小説『ママのまほうのにんじんホットケーキ』(再掲)
ショリショリショリショリ。
だいどころからおとがするよ。
これはママがにんじんをけずっているおと。
ショリショリショリショリ、おとがする。
ママはあたしのために、いつもたくさんのにんじんをいれてホットケーキをやいてくれる。だからできあがるホットケーキはいつもほんのりあかい。たべてもでも、にんじんのあじはよくわからない。だけどほんのりあまく、このあまさが、ママがいうにはにんじんの、おやさいの、しぜんなあまさということらしい。
まあるいあまさね、とママはよくいう。へえ、そうなのかあ、とあたしはいいながらもほんとうはそのことがよくわからなかったけれど、このまえ、おともだちのおうちでだされたホットケーキをたべて、そのいみがよくわかった。
おともだちのママがやいてくれたホットケーキもまんまるのすべすべのふかふかで、みためはとってもきれいでおいしそうだったけれど、いろはあたしのママのホットケーキとちがくてきいろくて、たべたらなんだかものたりなかった。あまいけれど、ママがよくいうまあるいあまさはかんじなかった。
そうだ、まるくないならしかくいあまさというのかな。ちがう、さんかくのあまさだったのかもしれない。ともかく、ママのつくるにんじんホットケーキの、あたしをほっとさせるおいしさは、そのホットケーキからはかんじられなかったのだった。
あたしはだから、ひそかに、えっへん、とおもった。にんじんがはいっているホットケーキのおいしさをしっているのはあたしのじまんだ。そしてそれはどうじに、ママのじまんだと。
ママはいっしょけんめい、きょうもショリショリショリショリにんじんをけずってくれる。
なんで、うちのホットケーキにはにんじんがはいるの?とまえにきいたら、ママはにっこりわらい、まほうでえいようがたっぷりはいるのよ、といった。
まほう?ときいたら、これはおいしいまほうといって、にっこりわらう。
ママはときどきへんなことをいう。あたしだって、こどもだけど、さすがにママがまほうつかいじゃないことくらいわかっている。けれどママはいうのだ。あなたがげんきにいきるためのえいようを、ママはちゃんとあなたにおいしくとってもらいたいの。にんじんすき?すきならよかった。でもたぶん、にんじんがきらいなこでも、これならきっとおいしくたべられるのよ。だからこれはすてきなまほう、と。
ママはちょっとゴウジョウだから(これはさいきんしったことば。だからさっそくつかってみたけど、あっているかな)、まほうだといってゆずらないから、あたしもしかたなく、それをまほうだとしんじてあげる。
だからママはきょうもまほうをつかって、ショリショリショリショリ、にんじんをけずる。ママのつくるホットケーキはまんまるのふかふかのすべすべで、いろはほんのりあかい。たべればそれは、まあるいあまさ。
おいしい?とママがきくから、あたしは、うん、とこたえる。おなかいっぱい、でもきれいにぜんぶたべる。からっぽになったおさらをみると、ママは、えらいね、といっていつもあたまをなでなで、うれしそうにほめてくれる。そのくらい、おやすいごようだ、とあたしはおもう(これもさいきんしったことばで、しぶいことばだね、とパパはわらった)。
ショリショリショリショリ。
ママのまほう。
ショリショリショリショリ。
ママのあいじょう。
あたしがげんきにいきるためのママのあいじょうたっぷりつまった、にんじんホットケーキ。
それを私は今日もつくる。
生まれてきた息子が元気に育つようにと。
生まれたときは保育器に入ってしまうほど小さな子だったから、私と夫はこの子がどうか元気に育ってくれるようにと神様に何度も祈った。その祈りがきっと伝わったのだろう。彼は今、とても元気でやんちゃな子に育った。
そのとき一緒に祈ってくれた母と今日はチャンバラごっこをして、私をヒヤヒヤさせた。男の子はこのくらいヤンチャじゃなくっちゃと母は言うけど、母だってもういい年なのだから、怪我でもさせたら困ると思う。
この子はいったい誰に似たのだろうかとため息をつくと、あなたも結構おてんばだったのよ、と母に笑われてしまう。
「じゃあ、ばあば、また遊ぼうね!」
息子の言葉に母は嬉しそうに笑顔をみせて、またおいで、と手をふってくれる。
「お腹すいたね、今日はじゃあ、おやつにホットケーキをつくろうかな」
帰り道、息子の手をとり言うと、
「やったー、ホットケーキ、ホットケーキ!」
息子がはしゃぐ。
ショリショリショリショリ。
私はにんじんを擂る。
小さなにんじんのときは一本、大きいにんじんのときは半分。
息子がこれからも元気に育ってくれるようにと思いを込めて。
ショリショリショリショリ。
これからの彼の末永い人生が健やかであるようにと祈りを込めて。
本当はにんじんが苦手な息子だけれど、入っていることに気づかず、ただ出されたホットケーキをおいしいよ、と言って嬉しそうに食べる。空っぽになったお皿を見ると、それだけで私は、よし!、と思う。
おいしいよママ、と息子が笑う。うれしいな、と私も微笑む。目と目があって、二人でふふふ。息子とすごす、たのしい時間。
ショリショリショリショリ。
このひと手間が、彼が生きる栄養になっていく。
私がまだあたしだったあのころ、私はこれがまほうだなんて、到底まだ分からなかったけれども今なら分かる。母のまほうは母の愛情、そして誰かの幸せを祈る優しい思い。
息子が好きな、おいしいまほうのにんじんホットケーキ。
これは今、ばあばになった母から受け継いだ素敵なまほうでできている。
(了)
※本作は2021年2月に投稿した小説の再投稿になります。
お読みいただきありがとうございます。