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「自分らしさ」にぶつかったら

今回は、「自分らしさ」というテーマについて
深めてみようと思っています。

「自分らしさって何?」と聞かれたら
あなたはすぐに答えられますか。

以前こちらの記事でも少し書いたのですが
なんとも掴みどころのない言葉ですよね。

前々回と前回の記事でも
「人生」とか「使命」という
曖昧なつかみどころのない概念を
どう捉えると良さそうかを書いてきましたが

今回も引き続き
どのように捉えると生きやすくなるのか
そんな視点から「自分らしさ」を
深めていこうと思っています。

※まだ前回の記事を
読まれていない方のために
「人生って何?」の記事はこちら
「使命って何?」の記事はこちら


なぜ人は「自分らしさ」を求めるのか

そもそも、私たちはなぜ自分らしさを求めるのでしょうか。

また、自分らしさを知りたいという背景には
なにがあるのでしょうか。

自分らしさを求める理由①

自分らしさを求める背景には
主に2つあると思っています。

1つ目は、時代の変化によるもの

人の悩みや求めるものは
どの時代を生きているか
その社会や環境によって変わってきます。

それこそ、ひと昔前は
ひとの寿命も短かったし
何よりも「生きる」ためのに必死だった
そんな時代があったわけです。

そのときの悩みは
自分らしさを知ることよりも
どうやって「日々を生きるか」
生きるための生活や術に
直結することが多かったと思うのです。

また、役割に縛られて生きるのが普通で
むしろそれが幸せという時代もあった。

たとえば、江戸時代であれば
武士や農民としてそれぞれの役割に生きるのが決定付けられて
役割全うすることが幸せと認識されていたと思うのです。
(もちろん異端児もいたとは思いますが)

そのときの悩みは
自分らしさを知ることよりも
どうやって役割を全うするか
役割を全うするための在り方などが
悩みとなっていたと思います。

なので、そのような時代は
多くの人が自分らしさを求めるのではなく
一部の学者や哲学者のような人たちが
その悩みを探求していたのだろうと推測しています。

では、今の時代はどうかというと
特に現代日本においては

自己実現や自分のアイデンティティ対する
意識がすごく高くなってきています。

一部の学者や哲学者だけではなく
一般的に、私って何?私らしさって何だろう?
それを知りたいと思う人が増えてきました。

マズローの欲求でいうと1番上の
自己実現の欲求を
すごく求めるようになってきて
そこで思い悩む人が増えてきたということですね。


それはなぜかというと
人生での選択肢が増えてきたから
だと思うのです。

多様性が認められ
役割に縛られることもなく
最低限の生活はできるようになっている。

たくさんの可能性とともに
私たちは色んな選択肢を
自分で選べるようになってきました。

ひと昔前のように
役割や職業や身分など
すでに決められていることがあるのなら
それに沿って生きていくことが前提になりますが
そんなものがなくなりつつあります。

決められたもの
与えられたものではなく
自分で選べるとなったときに

人は、そのときにはじめて
「自分とはなにか?」をより深く問い始める

自分らしく幸せに生きたいと願う気持ちが
「自分らしさとは何か」を求める気持ちを生じさせている
そんな風に感じています。

自分らしさを求める理由②

2つ目は、私たちはこの世で
自分らしさを探求するプロセスを体験したいから
ではないかと考えています。

これは私の人生に対する世界観が関わっているので
少し説明すると・・

(「人生って何?」という記事で
詳しく書いてるので
気になる方はこちらを見てくださいね。)

