鬼嫁(?)ミエちゃんの涙

 5月のよく晴れた日、岐阜の祖母が亡くなった。老衰で、すうっと煙が立ち昇るように逝ってしまった。父の三男のお嫁さん、ミエちゃんが祖母を病院に連れて行く為施設に迎えに行っていた時の事で、祖母はミエちゃんに看取られて静かに旅立った。

 私は幼少の頃から叔父が大好きだった。当時銀行に就職したばかりの若い叔父は私の事を可愛がってくれ、父の実家ではいつも叔父にお風呂に入れて貰い、叔父の布団で寝ていた。幼稚園児だった私はてっきり、自分は叔父のお嫁さんになるものだと思い込んでいた。
 叔父が結婚する事を知った時、私は少なからずショックを受けたものだ。でも叔父が連れて来たミエちゃんを一目見た時、私はすっかりミエちゃんのファンになってしまった。ミエちゃんは銀行で働くOLさんで、パーマのかかったショートヘアに流行の鮮やかなプリント地のワンピースを身に纏っていた。格好の良いすらっとした美人で、何よりも私を子供扱いせず、媚びた態度を一切見せなかったのだ。
 反対に祖母はミエちゃんの事がいたく気に入らなかった。気の強いミエちゃんは祖母に対しても言うべき事は言うし、一切媚びない。祖母は事ある毎にミエちゃんを詰り、陰で鬼嫁だと悪口を言う。
「ミエちゃんがこないだ金のブレスレットをしていた。贅沢だ!」
「ミエちゃんにこないだ注意したら、こんな風に言い返された!」
叔父夫婦はなかなか子宝に恵まれず、それも祖母にとっては格好のネタだった。年に1〜2回しか会わない私にでさえ、祖母は開口一番ミエちゃんの悪口を垂れ流すのだ。ミエちゃんはさぞ悔しかっただろう。
 そんな叔父夫婦も3人の子宝に恵まれ、今は6人の孫に囲まれて幸せに暮らしている。

 祖父母は次男夫婦と同居していたのだが、祖父が亡くなってから争いが絶えなかったらしく、自分で施設を探してそこに移り住んだ。私の両親は故郷を離れて都会で暮らしているので、祖母の身の回りの面倒は皆ミエちゃんがみてくれていた。祖母は施設でもミエちゃんの言動に腹を立てたり、買ってきてくれたものにケチを付けるなど散々な態度を取っていたのだが、ミエちゃんは相応に言い返しつつ、祖母の元に通っていた。
 毒舌だった祖母が変わったのは今年に入ってからだ。両親とミエちゃんが祖母に会いに行くと、祖母は何とミエちゃんの事を褒めたのだという。
「ミエちゃんが良くしてくれて、本当にありがたいよ。」
 そしてしきりに皆で鰻を食べに行こう、これから行こうと言って聞かなかったのだそうだ。食が細りほとんど食べられなくなっているのに、連れて行ってくれれば自分はタクシーで帰るから、と粘ったらしい。
 これを聞いて私は祖母はもうそう長くないと睨んだ。あの祖母がミエちゃんに感謝するなんて、尋常ではない。案の定、祖母はあっさり旅立ってしまった。ミエちゃんの顔を見て、安心して逝ったに違いない。恐らく祖母もミエちゃんの事が大好きだったのだろう。本当はずっと感謝していたに違いない。目の中に入れても痛くない程可愛がっていた三男の叔父を奪ったお嫁さんだから、複雑な想いを抱えていたのだろうが。

 祖母の葬儀の朝、不意にミエちゃんがお棺に鰻を入れたいと言い出した。生ものは入れられないと言う葬儀社の人を説き伏せ、許可を貰ったミエちゃんは車で鰻を買いに走り、祖母の枕元に小さな鰻の切れ端をそっと置いた。
 喪主は長男の父ではなく、三男の叔父だった。私達孫は若い頃から戦争で苦労した働き者の祖母を想い、叔父の弔辞に皆涙した。祖母は頭が良く、肝の座った、逞しい女性だった。愛も毒も合わせ持つ、人として魅力的な祖母だった。そんな中ミエちゃんは気丈にしっかり場を仕切り、身内だけのこじんまりとした葬儀は滞り無く終わった。
 火葬場に皆で移動して最期のお別れをし、祖母の棺が動き出した瞬間の事だ。遂にミエちゃんの両目から涙が溢れた。あんな祖母だが、ミエちゃんも祖母が好きだったのだろう。そして祖母の気持ちを理解していたから、最期まで面倒を見れたのだろう。ミエちゃんは祖母の遺影をぎゅうっと抱きしめながら、家路についた。


 ミエちゃんはやっぱり素敵な女だ。大好きな叔父が見初めただけの事はある、とあらためて思い知らされたのだった。

 


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