ろうとしたが、前を走っているほうきを持った男子はまだ走り続けている。そして教室の一番後ろのロッカーの上に置いてあった金魚鉢にそのほうきを当ててしまった。

「ばっしゃーん」

見事に金魚鉢はひっくり返り、教室の床は水浸しとなって、その中を赤い金魚がピチピチ跳ねている。

「あんたのせいだに!」

ほうきを持って走っていた男子は、わたしを指さして言う。自分としてはすでに追いかけるのをやめていたはずだけれど、その様子を見ていなかった他の同級生や、ちょうど教室に入ってきた担任はわたしが金魚鉢をひっくり返したと思ったらしい。

「〇〇さん、○○君といっしょに片付けなさい」

静かに、そして冷たく担任教師はわたしに言った。わたしは一言も言葉を発することはなく、ただ頷いて雑巾とモップを取りに行ったと思う。ほうきを持った男子はいつの間にかほうきを捨てて、自分がやったのではないという顔をしてわたしのあとに付いてくる。その時さぶくんがわたしにこそっと耳打ちしたのだ。

「〇〇、もうやめとったよね」

そうなんだよ。わたしはもう追いかけるのをやめていたし、そもそもわたしがひっくり返したわけではない。そのさぶくんの言葉は今でも脳内再生される。声変わりしていない可愛い声(いや可愛い声じゃない)で、少しだけベソをかきそうな顔のわたしに優しく声を掛けてきたのだ。
帰りの会の間、わたしとほうき男子とさぶくん(どうやら同罪らしい)は落ちた金魚をバケツに入れ、せっせと床を拭いていた気がする。ほうき男子はその間も

「あんたのせいだに!」

と言い続けていた。ふん、今思い出しても嫌な奴だ。
その後さぶくんは一家で町の中心部へ引っ越して行った。自転車屋だけでは生活できないという話を少しだけ耳にしたけれど、いつどこへ引っ越して行ったのか全く覚えていない。お別れ会もした覚えがないのは幼かったせいだろうか。

家具、調度品類は全て取り出された後の実家

3年ほど前に実家で一人暮らしをしていた実母が亡くなり、3回忌を迎える前には、家は全て取り壊されてしまった。家というのはいつかは朽ち果てていくものだけれど、そこに確かに自分が存在したという記憶は次第に薄れつつも頭の中から決して消えることはないと思っている。


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