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優しい空気感

人それぞれ持っている空気感のようなものがあるけれど、複数人が集まったときにはその空気感がポワンとひとつにまとまって膨らんで、その組み合わせによって形状をさまざまに変えるような気がする。

たとえば、調和のとれている組み合わせだときめ細やかでふんわりしたきれいな丸いドーム状の空気感に包まれるけれど、その関係性のなかに摩擦や軋轢や何かウソがある場合になると、トゲトゲしたいびつな形をしたドーム状の空気感に包まれるような。

もちろん、自分の目には実際にその形や色が見えるわけではないのでそれらはあくまで例えなのだけれど、人の集まりを眺めたときにふいにそんなことを感じることがあって、その空気感が自分にとって心地よいものだと、それだけで「あ、いいな」なんて胸のあたりがほっこりとする。

そしてつい先日入ったカフェでもそんな、「あ、いいな」と思う空気感のカップルを見かけた。

自分の座った席の目の前、向かい合うような形でカップルがテーブルを挟んで座っていたのだけれど、見たとたん、彼らから発せられる心地よい空気を胸のあたりに感じて、思わず怪しいものではないけれど、チラチラと眺めてしまった。

彼らは二十代か三十代くらいで、おそらく夫婦。二人とも似たようなナチュラルな色合いの装いで、同じアイスティーを頼んでいた。最初は仲睦まじくお喋りをしていた二人だったが、ほどなくしてそれぞれ向かい合いながらも別の作業をし始めた。女性はノートパソコンを取り出しパチパチと何かのお仕事をし始め、男性はその向かい側でノートを開き何やら書き物をし始めている。ときどき目を合わせて軽く会話を交わしながらも、それぞれ自分の作業に集中している。

もしこれが、他人同士や距離感のある相手だとしたらたぶん、それぞれの作業に没頭しているときには、それぞれがカプセルのなかに入るようにして一人ずつドーム状の空気感に包まれるのだろうと思う。けれど、その目の前にいるカップルはそれぞれが違う作業に没頭しながらも一つのまとまった大きな柔らかい空気に包まれているようで、そのなんとも平和で優しい空気感が、その周辺の空気までも一緒にキラキラときれいにしてくれているように、自分には感じられたのだった。

おそらく見かけたその二人の関係性は調和がとれていて、お互いへの信頼というのか、自由の尊重というのか、そうしたことが土台として自然にあるのだろう。それは二人だからこそ生まれる空気感、というのもあるのだろうけど、それ以前にきっと、その人、個人個人が、自分というものと調和がとれているからこそ生まれる空気感なのかもしれない。

なんだか平和で優しい空気っていいな、と思った。平和で優しい空気って、なんだか甘い。それはとても自然な甘さで、キラキラしている。

生きていると色んな空気感に触れることはあるし、ときに自分自身も色んな形状の空気感になりながら生きているのだろうけど、なるべく多くの時間、調和のとれた平和で優しい空気感に包まれていたいなあ、なんてことを、そのカップルをチラ見しているうち、つい、思ったのでした。


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