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いやはや強い孤独を感じたいただのどMなのか

笑っててもたぶん目は必死だったと思う。

学生時代にカナダに行った時のこと。語学学校にはいろんな国の人がいて、メキシコ、ブラジル、韓国、トルコ、タイ...文化が混ざり合う場所だった。

授業中でのオンリーイングリッシュはどこへやら、休み時間になるとフロアは知らない言語が飛び交い、ここはどこかな?と一瞬自分のいる場を疑ってしまうほど英語圏ではないミックストカルチャーの場所だった。みんな、英語をつかって他国の人と交流はするものの、それぞれの訛りで理解しきれないこともあったのだろう、結局はつるんでも日本人と韓国人、メキシコ人とブラジル人など、近隣諸国で文化が似ている地域で固まっていることが多かった。
それをみて私はというと、怒りとともにいらいらしていたのだ。

渡航前から、半年間はぜったいに英語しか話さないぞ、となんだか自分に強い脅迫感をもってこの留学をきめていた。日本人のグループを避け、日本語で話しかけれらても必ず英語で返し、もちろん親にも連絡は取らない。日本語を徹底的に除去したかった。今考えてみたら、ほんと性格悪いやつだったなと思う。もしくは、絡みにくいやつ。

そして、なぜか、ひたすら自分とあきらかに違う南米グループの人たちの輪に入り、彼らのスペイン語訛りの英語に食らいついていた。
”食らいついていた”と表現することにある意味、痛みが伴っていることに気づく。そうそう、英語が不得意のまま日本を旅立ったから英語自体もわからないのに、それに加えてスペイン語訛りが入るスパングリッシュには初めは到底ついていけなかった。
例えば、ある日の休憩時間、友人たちはビゴテ(スペイン語でヒゲという意味なのだが)という言葉を使って何やら大笑いしているのだが、私には何が面白いのかわからなかった。一瞬しーんとした空気を感じながらも、わからないながらに相手の空気を感じとって、私も笑っていた。

私の顔はいつも楽しいというより、必死だったと思う。聞き取り、返すのに精一杯だった。時には取り残されることもあった。強い孤独を感じて落ち込むこともあった。

ただ、いま思い出しても、当時もね、それは辛いわけではなかった、のだと思う。

何かに惹かれてたんだよね。何かに惹かれて、自分にはない文化、しぐさ、ありかた、笑顔、何かを感じとり、得たかった。

でも、そのくらいつきがあったからこそ、いつもポジティブで人から愛されるメキシコ人のルルは、大笑いの絶えないテオティワカンの旅をともにする仲間となってくれたし、思慮深くていつも私のことを案じて、「人生は、DRIVE MY LIFEだよ、まゆ」とアドバイスをくれたブラジル人のジョセは私の生涯のメンターとなってくれた。

わかりあえないところから、ひたすら心惹かれるものにくらいついていたら、見えないカラフルな景色が見えてきた。そんな感覚だった。

成長したい欲求の癖が強すぎて、自分を追い込みがちなどMさんが自作自演してる私劇場に苦笑してしまうけれど、人と人とはわかりあえない、でも異質なもの同士だからこそ、重ね合いわかちあうことが愛おしい、そんな私の原点はここにあるんだなと思う。

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