見出し画像

くさる日々から抜け出して得た本物のチャイの味

語学学校には9ヶ月も行った。
行ってみて気づいたのだけど、9ヶ月は自分を腐さすには十分の長い日々だった。オンリーイングリッシュの環境だと、全く話せない状態から、会話は長くて3ヶ月もあれば話せるようになった。残りの6ヶ月は、もはやなんのためにそこにいるのかわからないくらいの怠惰な日々だった。

ほとんどの人は、仕事の合間、学校の合間の休暇をつかって参加するから1ヶ月、ながくても3ヶ月くらいで大体いなくなる。仲良くなったお友達を見送るのはいつも私だった。語学だけを学ぶのではなく大学などに編入するという案も考えればよかったのだが、そんな先のことまで想定できなかった。
なんということか、私は渡航前に9ヶ月の料金を一括で払っていたのだ。

変えられなかった。いや、いま思えば変えられなかったんじゃない。払ったお金を手放して、違う場所に行くのもありだったと思う。でも学生時代一生懸命バイトして貯めて本気の思いをこめて投入したお金をドブに捨てることは出来なかった。

授業が終わって話されるいつもの会話があった。
What's your name?
Why did you come here?
How long have you been?

最初は楽しかった多くの出会いも、ひとサイクルが終わると新しいメンバーがきて、同じフレーズが繰り返される。くそほど(笑)、じゃなくて、何万回と話される同じフレーズにうんざりした。そして、休憩所にあるまずいインスタントコーヒーの匂い、味にも、飽き飽きしてた。

そうはいっても時間は過ぎて行く。それに焦りを覚えていた。
ここにいてはいけない。カナダ人に出会いネイティブな英語を話すんだ。そう思って町に出て、いろんな場所に顔をだした。

日本語のエクスチェンジパートナーを探したり、NPO団体グリーンピースへメールした。週末のマーケットで売り子もした。もちろん、女性ということで声をかけてくる人ともチャンスだと思って話した。
このころ21歳、怖いもの知らずだったし、本音を言ってしまうと、女性ということを使うことが”英語を話せるようになりたい”自分の願いを成し遂げる方法として、一番の安易な方法だった。

私はその時何を考えていたのだろうか。日本にいる大学の同級生には体験し得ないものをめっぱい体験したい。1年のギャップイヤーをブランクと定義し、他の人との比較の上に感情がのっていた。そういう劣等感と焦りと孤独と戦っていたのだと思う。

そんな折、出逢ったのが、唯一カナダで友人と呼べる二人だった。家の近くに住んでたインド人のスカイと仲間のギリシャ人のエリアスだった。私たちはよく三人で一緒に行動していた。

目が大きく背が小さい”チビ黒サンボ”のようなスカイと、お相撲さんみたいな体型で髪の薄い”小錦をサイズダウンさせた白人”様なエリアス、凸凹な2人のコンビ。それに黄色人種で中肉中背の私が入ると、なんだかよい塩梅のインターナショナルなドリカムの3人だった。

スカイは自分の母国バラナシから輸入した木製製品を、エリアスはギリシャから宝石をマーケットで売りながら生計をたてていた。毎週末のマーケットが私には楽しみになった。

彼らはいまを生きていた。
語学学校に来た裕福な人たちからは感じない、生きる、繋がるを肌で感じた。そして、なにより2人は私を若い女、日本人という属性ではなく、人間そのものとして扱ってくれた。

一番覚えてるのは、スカイが夜にバラナシ製のチャイを作ってくれたことだった。チャイを飲みながら彼のおすすめのインド映画を見た。貧乏だったけど、それが彼にとっての最高のおもてなしだったのだ。その時のスパイスと紅茶の香り、彼の家の匂いで、彼の故郷のバラナシを少しだけ感じた。

清水の舞台に飛び込むつもりで払った、なけなしの語学学校費用9ヶ月分のおかげで、金額に見合わないほど大きな出会いと体験を私は受け取っていたんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?