これは私の大いなる仮説が前提にあります。

そう。
「この世はゲーム」=未来人か何かが作ったシミュレーションみたいなものだという世界観が前提になっています。

そのシステムの中で個人個人(主人公)が人生を自由に構築していくゲームな訳です。

主人公はあらゆる体験を通して成長を楽しみ、味わい、幸せへと向かいます。

とするとですよ・・・

もし私がこのゲームの開発者だとしたら
人間というキャラクターの設定を

自分らしさが分からない状態で生まれてきて
ゲームの中で自分らしさを探求することを体験する

そんなプログラムにすると思うんです。

ちょっと自虐的ですけど
問題提起を自分に課すということですね。

だって、その方が面白いから。

はじめから答えが分かっているような
ゲームは面白くないですよね。

人生だって
答えがわからないから
どこに向かうか決まってないから

どうやって攻略しよう?
今日はどこに行ってみようか?
そんなワクワクが生まれる。

だからね、
自分らしくないのがデフォルトで
自分が分からない
自分って何?私って何者????
みたいな状態で生まれてくるのが、たぶん普通だと思うんです。

ちょっと話がそれますが
スピリチュアルでよくいう
ワンネスという言葉がありますよね。

ここで言うワンネスというのは
生まれてくる前の魂だけの状態とでもいいますか

その状態は、分離も個という概念もない
すべてがひとつで繋がっていて区別ができない状態
それをワンネスと言っています。

そのワンネスの状態から
私たちが この世に生まれてくるのだとしたら

それはきっと”個”がない状態
つまり「自分らしさ」が分からない状態で生まれてくる
のだろうと思うのです。

もともと一つなのだから
一人ひとりの”個”が分からないというのが
ベースに存在している。

何が言いたいかというと

私たち人間はきっと
”個”という体験をしたくて
この世に生まれてきていて

その欲求が「自分らしさ」を求めることに
繋がっているのではないか
と私は考えているわけです。

自分らしさと占星術

私が占いを使って相談者さんと向き合うときに
どうしても「自分らしさとは何か?」を
考えざるを得なかったのですね。

それは
言葉にする、しないに関わらず
その答えを求めてきてくださる人たちが
すごく多かったから。

で、私なりに色々と探求していくなかで
占星術だとすごく伝わりやすい
と気づいたんです。

占星術は、人が成長していくストーリーを表しているんですが
それって同時に”個”を体験するための物語にも見えるんですね。

牡羊座で、オギャーっと生まれて
牡牛座で、あれ?肉体があるぞ!これなんか私だけのものらしいぞって気づく
双子座で、人と話すことによって、人との違いが分かってくる
蟹座で、感情で繋がって安心感を得る
獅子座で、自己表現を学び
乙女座で、自己を完結させる
天秤座で、自分と違う他人を通して自分というものを知り
蠍座で、人との深い付き合いを体験する
射手座で、もっと広い世界に視野が広がっていく
山羊座で、より大きな構造を把握し、確固たるものにしようとする
水瓶座で、すべてを一旦破壊し多様性とフラットな世界を目指し
魚座で、世界と融合をする


こんな風に
「自分って何者?」という旅が始まって
最後はまた元のワンネスに戻っていく。

おそらくですね
「自分って何者?」という問いについては
一生かかっても答えは見つからないと思うんですね。

だけど

「私って何ができるんだろう」
「何者なんだろう」

と考えながら歩んでいくプロセスそのものが
人生なんじゃないかなとも思っているわけです。

その中でもちろん

「これが私らしさかもしれない」
「あれが私らしさかもしれない」

という発見をしながら、同時に色んな経験をしながら
自己実現という旅をするのが
魂がやりたいことなのかもと感じているのですね。

だから、自分らしさとか自分って何だろうとか
考えたり悩んだりするのはすごく自然なことで

しかも、そのことに悩める時間を
十分に与えられている時代に生まれている

そんな私たちって、実はものすごく豊かな経験を
させてもらっているんじゃないかと思うんです。

ゲームで言うと、めっちゃ盛りだくさんで贅沢なゲームを
与えられているともいえるのかもしれません。笑

占星術視点でも
人生という旅の中で、自分らしさを考えたり悩んだりするのが
デフォルトである、と説明できるというわけです。

自分らしいって結局なに?

