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エッセイストになるまで【2】初稿を提出したら「五月蝿い」って言われた(もめてません)

ただnoteを縦書きにしただけではエッセイにならない(当たり前)ということに気づいた私は、色んなエッセイを読んで勉強することにした(当たり前)。

まずはタイトルを知っているエッセイ本を読んでみた。
「負け犬の遠吠え」酒井順子
「私たちがプロポーズされないのには101の理由があってだな」ジェーン・スー
「もものかんづめ」さくらももこ
「父の詫び状」向田邦子
「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」岸田奈美
などなど。

もともとnoteを始めるにあたって、一番参考にしたのが岸田奈美さんのエッセイ。軽快でいて、ほろりとさせ、独自の視点に気づきがあり、それでいてドヤ顔になっていない。なんてすごい文章なんだ、と憧れた。

「何者にもなれていない自分」を岸田さんやスーさんのように軽快に書こう、よし、こっちの路線だ!
とせっせと書き溜め、Kさんのいう原稿用紙250枚以上をなんとかクリアして、提出した。

Kさんは心配性の私のために、いついつまでに返事をする、とすぐに知らせてくれたあと、期日よりも前に感想をくれた。曰く、

「いいんだけど、ちょっと五月蠅いかな」

う、うるさい…⁉ 
てか、五月蠅い⁉

思い当たる節は、あった。

初稿では、「あのときもこのときも何者にもなれなかった」ということを思い出しては書いていったのだが、途中で「こんな素人の何にもなれなかった話、面白いだろうか」という不安が募り、「自分のことを大好きだということがバレていないだろうか」と恥ずかしさも出てきて、つい、自慢ぽく聞こえるエピソードにはカッコをつけて、自分ツッコミを入れ、あまりにもみじめに見える部分には、いろんなギャグ(死語)を織り交ぜて軽く見えるようにした。

そういった部分が、「もしかしたらやや上滑りしているかも」と、この10倍くらい遠まわしに、小説ともだちであるタカノくんがすでに指摘してくれていたのだ。

は、恥ずかし~!
自意識が空回りしておサムいことになっている……!

すると、Kさんからアドバイスが。
「この、銭湯でおばあちゃんのはだかを眺めて考え事をした、みたいなのをいっぱい書いてよ」

それは、250枚に届かせるため、過去の日記から引っ張り出してきたエピソードで、とくに「何者かになりたい」ことや「小説」には関係がない、自分が見た情景と、そのとき感じたことをつらつら綴った、随筆のようなものだった。

これで、いいのか!

私が目指すべきなのは、向田邦子の「父の詫び状」みたいなエッセイだったのだ。いうなれば、エンタメ系エッセイではなく、純文系エッセイ。

あらためて、「向田邦子ベスト・エッセイ」という文庫を買って、研究してみた。
「父の詫び状」が伊勢海老が玄関を歩くシーンから始まることにもいたく感動したのだが、私が最も心打たれたのは「手袋をさがす」というエッセイだった。

気に入ったのがない、という理由でひと冬を手袋なしで通した邦子。父に「若いうちはまだいい。自然の可愛げがあるから、まわりも許してくれる。だが、年をとってその気性では、自分が苦労するぞ」と言われ、一度は本気で反省し、ほどほどの幸せを選ぼうとする。
でも結局、邦子は「たったひとつ私の財産といえるのは、いまだに〈手袋をさがしている〉ということなのです。」と結論を出すのだ。

手袋をさがす、ということを切り口にこんなふうに人生を描けるなんて。
その域にまでたどり着けるかわからないけれど、「私もこんなふうに書いてみたい」と心から思った。

そして、Kさんが言ってくれた。「あなたは書ける」と。



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