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新しい手帳

新しい手帳を今、デスクのうえに置いている。
そしてその手帳を見るたびに、今年はこんな年になるといいな、なんてことを想像している。今年はこんなふうに良い年になるといいな、なんて、まるで願いでもかけるように。

きっと、手帳を買う多くの人はこんなふうに、新しい手帳を手にしたとたん、未来の自分について思いを馳せるのかもしれない。それって結構、良い行いだ。意識がしっかりと前を向く。それはもちろん明るい方へ。久しぶりに手帳を購入してみたら、そんなことに改めてふと気がつかされた。

というのも、ここ数年はずっと手帳を持っていなかった。といっても、携帯等のデジタルで管理していたわけではなく(アナログ式に書き込むのが好きなので)、ネットの無料カレンダーを印刷したものをピラッと一枚持ち歩き、そこにざっくりと予定を書きこんでやり過ごしていた。なぜかといえば、その方がラクチンだから。月別のカレンダーゆえ、書き込むスペースが小さいので多くを書きこむことが出来ず、それが返ってシンプルで済むという利点にもなって、なんとなく気持ちが楽だったのだ(それに月ごとに持ち歩くので超軽量)。

しかしなんとなくここにきて、急に手帳を持ちたくなった。べつに今年、何か特別な予定があるというわけではない。けれども急に襟を正すみたいな感覚で手帳が欲しくなり、それでちゃんとした手帳を久しぶりに購入してみたのだった。すると、気持ちがちょっと、華やいだ。手帳を持つのって、こんな感覚だったっけ?と新鮮な気分にもなった。そして冒頭にも書いたように、未来に思いが飛んで、同時に希望も湧いた。良い年になるといいなあ、なんて願いまでこめて。

そういえば、そもそもなんであるときから手帳を買うのをやめたのかといえば、手帳というものに疲労したからだった。正確にいえば、予定モロモロきちきち管理している自分自身になんとなく疲労してしまったのだった。どうも手帳があると、何かを書き入れたくなる。予定はもちろん、記録しておきたい出来事とか、目標とか希望とかしたいことリストとか、スケジュール以外のことまでちょっと書き入れて、それをマメに見なおしてしまう。それはある意味、手帳の活用法としてはわりと普通のことなのだろうけど、その普通のことがあるときからちょっと面倒臭くなってしまった。

もしかしたら当時、自分はちょっと疲労していたのかもしれない。べつにハードスケジュールだったというわけではなかったけれど、手帳があると何かに管理されているような気分になってしまい、その煩わしさから解放されるため、しばらく手帳をやめてみることにしたのだった。すると、良い具合にゆるむ。良い具合に適当になる。その日の気分第一優先になり、予定がどうでもよくなった(もちろん、人との約束や守る必要のあるものは守るけれど)。

そんなゆるゆる期間を経てエネルギーチャージができたおかげかは分からないけれど、久方ぶりに手帳を手にしてみたら、気分が良い具合に引き締まった。そして管理するも何もなく、単純にこの新しい手帳に楽しい予定を入れていきたいな、という純粋な思いでワクワクしている。

もう、以前みたいにきちきちはしない。手帳活用に凝ることもしない。今年は肩の力を抜いて、手帳と仲良くつきあおうと思っている。


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