じゃあ、結局「自分らしさ」って何かというと・・

私なりの言葉で短くまとめると

「自分らしさ」とは

今の自分を作り上げてきた
すべての体験や出会いをもとに

新しい体験や出会いによって
自ら「自分」を更新していくこと

その過程そのものが
「自分らしさ」ではないか
と私は考えています。

これだけだと
分かりにくいと思うので
ちょっと説明しますと

私たちが
もともと「自分らしさ」が分からない状態で
生まれてくるのだとしたら

ぼーっとしていたら
きっと自分らしさは分からないまま
だと思うのですね。

だけど、人生のなかでは
心が震える体験とか
心に大きな傷が残るような体験とか
それぞれのアイデンティティを作り上げている
様々な出来事が起こります。

しかも、それは
その人にしか体験できない
ものだったりするわけです。

何に心が震えて
何に傷ついて
何に喜びを感じて
何を大切にしてきたのか

また
どんな人たちに支えられ
どんな人たちと過ごして
どんな道のりを歩んできたか

すべての体験や出会いが
”個”を深めていくための
ヒントになっている。

そのヒントの意味を
考えずに過ごしていると

「自分らしさ」というのは
デフォルトのままなので
きっと霧のようにモヤモヤしたまま。

でも、
そこに自分なりの意味を見出そう
光をあててあげようと意識すると

今までと違った見え方をしたり
新しい出会いや体験につながったりと

意図せずとも
自然に自分なりのプロセスを
選んでいくことになると思うんです。

そして、そのプロセスによって
「自分」がどんどん更新されていく

その様が「自分らしさ」ではないか
と私は考えている、ということです。

例えば、私は幼い頃に
身近な従姉妹を失うという
喪失体験をしたのですね。

それがあったから
人の人生っていうのは
すごくままならないものだし
生きることはすごく難しい

人はすぐ死んでまうだな
いつ死ぬかわからない、怖い怖い・・
という感情が、心に奥深くに刻まれたのです。

一種の傷ですよね。
だから、すごく生き急ぐみたいな感じが出たり
逆に、急に虚しくなったりとか

どうせ 頑張っても人はいつか死ぬんだからと
達観して物事を考えてしまう部分もある

人との関わりにおいても
先に別れを想像してしまって
人と親密になることを無意識に避けてしまったりと
すごく極端な部分が私の中に存在していたんです。

でも、それが私の今のアイデンティティに繋がってるわけなので
その傷を持つことは今から思うと”幸せ”だったと言えるわけです。

幸せな傷というのは変な言い方ですが
「私を私にしてくれた傷」
これも含めて私はもしかしたら魂の設定として持って
生まれたのかもしれない、とも思える。

これがあったからこそ
私は『命日占い』という
死と占いを結び付ける
書籍を執筆しようと決意できた
とも思っているんです。

そこで、ちゃんと意味を見いだせていなかったら
自分らしく生きるという意識を持っていなかったら

もしかしたら
まだ生きづらさを抱えて生きていたかもしれません。

だけど、そこをちゃんと受け止めて
認めて、意味を持たせて
ようやく、そこから先に続ける
「私らしい」を選び直すことができた
というわけなのですね。

なので、「自分らしさ」というのは

自分が選んできたもの
選んできていないもの全部含めて
(魂的にはすべて選んできているとも言えるのですが)

今までの出来事や出会った人たち
体験してきたすべてのことをもとにして

どんな風に生きていくのか
どんな未来に向かっていくと心地良いのか
を選んでいくこと

そして
その先での新しい体験とか出会いによって
自分をアップデートしていくこと

そのプロセスもの
「自分らしさ」なのではないか
と私は考えているわけです。

自分らしく生きると幸せになれるのか

ここで少し疑問が出てくるのが
「傷や痛みを抱えたままの人は自分らしくないのか?」
ということ。

これは、自分らしく生きると幸せになれるのか
という話につながると思うのですが

私の希望として
自分らしく生きることが幸せに繋がってほしい
その想いはもちろんあります。

でも、一方でそうじゃない「自分らしさ」もあるよね
とも思っているんですね。

そのことを考えるヒントをくれた
「ドクターハウス」という海外ドラマがあるので
その話を使ってお伝えしますね。

どんなお話かというと
 天才のお医者さんが主人公の話です。

そのお医者さんは”闇”を抱えています。
”闇”というのは薬物依存症です。

昔、足に大怪我をして
痛みを緩和するためにキツい鎮痛剤(薬)を飲むようになった。
その薬の依存症になっているのです。
だけど、それによって天才的なひらめきが訪れる、という設定

