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私の〜恋愛暗黒時代〜⑫最後のトリデ・後編

↓前編はこちら。


それでは、後編スタートです。

私はこれだけ頑張っているのに、彼とうまくいく現実が訪れる気配もない。もう長い間、口では彼女と別れると言っているけれど、彼は本気なのだろうか。彼の本心を確かめたい気持ちを抑えられなくなった私は、とうとう彼の携帯電話を覗いてしまいました。そこで、はじめに目に入ってきたのは、別の日本人女性との親しげなやり取りでした。この人物は、仕事を探していた彼に私が紹介した女性でした。女性が日本に帰国後も、彼の方から積極的に連絡をしているようでした。しかし、これまでの自分の経験も含めて、こういった関係はお互いにすぐ飽きて、いつの間にか自然消滅するパターンだと分かっていたため、それほど気に留めませんでした。そして、肝心の本命彼女とのやり取りはと言うと、この数日間、二人が不仲であることが見てとれました。連絡の頻度が落ちている彼に対し、彼女がとても不安になっているようでした。彼女からのメッセージや着信を全て無視する彼。彼がどうしてそんなことをしているのか、その理由は簡単でした。彼はこの時、この女性とのやり取りの方が楽しくて、彼女のことがないがしろになっていたのでしょう。
正直なところ、私は、不安と負のスパイラルに陥っている彼女の様子を察して、気味良く感じました。「いつも私が味わっている不安を、あなたも存分に味わえばいいのよ。」と。
しかし、この時一番みじめなのは、存在感のかけらもない私だと分かっていました。私は、彼にとってどんな存在なのだろう。私は、こんなにも彼を一途に思い、待ち続けているというのに。私が期待しているほど彼は私に興味を持っていないのかと思うと、肩を落としました。
しかし、どうしても彼を嫌いになれなかった当時の私は、このまま自然に彼女との別れが訪れるかもしれないと、しばらくその動向を静観してみることにしたのです。そして、その後も、彼がいない隙を見計らってこっそりと携帯を開いては、彼女と進捗を確認しました。二人が全く連絡を取り合っていないことを目にするたび、私は安堵しとても喜ばしく感じていました。そして、「もしかすると、本当にこのまま彼らは別れるかもしれない。ついに私が望んでいる現実が、すぐ目の前までやってきているのかもしれない!」と、期待に胸を膨らませたのでした。



彼の携帯を見ることが、すっかり常習化してしまった私は、彼と彼女のやり取りだけでなく、携帯に収められた彼の写真にも目を通すようになりました。そして、アルバムをスクロールしていくと、前回、彼女がバリ島に来ていた日までたどり着きました。そこには、私が想像していたのとは違う、楽しげな二人の写真が、たくさん残されていました。ぴたりと頬を寄せ合うセルフィー、美味しそうな料理を前に嬉しそうな二人、親友カップルとのダブルデート、ベッドで隣に横たわる彼女の顔。どれもこれも一瞬で目に焼きつきました。「彼女にはバリに来てほしくない。」「滞在中は何度も喧嘩したんだよ。」という彼の言葉からは、まったく想像もつかないくらい、楽しそうで幸せそうな写真ばかりでした。
以前、二人の日本での雪山デートの写真を目にして大きなショックを受けた後、私は彼を信用できず、いつかまた彼が私を裏切ったり傷つけたりしないだろうかと、私は常に怯えていました。しかし、彼が嘘をついているかもしれないと疑いたくなる場面に遭遇するたびに、「そんなはずはない。」とその疑念に蓋をし、自らをその恐怖から守ってきました。でも、これらの写真からは、「彼女と別れるから待っていてね。」という彼の言葉が、まるで真実ではないように伝わってきました。今すぐにでも、彼に真相を確かめたい。でも、彼の携帯を無断で見ていることがバレたら、確実に彼は私を嫌悪するだろう。そう思うと、黙っておくしかありませんでした。
結局、彼の本心を探りたくて携帯電話を見た結果、思いもよらないショッキングな情報ばかりを発見することになり、私は更なる混乱に引きずり込まれてしまったことは、言うまでもありません。そして、唯一の私の希望だった彼と彼女の冷戦もだんだんと和解が進み、結局ここでも、私が待ち焦がれている二人の別れという現実は、起こることがありませんでした。



