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私は子供を産んで父親になりたい

こんにちは、まゆら先輩(妊娠7ヶ月)です。
3/8は国際女性デーだそうですね。

(余談ですが、日本では完全にスルーされている国際女性デー、中国では女性の退役軍人のもとに花を届けるなど国を挙げて取り組んでおり、個人レベルでもLINE(微信)スタンプがやり取りされるほど浸透しています。民主主義を謳わない国ほどこういうのを真面目にやるイメージがありますね)

国際女性デーの絡みでYahoo!ニュースがこんな特集をしていました。


以前のnoteでも取り上げた『母親になって後悔してる』の著者、オルナ・ドーナトさんのインタビュー記事です。
以下につらつら感想をぶら下げていきます。

私たちは誰でも、『親になる』というテーマにまつわる悩みを持っている。

親になることを巡ってはみな何かしらの葛藤を持っている、このことは普通に理解されています。しかし主語を「母親」に変えた途端、この命題は異常な事態として受け取られるようになる。母親は(もっと言えば女性は)親になることについて悩んだり否定したりするものではない、後悔などもってのほかだと考えられています。
本当は誰しもが持つ平々凡々な悩みなのに、母親にはそれが許されていない。

母親が、子どもに従属する客体ではなく、主体的に見えるときに、ネット上や公の場で誹謗中傷されます。(中略)母親の存在すべてが子どもに捧げられているように社会の目に映るべきだと考えられているからです。

「母親のくせに」「子供がかわいそう」
以前は母親が独身時代のように着飾ったり楽しんだりしているだけで眉を顰められるような風潮がありましたよね。
最近ではあまり言われなくなったような気がしますが、それでもまだなんとなくあるべき母親像のようなものが人々に共有されていて、当然のようにこちらを型にはめてきます。
だから私はやり過ぎなほどにその固定観念の逆張りを続けています。いかにも妊婦さん、お母さんみたいな服装は絶対にしない。育児があるからといって好きなものを諦めない。「子供が可愛くて産むんじゃない」などと、人の感情を逆撫でするような発言もどんどんします。

<産後1年の所得が出産の1年前に比べて7割近くマイナスに。産後7年までの推移も回復はゆるやかで、所得はマイナス6割程度だった>という日本のデータ(中略)があります。日本ではこうした「チャイルド・ペナルティー」の傾向が顕著です。

マミートラックという言葉もあります。産後職場に復帰した女性がもとのキャリアパスに戻れず、やりがいのある仕事から遠ざけられる、または自ら遠慮してレベルの低いキャリアに甘んじることを言います。

妊娠出産は確かに労働者としてのパフォーマンスを落とすので、ある程度の休業やキャリアの停滞を余儀なくされるのは仕方ありません。しかしそれは長くても1年程度のこと、ちょっとした病気休職などと同じレベルのことであって、賃金やキャリアの上で生涯にわたってペナルティを受けるような「落伍」であってはならないと思います。
さらに言えば、妊娠出産に伴う戦線離脱は個人の能力に関係なくたまたま女性であるというだけで負わされるハンデなので、平等の観点からいえば補填されてもワンチャンおかしくないのではないでしょうか。

育休や職場復帰後の育児に関しては本来男性も同じ条件であるはずで、ここでは個人の意志でワークライフバランスに違いが出こそすれ、男女やこの有無で差がつくべきではありません。
本人が希望もしていないのに「お母さんなんだから子供の面倒を優先して、仕事は軽めに」などと周囲が忖度するのは大きなお世話ですし、逆に、今後は育児を優先したいと良い意味での"パピー"トラックを希望する男性がいてもいい。同様に、子供がいないからといって仕事一辺倒頑張れますとも限らない。
「女性のアイデンティティーの多様性がない」と彼女はいいますが、男女ともに仕事への取り組み方についてまだまだ多様性に乏しいと感じます。