彼には、痛みを緩和するその薬を飲む以外にも
別の治療を受けるという選択肢もあるし
より安全な薬を使うという選択肢もあるのですが

彼は、その薬を飲むことを選択し
人を助けると決めている。

そうすると
彼の周りにいる友人の医者たちは心配して
色々と彼に助言をくれたりするわけですよ。

「君はもう幸せになることを拒んでるとしか思えない」
「その在り方は間違っている」

という言葉を彼に投げかけてくる。

彼自身もセラピーを受けたりするのですが
かなり抵抗してしまうんですね。

彼が一生懸命抵抗するなかで発した言葉が
「これも俺らしさなんだ!」という言葉
痛みを抱えて何が悪い?と。

彼のなかには
「足の痛みを抱えたままだからこそ、
人を助けることができる」
そんなアイデンティティがあるわけです。

もちろんドラマの中での話ではありますが
彼はあえて痛みを抱える選択をしている。

傍からみると、
そうじゃなくても人助けはできるはずだし
その方が彼は幸せになれると思ってしまうのですが

何が幸せって決めているのは周りの人で
彼の人生は、それはそれで自己実現してるのかもしれない
そういう見方もできますよね。

だから、それも全部含めて
痛みや傷を転換させるとか関係なく
「その人らしさ」と捉えた方が豊かだなと思っているのですね。

要はですね
自分に起こっていることをすべてを認めたうえで
自分で選択して選べるということがすごく豊かなことで
そのプロセス自体が自分らしいよねということ。

幸せとか幸せじゃないとかは
自分以外の人が決められるものではない。

その問題を抱えた状態で幸せになりたいのか、ならないのか
何が幸せかを決めるのはもう本人しかいない、ということなのです。

私は占いをしているので、占いを使って
幸せになりたいですと決意した人を
精一杯応援したいと思っているのですが

だけど「幸せになりなよ!」というのは
ちょっと違うと思っているんですね。

私たちはそっと後押ししたり
色んな可能性を提示することしかできない。
それで十分だとも思っています。

自分らしさを探求して
幸せになるか、幸せが何か、を決めるのは
その人自身でしかできない。

傍からみて
幸せじゃないと思うことでも
それは本人しか分かりえないことで

本人がそれを意識的に選んでいるなら
それが豊かな「その人らしさ」ではないかなと。

だから結局
ダースベイダーも
ダースベイダーでいいんですよ
という話です。笑

(だいぶダメな感じがするけど
だいぶ人を巻き込みすぎな感じはしますがね)

まとめ

今回の記事をまとめると

・自分らしさを求める背景には、時代の変化が関わっている
・自分らしさは、デフォルトでは分からない
・占星術でも自分らしさを深めていく旅を説明できる
・自分らしさとは「自分」を更新していくプロセスそのもの
・痛みを抱えたままでも、自分で選んでいけることが豊かなこと

自分らしさについては
まだまだ語りきれていないことがあるので
それは次回に書くとして

今回伝えたかったのは
「自分らしさ」に悩んだり
モヤモヤしてぶつかってしまったときは

まずは
「自分」を作りあげているもの
作り上げてきてくれたものたちに
光をあててみること

そうすると
もしかしたら・・

「これは私が設定してきたことじゃない!」
「私が望んでいたことじゃない!」
「あの人がせいなんだ・・・」

と突き放したくなる気持ちが出てくる人も
いるかもしれません。

逆に、心から感動したことだったり
衝撃を受けたり、自分が変わったような瞬間を
鮮やかに思い出すこともあるでしょう。

どんな出来事や出会いであれ
それが感情に焼き付いているということは
それが「自分らしさ」の欠片になっている
と私は思っているのですね。

そこに改めて光をあててあげること
・そこにはどんな意味があったのだろうか
・これが私にもたらしていることは?
と改めて問うことで

自分が何を大事にしたいのか
何に心が震えて、どこに意味を感じるのか
捉えなおすことができます。

そして、そこから
自ら何を選ぶかを決めていくことが
より深く「自分らしさ」を育んでいくことに
繋がっていくのではないか、そんな風に思っています。

今回も、お読みいただきありがとうございました!

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