『こんな恋愛、さっさと辞めてしまえばいいのに。』今これを書いている自分でさえそう思いますが、当時の私には容易にそんな決断は出来ませんでした。なぜならば、これまでも二人の間に何か気まずい出来事が起きた場合、しばらく互いに距離を置いては再び元に収まるというパターンを、幾度も繰り返していました。だから、何があっても彼は結局私のところに戻ってくるだと思い込んでいました。そして、それを繰り返すことで、私たちは互いの存在に甘え、依存し合うようになったのだと思います。なのに、そんな彼をいつまでも独り占めすることが出来ない私は、そのジレンマから更に強く彼に執着するようになっていたのです。
そして、この恋愛を諦めきれなかったもう一つの理由。それは、前編でも述べたように、この恋愛をきっかけに、『思考が現実を創る』ということを学び始め、数ヶ月をかけて自分の潜在的な思い込みを明らかにし、そして、いよいよ自分の思考を変えることで、望ましい現実を実現させようとしていた最中だった私は、未来の現実は自らの手で必ず望むように変えられるのだということを、信じてみたかったのです。だから、どんなに傷つこうと、ここで諦めるわけにはいかないと思っていました。私は、心はいつも落ち着かず、重く苦しい状態だったにも関わらず、頭の中では懸命に彼との幸せな未来をイメージするように努めていました。そうやって、何とか彼との幸せな現実を引き寄せようとしていたのです。プロポーズの様子、結婚式の様子、その後の新婚生活、様々な二人のシーンを頭の中に思い描きました。そして、私は次のようなワンシーンもイメージしてみたのです。


『私達の元に、赤ちゃんがやってきてくれる。
そのことを彼はとても喜んでくれる。そして、私達3人は仲良し家族として、ずっとずっと幸せに暮らしてるんだ。』と。



その願いは、すぐさま現実になりました。



予定日を過ぎても生理が来ず、彼と共に妊娠検査薬を試したところ、結果は陽性でした。私はとても嬉しかったのと同時に、彼の反応がどういうものであるかを知るのが、怖くもありました。そして顔を上げてみると、そこには青ざめた様子で呆然と立ちすくむ彼がいました。それを目にした瞬間、私にとって望ましくない言葉が、彼の口から出てくるのだと分かりました。そして、「僕は、お父さんになれない。」実際にこの言葉が耳に入ってきた時、全身の血の気が引くのが分かりました。しかし、何としても彼を説得しなければ、今後大変なことになってしまう。私は、自分の思いや考えを、彼にぶつけました。そして、「お願い。生ませて!」と言葉を投げかけた時、彼はまるで子供のように泣きじゃくり始めました。
「ごめんなさい。僕はまだ若いし、やりたいことがたくさんある。だから今、結婚することもできないし、子供の父親になることなんて出来ない。お願いだから僕の気持ちを分かってほしい。」と。目の前が真っ暗になりながら、こう思いました。「何て身勝手でワガママで情けない男なんだろう。私のことなんてこれっぽっちも考えてくれていない。」
その後どんなに話しても、私と彼の意見は食い違い、平行線のままでした。結局、彼はその場にいるのが耐えられなくなった様子で、逃げるように私の部屋を出て行きました。



少し時間をおいて冷静になれば、彼は考えを変えてくれるかもしれない。しかし、そう思った私が馬鹿でした。その後、彼から電話で言われたのは、「このことは誰にも言わないでね。二人だけの秘密だからね。もう、中絶の薬を手配したから。早めにしようね。」という言葉でした。私は絶望しました。そして、もう私が何を言おうと、彼に私の希望を聞き入れてもらうことは不可能なのだと自覚しました。「彼は自分さえ良ければ、私の事だって、赤ちゃんの命のことだって、どうでもいいんだ。人を殺すことも平気なんだ。」と思うと、悲しみと怒り、彼への憎悪、自分の浅はかさに対する情けなさ、罪悪感でいっぱいでした。
「せっかく来てくれた大切な命なのに、私には一人でお母さんになる勇気がない。ごめんなさい。ごめんなさい。こんなに情けない私を許してください。赤ちゃんの命を利用しようとした私が悪いんです。ごめんなさい。ごめんなさい。人を殺してまで自分を守りたい私を許してください。ごめんなさい。ごめんなさい。」と
何度も心の中で繰り返しました。もう自分が死んでしまいたい。でも、実際には死ぬ勇気もない。そんなどうしようもない自分が、とことん嫌になりました。



