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どっちがいい、じゃない。どっちもあるのが素晴らしい


長年暮らした東京から一年前に
軽井沢に移住した。

4月の頭、かなり久々に
何日間か東京に帰り実家に滞在。

実家は、昔ながらのこまこました区画と、
活気がある商店街が残っている地域にある。

家と家の間がとにかく近い。
道路は、教習所のクランクカーブ並の幅と角度。
道路の割れ目から野草がワイルドに生えている。

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普通の道端がもはやジャングル@東京


スペースがゆったりして、
春とはいえまだまだ寒い日も多い
軽井沢に慣れた身体の感覚からすると、
何もかもがぎゅぎゅっと濃くて、
勢いがいいようにみえる。

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春はまだほんの少し顔を出した程度@軽井沢


日が暮れてから、4歳の娘と歩いて
商店街に買い物に出かけた。

街灯とお店の光で夜なのにとっても明るい。
どのお店もテイクアウトを軒先に用意していて
美味しそうなごはんの匂いが漂っている。
自動車と自転車と歩行者が
ごちゃまぜに通り過ぎる。

暗くなってから外を歩くなんて
しかも暗くなっても明るいだなんて
この一年なかったので、
娘もわくわくと楽しそうだ。

ほのかなざわめきに身を浸し、
ぼうわりと輝く道を歩いていると、
どきどきしてきて無性に人恋しくなった。

ああ、レストランで、
わいわいと友達と一緒にご飯食べたいな。

次の日、仕事の関係で皇居のあたりにいった。
その帰り、夕暮れ時のお堀沿いを歩いていたら
やたらとおしゃれなシーンが浮かんでくる。

ああ、とってもきれいな
細いグラスに入ったシャンパンを
テラスで風に吹かれて飲みたいな。
アフタヌーンティーなんかもいいかもしれない。
きれいな服を着て。ハイヒール履いて。


東京のざわめき、
バイブレーションの中にいるだけで、
何もしなくても、テンションが勝手に上がって
いろんな活動をしたくなる。
会いたいし飲みたいし食べたい。
そのためにおしゃれもしたいし
買い物ももしたい、って。

そんな人の気持ちの上に経済が回っている。

だからこの街でのステイホームって
本当に大変だっただろうなあ、と思う。
住んでいる人も、経済も。

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東京の夜(数年前の撮影)


数日後、軽井沢に戻った瞬間、
東京であれこれやりたいと思っていた気持ちが
すーっとどこかへ消えていった。

軽井沢に住んで一年。
自分の病気やらコロナやら
いろいろあったからだけれど
人と会いたい、とか、
レストランに行きたい、とか
おしゃれしたい、とか、全然思わなかった。

一日中とても静か。聞こえるのはいろんな鳥、時々雉。
日が暮れたら見事に真っ暗だから
夜に外を歩く時は懐中電灯を持って出て、
宅急便が20時にくると、
こんな夜に?とびっくり。
その代わり朝は自然と早くなり
太陽が出てくるとごそごそと動き出す。

外から働きかけてくるノイズがほぼないので
自ずと意識が自分の中、
そして自分の近しい人に向かう。
たまーにランチを外食したりすればそれで十分。
コロナとか関係なく、
そもそもデフォルトがステイホーム。

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軽井沢の朝焼け


外の静けさに呼応して自分の内側も静かになり
自分の体や心の動きに敏感になり
相対的な価値観が消えて、
近い人たちとの時間が
ゆっくり積み上がる軽井沢。
穏やか。でもいわゆる「刺激」は少ない。

いるだけでテンションが無意識のうちに上がって
だからいろんな活動や出会いが起こって
新しいことが生まれ続ける東京。
楽しい。でも知らない間に結構疲れてたり。


どっちがいい、とかいうことじゃなくて、
どっちもある。
それが素晴らしいことなんだと思う。

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