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吸引力問題

タピオカブームがほぼ去った今頃になってようやくタピオカドリンクの店に行くようになって、タピオカではない、アロエの入った冷たいウーロン茶やジャスミンティーをときどき飲んでいる。

しかし毎度不思議に思うのは、いったいこのアロエ、どうやって全部飲み切るの?という素朴な疑問だ。

砕かれたアロエがカップの下の方に沈殿しているのだけれど、お茶が残りわずかになってしまうと、あのタピオカ用の太いストローをもってしてもなかなかうまく入ってきてくれない。たまにズポッ!と吸い込めるときには快感なのだが、そうでないときには若干まどろっこしい思いでストローを移動させながら必死になってアロエを吸い込んでいる。

厄介なのは、液体がほぼない状態のなかアロエだけが残ってしまうときで―往々にしてその状態に陥るのだけれど―そうなるとさらに吸い込みが困難になる。ズーーッ!と吸いこんでも何も入ってこず、甘い空気だけを吸っているときのむなしさったらない。

それで仕方なく、蓋のビニールをびりびりと破く。逆さにしてもこぼれないよう、わざわざ強力に密閉してくれている蓋を無理やり破き、ゆえに飲み口は接着剤の残るざらざらした口当たりとなる。そしてストローを使って、底に残っているアロエをかきこむようにして口へ流し入れるのだが、そんな姿ははっきりいって無様に思う。だから偶然にも知り合いになんて絶対見られたくないので、思わずまわりを挙動不審に確認してしまう。もっと上品に飲める方法もあるのかもしれないけれど、今のところ私はそれを会得していない。

でもほかの客を見ると、蓋をびりびりしている人なんて一人もいない。みんなストローで何の障害もなく器用に飲んでいる。女子高生たちがいる。彼女らは楽しそうにおしゃべりをしながら優雅にドリンクを飲んでいる。タピオカなら形状が丸いから大丈夫なのだろうか。アロエのこの刻まれた立方体がよくないのだろうか。そんなことを考えていたら、ふっと、ダイソンの掃除機が頭に浮かんだ。もしかしてこれって、たんに吸引力の問題なのでは?

確かに年齢を重ねるとともに吸引力の衰えはあるかもしれない。もし今、自分が女子高生だったなら、ズ―ッ!と一気にアロエを残さずきれいに吸い込めているのかもしれない。そうだ、ダイソンのような吸引力をもってしてなら、それはいとも簡単なことだろう。―なんて、そんなことを思ったら、ひゃっとなった。いや、でも、違うでしょう。え、そうなのかもしれない?

そんな戸惑いをおぼえながらも底に沈殿するアロエを残すのは忍びなく、結局、いつも蓋をびりびりしながらストローでかきこんでしまう。それでもまあ、アロエはおいしいからまあいいか、と自分に言い聞かせながらも、吸引力問題についてはうやむやにしている。

そしてアロエ以上に難敵なのは、ナタデココである。ナタデココをトッピングに一度頼んだら、細かい短冊状に切り刻まれたナタデココが沈殿していて、思わず「ふっ」とよく分からない笑いがこみあげてきて慌てて抑えた。

これ…上手に飲めるかな?胸に浮かんだそんな不安は的中で、アロエ以上にストローで吸い込むのは難儀だった。そのむかし縁日でした金魚すくいとかスーパーボールすくいとか、そんなことをなぜか頭に浮かべならナタデココを狙い入れて吸い込み、結局、最後には空気を吸うようになるので、また蓋をびりびりして醜態をさらしながら飲んだ。

ああ、自分にもダイソンみたいな吸引力があったなら、もっと優雅に飲めるのに…。そう思いながらも、いや、でもこれ、本当に吸引力だけの問題なのかしら、と、ややクレーマー的疑念も抱きつつ、それでもたまあに飲みたくなってしまうおいしさなのだった。 


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