それから数日が経った夜、彼は自ら用意した堕胎用の薬を手に私の家にやって来ました。インドネシアでは人工妊娠中絶は違法のため、日本のように病院での手術を受けることができません。そのため、彼が闇ルートで手に入れてきた薬を使用し自分たちで中絶せざるを得ませんでした。
私は、それまで彼にわがままを言ったり、感情をむき出しにすることはありませんでしたが、この時ばかりは我慢ができませんでした。今回のことで身体にも心にも傷を負うのは私だけ。彼は何も傷付かずに済む。そればかりか、これが終われば自由の身になれると言わんばかりに、ほっとした表情が滲み出ているようにも感じました。その様子に、私は彼を激しくなじりました。その後、薬が体内に巡ってくると、凄まじい寒気と発熱に襲われ、意識が朦朧としました。夢か現実か分からない状態で、ごめんなさいごめんなさいと繰り返しました。その日からの数日間、自分がどのように生きていたのか全く記憶がありません。



これを機に、私と彼との間には深い溝ができました。にも関わらず、私の心境はとても複雑でした。この出来事に関して大いに彼に失望し、怒り、未来の彼との関係も絶望的だと分かっているはずなのに、心の片隅には、やっぱり彼に労ってほしい、構ってほしいという気持ちが残っているのです。どうして、まだこんなに彼に執着しているのだろう。どうして辞められないのだろう。そんな自分が自分でも理解できずに苦しみました。その当時、自覚はなかったものの、もしかすると気が触れていたのかもしれません。ある時、しばらく見ることをやめていた彼の携帯に手を伸ばしました。私の妊娠が発覚した前後、彼が彼女に対してどのように接していたのかを知りたかったのです。中絶の日は、彼は彼女に「熱がある」と嘘をついて時間を作っていたこと、その日の前後はまるで何事もないような普段通りの会話が展開されていたことを知りました。そうやって、彼は彼自身や、彼女との関係を守るために、とても上手に隠し事をする人なのだと知りました。方や、私は彼に守られるどころか傷つけられてばかり。ずっと彼女に負けたくないと思ってきたのに、私は完全に敗者だったという事実を知り、ますます奈落の底へと突き落とされました。そして、さらに通信履歴を遡っていくと、突然彼のパスポートの写真が現れました。私はドキリとしました。「まさか、彼はまた日本へ行くの?私には、もう二度と行かないと言っていたのに。」慌ててチャットの履歴をたどりました。そしてそこには、日本渡航の手続きに関する二人のやり取りが残されており、彼が再び日本に行くことを確信しました。「別れるから待っていて」という言葉を私に投げかけておきながら、裏では着々と彼女の住む日本に行く準備をしていたなんて、あまりにも酷すぎるだろう。私は心身ともにこんなに傷つけられたのに。彼はなんて自分勝手な男なのだろう。もう、こんな男を追うのを辞めたい。こんな男に執着している自分を辞めたい。なのに、すんなり辞められない自分に対し、なぜなのだと激しく責めました。


「私、いい歳して何をやってるんだろう。そもそも、何のためにバリ島に来たんだっけ?私は何をしたかったんだっけ?これからの人生、どうやって生きていけばいいんだっけ?日本にいる時の私は、もう少しまともな人間だったような気がするけど、今は自分がどんな人間なのかすら、分からなくなってしまってる。」
バリ島に住み始めてから一年近く、彼を中心に世界が回っていた私は、完全に自分のことを見失いかけていました。少し落ち着きを取り戻しそのことに気がついた私は、再び、自分自身に意識を向けるように努めました。友人達と遊んだり、サーフィンをしたり。ヨガを始めたり。カフェ巡りをしたり。また、『思考が現実を創る』仕組みを根幹から理解したくて新たに申し込んだ講座に集中したりと。まだ悲しい気持ちを引きずり続けてはいましたが、少しずつ自分の時間を過ごせるようになっていきました。
しかし、そんな私の変化を察した彼は、恐らく私が彼から離れていきそうだと焦ったのだと思います。ある夜、急に彼から誘いがあり、久しぶりに二人きりで話すことになりました。そこで、「やっぱり、まゆのことが大好きだよ。」と言われたのです。「それならば、彼女と別れたの?あなたはいつも口ばかりじゃない。私はあなたのことを諦めようとしているのに、そんなこと言われると余計に辛くなのよ。」と伝えました。何でこの期に及んで、まだそんなことを言うのだろうと憤る反面、まだ彼への思いを断ち切れていない私は、彼の言葉に一抹の嬉しさも感じてしまいました。


