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正しさや間違いを超えたところで会いましょう。

こんばんは。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

最近、皆さんのnoteにお邪魔できておらず、またゆっくり読みに行かせていただきたいと思います。

さて、今日は昨日Youtubeで、はせくらみゆきさんと言う方が出ているものを見たのですが、そこで出会った言葉がピンポイントで胸を突いてきたので、その事について書いていきたいと思います。

わたしは常日頃から、”なぜ同じ人類(人間)同志なのに、傷つけあったり、相手を貶めるような事をするんだろうか”という疑問を持っていました。

ですが、はせくらさん曰く「人間は決して”みんないい人”ではない。バーバリアン(野蛮な人)は必ずいます。」と。
ですが、単に何かが起こった時に「〇月〇日に何が起きた」と言う事よりも、「なぜその事が起きたのか、その背景に何があるのか」と探求していく能力が日本人には元々あった民族なんだから、自分と相手の違いを知って、どうそれを回避できるか、きちんと調べたり、相手(敵)を知ることが大切だと仰っていました。

いろんなニュースを1つの媒体だけで見るのではなくて、いくつかの(できれば独立的な)媒体の情報をチェックして、その中の共通項を見つけたり、見比べながら、「じゃぁ、あなたはどう考えますか?どう感じますか?その立ち位置はどうですか?」っていうのを常に思考を練り込んでいく訓練をすることが大事だと語っていました。

「その上で、どちらが「正しい」「間違っている」という対立軸ではなく、全ては相対性の中で補完し合いながら全体として良くなっていくので、その中の瑣末的な、これが悪いとか良いとか言っているそこにいなくていいよ。正しさや間違いを超えたところで会いましょう。」って言われた時に、全ての答えをいただいたと思いました。

* * *

結局は、多様性という言葉で簡単に纏めてしまいたくないけれど、人それぞれで、生きてきた環境や歴史が違う訳で、自分の思っている事と全く真逆の事を言っている人がいたとしても、『この人はおかしい!嫌い!』ではなくて、『どうしてこの人はこう言ったんだろう。何か過去に嫌な経験があったんだろうか。』と発言の裏にある背景を知ることも大事だし、知っても理解できなかったら、それはそれで”住む世界の違う人”として区分するっていうのもありだと思った。

人はなぜか「自分と同じ」とか「みんなと同じ」が正しいと思ってしまうところがあって、それに、人も波動(波)ですから、波長の合う人、合わない人がいて当然なんだなって。

それに100%合わなくても、この部分は合わないけど、この部分はすごく合うって言う場合もあるだろうし。

そうやってお互いの違いを認め合うことが大事なんだなと思いました。

そして嫌いな人、苦手な人は、それはそれで無理に理解しようとしなくていいし、別次元の人だってことで(笑)

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今日ね、ドラッグストアの前を通ったら、おじいさんが買ったばかりのマスクの箱を開けて、たぶんマスクの一番上に載っていたであろう白い紙をポイって足元に捨てたんですね。

思わず『えっ!?』ってなって。
でも、『落としましたよ。』とも言えなかったんだけど、きっとこの人はわたしと違う次元の人なんだろうなって思った。



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