少子化は、私たちの体を通して解決できるとは限りません。

これは彼女は違う意味で言ったのだと思いますが、私が以前から主張しているのが文字通り「母親が産む以外の方法で人間を増やすべき」ということです。途上国での搾取や違法ビジネスが問題になっている代理母や、SFにありがちな人工子宮での人間の"生産"がそれです。

はっきり言って妊娠出産はリスクがデカ過ぎます。医療の発達した先進国でさえ命懸けといわれ、無事成功しても身体は不可逆的なダメージを負い、キャリアどころか最低限の文化的な生活を奪うこともあります。
激しい言い方ですがこれを女性全員にやらせることは非効率の極み、非人道的と言ってしまいたいくらいです。それが証拠に、というほどではないものの、女性の地位が向上し選択肢が増えた先進国では一般に出生率が下がる傾向が見られます。
そりゃよほど子供を産みたくて仕方がない人以外は自分の人生のほうが大事に決まっています。子供が大好きで欲しくてたまらないという知人でさえ、「妊娠出産がやりたいわけではない」と言っていました。とてもわかります。

究極的には妊娠出産育児が一気通貫セット販売になってしまっているのが悪いなと思います。育児だけは父親の参画や保育施設の活用で母親から分離されつつありますが、妊娠と出産は母親だけに課された重荷であり、それに伴う理不尽なペナルティもまだまだ多い。分離手段としてもようやく代理母などが現れたところで、一般人が安心して活用しようという段階では全然ありません。

人がやりたがらないところに商機があるといいますから妊娠出産もぜひ正しくビジネス/職業化してほしいですし、軍事部門の秘密研究とかでいいので真面目に人工子宮の開発も進めてもらいたいものです。
現代に生きる私は仕方がないので自分の身体で妊娠をやっていますが、いつかそんなSFな未来が訪れてほしいなと思います。

(前略)親になるための条件が整ったとき、もしかしたらもっと多くの人が、自分の意思で子どもを持つかもしれません。それでも、母親になりたくない女性はいます。望まないのなら、ノンマザーのままでいることを許されるべきです。子どもを持つも持たないも、個人の選択です。

以前のnoteで紹介したNHKの特集では「母親も後悔するらしい」→「じゃあ、母親が後悔しないよう手厚くサポートしよう!」という結びになっていましたが、これはやはりちょっとズレていると言わざるを得ません。確かに部分的にはそう、母親になって後悔するほどの女性の苦痛を少しでも和らげることは大事ですが、ドーナト氏が言いたいのはそうではなく、「母親になりたくない/なりたくなかった女性もいる」事実をまず受け止めようということです。

これは親に愛されていなかったかもと思いたくない個人だけでなく、少子化を止めたい国からしても「不都合な真実」といえます。国としては子供産むのが女の幸せよ!ぽこじゃが産んでよ!と叫んで黙殺したいはずで、だから国会議員からも「産む機械」「生産性のないカップル」(もはや懐かしいワードの数々)という発言が出るのでしょう。
(また余談ですが、競争に疲れて出世を望まない「寝たきり族」の若者が増加中と話題の中国では、政府がこれを国の発展を揺るがす大事と考えて声明を出すほどなので、子供を産みたくない母親の存在もおそらく問題視されるでしょう)

つらつら感想終わり。

父親になりたい

最後に私の「親になること」についてまとめておきたいと思います。

私は確かに子供を産みますが、それは母親になりたいからではなく、昔から男性が「家庭を持って一人前」と言われる意味において子供が欲しかったから、という方が適切です。わかりやすく旧式に言えば父親になりたいです。

子供ができた男性に期待されるのと同じように仕事をこれまで通り、むしろそれまで以上に頑張りたい、出世もしたい。
そして、男性は子供ができてもそれまで通りなのに、女性だけ子供ができたらキャリアの最前線からは退くことになるというのはおかしい。男性に子供がいても社長になれるなら子持ちの女性も社長になっていい。
私の目標は弊社初の女性社長、それもバリキャリでなく妊娠出産育児のハンデを負って成し遂げたい

同じ夢を持つ同士がいたら一緒に頑張りましょう。社外取締役兼任しまくって儲けようぜ。

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