この人は嘘つきだし、近々また日本に行くと分かっているのだから、みすみす彼に近づきすぎてはいけないと頭では理解しているのに、その後も何度か彼と二人で過ごしました。彼は、私が彼の日本行きのことを知っているとは、露にも思っていないだろうし、実際私の前でその話題に触れることは一切ありませんでした。むしろ、これからもずっとバリにいるかのような話ぶりで、まるで彼が日本に行くことがキャンセルになったのかなと思えるほどでした。さらに出発の前日、彼が「明日みんなでサーフィンに行こう。」と誘ってきたのです。翌日から日本に行くものだと思っていた私の頭は混乱しました。「あれ?私の思い過ごしだったのかな。」その真相を確かめたくなった私は、すぐさま彼の家に向かいました。彼は私を部屋に入れまいとしていましたが、私はそこにスーツケースが置いてあるのを目撃しました。そして、彼は慌てて私を外に連れ出しました。
「明日から日本に行くの?私には、もう二度と行かないって言ってたよね。」と言うと、彼は咄嗟に「えっ?何言ってるの?僕は日本になんか行かないよ。」と答えました。「じゃあ、何でスーツケースを用意してるわけ?」私は再び尋ねました。「あれは部屋を掃除していて、たまたまそこに置いてただけだよ。それに僕は、明日みんなでサーフィンしようって誘ったじゃない。つまり、明日からもここにいるってことだよ。」と平然と答えました。私は「それ、本当に信じていいの?」と聞きました。彼は言いました。「うん、本当だよ。」と。私は帰宅してからも、まるで狐につままれたような感覚でした。
そして迎えた翌日。いつもなら朝に必ず彼の姿を目にするはずなのに、昼を過ぎても一向に現れません。私は職場を抜け出し彼の家に向かいました。そこには、彼も、昨日そこにあったスーツケースもありませんでした。「嗚呼。私はまた彼に嘘をつかれたんだ。」今回は悲しみよりも、彼に対する怒りの感情が溢れかえりました。「最低の大嘘つきめ。何度、私に嘘をつけば気が済むんだ。人をバカにするのもいい加減にしろよ。こいつはゴキブリ以下のクズ野郎だ。」それまでの人生、他人に対してこれほど大きな怒りを覚えたことはないくらい、凄まじい怒りでした。それから一ヶ月が過ぎ、日本から帰国した彼を見た時、殺意が芽生えるほど憎くて仕方がありませんでした。自分の感情を抑えられなかった私は、職場に一人になった時、そこに置いてあったドライバーで、彼のサーフボードを突き刺しました。それでも、怒りは収まりませんでした。その後も、彼に対してあからさまに嫌悪感を示し、徹底的に無視しました。
それから数日後、友人のバースデーパーティーに参加した際、図らずも彼もその会場に来ており、帰国後はじめて、私に謝罪してきました。「本当にごめんなさい。全部僕が悪かった。本当にごめんなさい。」私は、心の中で思いました。「そうだよ。これまでのこと全部、あなたが悪いのよ。私を馬鹿にし、私を見下し、嘘をつきまくり、傷つけまくった、あなたが悪いのよ。」と。彼を許す気は起きませんでした。


それから間もなく、バリ島でもコロナのパンデミックによるロックダウンがスタートし、私が勤めていたサーフスクールも休業することになりました。それまでは、嫌が上にも毎日彼の姿を見なければならなかった日常が一変し、これまでになく心穏やかな毎日を過ごしました。それに、『思考が現実を創る』ことの学びも一段落し、無理矢理に幸せなイメージを送り出すことも辞めて、今という時間を思い切り楽しんで過ごしました。そして、この時から本格的に始めたヨガを通じて、新しい日本人との出会いにも恵まれ、久しぶりに母国語で話せる相手とたくさん語り合い、楽しい時間を共有することで、それまでの狭い世界がどんどんと広がっていくような感覚を覚えました。そうして、ごく自然と、彼のことを思い出す時間が減っていきました。
そんなある日、現地の友人達とサーフィンに出かけたところ、彼もその場に居合わせていました。彼は私を食事に誘ってきましたが、今の自分ならば大丈夫だろうと判断した私は、彼の誘いを受けました。久々に会う彼は、以前と比べて落ち着きが増し、とても穏やかな雰囲気になっていました。そしてこの時、彼が彼女と別れたことを聞きました。その理由を尋ねると、私に黙って日本に行った時、やはり彼女との性格の不一致を強く感じたらしく、しばらくして彼女に別れを申し入れたところ、彼女も渋々合意してくれたのだと話してくれました。これについては彼は嘘を言っていないと感じました。そして、やっとこの時から、私と彼の関係は、これまでになく平和なものへと変化していきました。彼女から彼を奪いたいと必死になって彼を追っていた感覚がなくなり、適度な距離感を保ちながら彼と付き合っていけるようになりました。



このように自分自身が変化できたのは、新しい出会いの賜物でした。この時に出会った全員が、それぞれに自分自身と向き合い、大切に人生を歩んでいる人ばかりだったので、とても良い刺激を受けていたのです。その中でも、同郷の福岡からバリ島に来ていた、ちーちゃんという女性は、私には無い彼女ならではの視点で世の中を捉えていて、彼女からたくさんの新しい感覚や気づきをもたらされました。そして、いつの間にか、何でも話し合える仲になっていきました。しかし、堕胎のことについては、なかなか彼女にさえ打ち明けられませんでした。
そんなある日、他の人を交えて一緒に食事をしていた時、ひょんなことから彼女にこの事を話す機会を得ました。見えない存在からのメッセージを受けとれる特殊な能力を持つ彼女は、当時見えない世界についての学びを深めるため、バリ島奥地のジャングルに住む一人の女性シャーマンに師事していました。そして、水子の供養についてそのシャーマンに相談してみようと私を誘ってくれたのです。私は即諾し、彼女と共にジャングルに赴きました。私がその女性シャーマンにこれまでの経緯を話すと、その魂を天界に戻してあげるための儀式を、後日、執り行ってもらえることになりました。


「まゆこさん、彼にも儀式に来てほしい?」ちーちゃんのこの問いに対して、私は「そうだね、二人の間に来てくれた命のことだから、彼にも一緒に来てほしいけど、彼の判断に任せるよ。だから来てもいいし、来なくてもオッケーだよ。」と答えました。そして、彼にこのことについて伝えました。彼はどうすべきなのか、その場で答えることが出来ないようだったので、その日までに返事をくれるように約束しました。
儀式の前日、ちーちゃんと彼と私とで出かける用事がありました。彼と二人きりになった時、彼は私にこう言ってきました。「ごめんね、明日は一緒に行けない。儀式はバリの宗教のしきたりに沿って行われるんだよね。僕の宗教では、他宗教の儀式に参加することを禁止されているんだ。」私は、彼が参加しようが参加しまいが、彼の意思を尊重しようと決めていましたが、実際に断られてしまうと、少なからずショックを受けました。どちらでも良いなんて、ただの強がりだったんだと気がつきました。その後も、彼とちーちゃんの何気ない会話から、彼との恋愛に悩んでいた当時のネガティブな感情が蘇ってきたりして、さらに気分が沈み込んでいきました。彼と別れて、ちーちゃんと二人きりになった途端、溜まっていた悲しみが溢れ出し、私は泣きじゃくりました。
そして、迎えた儀式当日。それはそれは、摩訶不思議で美しい式でした。ごめんなさいと何度も心の中で謝りながら、赤ちゃんの魂が在るべきところに無事に戻ってくれるように祈りました。


儀式が終わった後も、彼との間にはこれまでと変わらない時間が過ぎているかのように見えましたが、私の心には徐々に変化が芽生え始めていました。「私たち二人の赤ちゃんの儀式だったのに、彼は参加してくれなかった。やっぱり彼は私に対して責任を負うことを避けているんじゃないかな。」と。実は、私たちの関係は恋人同然のものでありながら、正式に“彼氏と彼女”になった訳ではありませんでした。私は、このまま二人にとって心地よい関係を続けて、いつかのタイミングで彼と恋人同士になれたらいいなと願っていました。しかし、儀式について彼とやり取りする中で、恋人という肩書きのない私たちの関係について、隠しきれない不安が一気に押し寄せるようになりました。「彼は本当のところ、私のことをどう思っているのだろう。彼はこれから、私との関係をどうしていきたいのだろう。」聞けばすぐに答えが出る簡単な質問なのに、この質問をすることによって、せっかく築いた彼との心地良い関係が再び壊れかねないということが心配だったのです。そして、そうやって不安を感じていると、次々と別の不安な出来事が起きてきました。ある時、彼がインスタグラムのストーリーを、私には見れないように設定していると疑いたくなることがありました。またもや、私は彼に嘘をつかれて悲しかった当時の気持ちを思い出してしまいました。でも、今の私は昔の私とは違うんだから、嫌なものは嫌だ、やめてほしいことはやめてと彼に伝えようと意を固め、彼の家に向かいました。そして、「あのね、あなたに言いたい事があるの。」と話を切り出した時、彼の方からも「僕も今日、まゆにきちんと伝えたいことがあるんだ。」と言われました。思いがけずびっくりしている私に、彼は「まゆは僕にとって、何ていう存在?」と質問してきました。しばらく黙り込んだ私は「それが分からないからずっと知りたかった。でも、あなたの彼女になりたいという気持ちは、今でも変わらずにある。」と答えました。「まゆは彼女じゃないのに、僕にいつもよくしてくれる。でも、そうやって、まゆに甘え続けて恋人同士みたいな関係を続けているのが、まゆにとっても、僕にとっても良くないことだと思ったんだ。僕は今は誰とも付き合う気がない。だから、もし僕がこういう関係を続けたら、まゆが他の人と知り合ったり、結婚するチャンスも奪ってしまうことになる。だからもう、こういう関係はお終いにしないといけないと思ったんだ。まゆとは親友として、これからも付き合っていきたい。」彼のこの言葉は、まだ私と彼の関係が始まって間もなく、彼が日本から帰ってきた時に言われたのと同じフレーズだと思いました。もう二年近く、彼の彼女になりたいと頑張ってきたけど、やっぱり彼にはどうしても私を彼女にできない何かがある。悲しいけど、もう十分に頑張ったから、彼の思いを受け止めて、親友としての新しい関係を築いていこうと決意しました。彼との特別な関係が終わることへの寂しさや、彼が私のことを考えてくれたことへの喜びと感謝や、やっと気がかりだったことに答えが見つかった爽快さなど、色々な感情が入り乱れ、彼の部屋で嗚咽するほど泣きました。
帰宅してすぐに、ちーちゃんにこの話を聞いてもらいました。彼女は、「うんうん。まゆこさん、大丈夫。まゆこさんが幸せになってるところしか見えないよ。」そう言ってくれました。
しかし、その日から間もなく、私も可愛がっていた彼の愛犬が怪我をしてしまい、私たちは一緒に動物病院に行くことになりました。診察を終えて彼の家に戻ってきた時、私たちはまた関係を持ってしまいました。お互いに親友になると決意したはずなのに、いとも簡単にその誓いを破ってしまいました。このままでは、またこれまでと同じ関係が続いてしまうだろうと思いました。


そしてある日、ちーちゃんとお世話になっている男性とで、私の失恋を励ますための食事会を開いてくれました。私はお酒が入っていたこともあり、彼の話題が登るたびに少しずつイライラの感情が湧き起こるのを感じていました。そして、盛り上がった私たちは、その後、他の知り合いも交えて、この男性が営むレストランで飲み直すことになりました。この日は、遠方の宿泊先に帰らなければならないちーちゃんの送迎を、例の彼がすることになっていたので、ちーちゃんは彼に迎えのための連絡を取り始めました。数分後、その場に到着した彼に「少しだけ、飲んでいきなよ。」と男性が声を掛けました。私を気遣ったちーちゃんは、「まゆこさん、大丈夫?彼にいてほしくなかったら、私はすぐに出発するからね。」と言ってくれましたが、私は大丈夫だと答えました。
私は彼から離れた席に座っていましたが、楽しそうにしている彼を見て、イライラを通り越した激しい怒りの感情が湧き上がってきました。「せっかく私が見つけた新しい人間関係の中にずけずけと入ってくるな。いつまでも、私の邪魔してくるな。」と、心の中で誰かが叫んでいるような感覚でした。そして、男性の「まゆちゃん、この人すごくいい人じゃん。」という一言で、私の怒りは爆発しました。「この人は、全然いい人なんかじゃないですよ!この人は、私に妊娠させて、中絶させた最低最悪の男なんですよ!」そこにいた全員の前で彼を吊し上げました。長きにわたり積り積もった彼への怒りと、もういい加減に目を覚ませという自分に向けての怒りでした。彼は、怒っているような、幻滅したかのような、悲しそうな、何とも言えない表情でこちらを見ていました。私は、席から立ち上がり駐車場の方に向かう彼を追いかけ、胸ぐらをつかみ、こう言いました。「あなたは、いつだって逃げてばかり。都合の悪いことから苦手ばかり。最低の人間だね!」と。彼は無言で私を睨みつけ、その場から立ち去っていきました。私は人目もくれず泣き崩れました。


昨夜の重たい気持ちを引きずったまま、翌朝を迎えました。そして、何か彼から連絡が来ているだろうかと、ワッツアップアプリを開きました。見事に彼の連絡先は消えていました。ブロックされたのです。彼と繋がりのあった他のあらゆるSNSも全てブロックされていました。今までなら、すぐさま彼の家に押しかけて、必死に謝って何とか許してもらおうとしていたのですが、この時は、「彼にこの関係を完全に終わらせるためのチャンスをもらっているんだ。だから、これを機会に本気で自分自身の内側を見つめ直してみよう。」と決めました。私の状況を察知していたちーちゃんも、あえて私に連絡をせずにいてくれました。そうして、私は私一人で自分自身と対峙することに集中したのでした。数日間、私は自分の心と対話し続けました。そして遂に、この彼との間に起きた数々の辛い出来事だけでなく、これまでの長い年月、私が恋愛に悩み、苦しみ続けてきた原因を、はっきりと自分の中に見つけることができました。その原因が分かった時、『思考が現実を創っている』という真理に深く納得しました。そして、大きな大きな安心感に包まれ、「これでもう、私は大丈夫だ。」と、心の底から思えました。
ひとつ、彼に酷いことをしてしまったのに、謝罪が出来ていないことが気掛かりでした。彼を傷つけてしまったことに罪悪感が残ったままでしたが、きっとそのうちに彼に謝ることができる機会が与えられるだろうと、全てを自然の流れに任せることにしました。すると、数週間後の夜、予期せずノックされたドアを開けると、そこには彼の姿がありました。「伝えたいことがあるの。」という彼を部屋に入れて話をしました。私の方から「大勢の人の前で、あなたを辱めるような酷いことを言ってしまって、本当にごめんなさい。」と彼に謝罪しました。すると、彼も「僕こそ本当にごめんなさい。あの時のこと、まゆは全然悪くないよ。これまで僕たちが出会ってから、ずっとずっとまゆに酷いことばかりしてきて、本当にごめんなさい。まゆは僕のせいで、ずっとずっと怒りを溜めてきたから、あの夜、怒りが爆発したんだって分かったんだ。僕は、本当に悪い人間だった。今までのこと、本当にごめんなさい。」と、涙ながらに伝えてくれました。その彼の涙は、すごく純粋で美しささえ感じさせるものでした。彼も彼なりに自分自身と向き合ってくれたからこその美しい涙なのだと思いました。私は心からありがたく、なんとも温かい気持ちになりました。

そして、「まゆのこと、今でも大好きだよ。僕と付き合ってくれる?」と言ってくれたのです。ずっと聞きたかった言葉が、やっと彼の口から聞けたこと、本当に嬉しかったです。辛かった過去の全てが、報われたかのように感じました。
そして、この時すでに別の未来に続く道を歩むことを決意していた私は、彼にありがとうと、さようならを告げ、一年十ヶ月に及ぶ、彼との恋愛に完全に終止符を打ちました。


こうして、長きにわたり続けてきた、“真実の愛を探す旅”は幕を閉じました。幕引きのきっかけを与えてくれたこの彼と、彼との間に起こった全ての出来事に、心から感謝を送ります。
そして、これまで私を見守り続けてくれた両親と家族に感謝します。
天に戻っていった小さな命に、また、私と出会ってくださった皆様全員の命に感謝します。
そして、新しい未来への道を選んだ自分と、
その先に待ってくれていた愛する夫と娘にも感謝を送ります。

私の恋愛暗黒時代、完。











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