スピッツ「ビギナー」レビュー

2010年7月10日記。mixiからの転載。

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初めてこの曲を耳にしたのは、テレビから流れるコマーシャルを見た時だった。楽しそうにボールを蹴る人たちに交じって、サッカーの中澤選手がしっかりと前を見据える。すぐにスピッツと分かるサビのメロディが自然と入り込んできて、すぐに記憶してしまった。「だけど追いかける 君に届くまで」きっと何かの応援ソングなのだろう、このサビに繋がるまで、一体この曲はどんなストーリーを持っているのだろうか。期待を込めて、発売を待った。


そして七夕の午前2時、その時はやってきた。恐る恐る携帯電話のイヤホンを耳に当て、データを再生する。聴こえてきたのは、想像していたよりも重厚なイントロだった。重苦しいくらいのサウンドが全身にずっしりとのしかかる。もしかしてこの曲は、単なる応援ソングなんかじゃなくて、もっと重大なメッセージを含んでいるのではないか。そう思わせるオープニングだった。

ほどなく、静かにAメロが始まる。ピアノ以外の音が一気に止み、マサムネが放った最初のフレーズが耳に飛び込んでくると、わたしの頭は一瞬にして真っ白になった。


「未来からの無邪気なメッセージ 少なくなったなあ」


わたしは先日29歳になった。近づいてくる30歳の足音とともに、自分の周りの環境にもいくつか変化が表れ始めている。

昨年、父が心筋梗塞で倒れた。奇跡的に助かり、手術も何とか成功したおかげで今ではすっかり元気になっているが、亡くなったり、助かっても後遺症が残ったりする可能性も十分にあった。また自分自身、原因不明の体の痛みに悩まされることが多くなった。祖母もついに90歳を超え、今まで当然のように自分の周りに存在していたものが、少しずつ少しずつ変わり始めている。

そんなものを眺めていると、ふと、今までは意識していなかったいくつかの事実が浮かび上がってきた。おそらく5年前にはまったく頭に存在しなかった、だけど当たり前のこと。


「もしかすると自分にとって、何も心配しなくていい気楽な時代は、とっくに過ぎ去ってしまったのかもしれない。ここから先はきっと、今まで当然のように持っていたものを、ひとつずつ失っていくだけなのかもしれない。」


「あいまいじゃない優しさ」を絶え間なく注いでくれた両親とも、別れなければいけない時が来る。ずっと大切に思ってきた人との悲しい別れが、この先いくつも待っているんだろう。そしてもちろんわたし自身も、この肉体をだんだんと使い古し、ついには失い、この世から別れを告げなければならない時が必ずやってくる。それは一体いつのことなんだろう。その時わたしはどこにいるんだろう。誰にもわからないし、誰にも止めることはできない。

ふと後ろを振り返る。どうやら山のてっぺんは、知らぬ間に通り過ぎていたらしい。しばらくうつむいてそこに立ちすくんで、もう一度前を向いたその時は、今まで光を放っていた未来が霧の向こうに霞んでしまっていた。次の瞬間、お腹の底あたりから、言いようのない恐怖が湧きあがる。叫びだしたいくらいの衝動。その瞬間は、いくらこの世の中に生きているとは言え、絶望的に孤独で一人ぼっちだ。気づいた時には自分はもう産まれていて、生きていて、そして死へ向かう止まらない列車に乗せられていた。立ち止まることも後戻りすることも許されないまま、あとはただ山を下りていくだけの時間が残されているだけなのかもしれない。


「未来からの無邪気なメッセージ 少なくなったなあ」

その短いフレーズは、わたし自身がここ数年間感じてきた漠然とした恐怖を、見事に、端的に、そしていともあっけなく表していた。能天気なつぶやきのように聞こえるけど、実際はきっと、あえて能天気な言葉を使うことによって底無しの恐怖を隠しているんだろう。そしてその恐怖をあざ笑うかのように、わたしにとっての未来は、わたし自身が生きていくことによって、そう、わたし自身によって、今この瞬間も食い潰されている。そんな重大な現実を、マサムネは静かに語りかけていた。


目の前が絶望に包まれた次の瞬間、意識を呼び戻すかのように、余計なブリッジは一切無しで力強いサビが始まった。あの印象的な、コマーシャルに使われていた部分。ただ、Aメロの繋がりからここに行き着くと、単体で聴くよりもはるかに大きな意味をこのサビが請け負っていることに気づく。その圧倒的なメロディに後押しされ、浮かび上がるもう1つの事実。


「それでも、生き続けなきゃならない。」


例え何を失おうとも、恐怖や絶望が体を蝕んでも、この肉体が生きている限り、前に進み続けなければならない。「幼い頃の魔法を心で唱えたら、安らげることもある」のかもしれない。でも、生きることの恐怖に立ち向かい、進み続けなければならないことに変わりはない。

ふと、今まで自分の前にいて進む道を示してくれていたはずのスピッツが、自分の後ろに回って背中を押してくれていることに気づく。

そしてわたしはすべてを理解する。この曲は、死の恐怖に立ち向かうための、自分が人間として生き続けるための、永遠の応援歌だったんだ、と。「春の歌」とも、「夢追い虫」とも違う。「ビギナー」というタイトルとは裏腹に、きっと年を取れば取るほどこの曲は重みを増し、強く強く自分を後押ししてくれるはずだ。イヤホンの向こう側から響き渡るサウンドに全身を預けながら、その予感は確信となってわたしを包み込んでいった。


そしてこの曲は、強烈なメッセージで幕を閉じる。


「霞む視界に目を凝らせ」


なぜ、視界は霞んでいるのだろう。恐怖のせいで流す涙のせいだろうか。走り続けて疲れ果ててしまったからだろうか。でもそれはどっちだっていい。「慣れないフォーム」のままでいい、生き続けるんだ。前を見るんだ。「存在さえも忘れられた」としても、この体を失う最後の1秒まで、たとえ体は使い古されても、「ビギナーのまま動きつづける」んだ。この最後のフレーズにより、歌詞のすべてが大きな渦となって、背中を押す。「わたしは、この曲を手に入れた。」曲が終った時、手の中にはそんな感覚が小さな熱となって残っていた。


わたしは、スピッツから放たれたこの曲を、「生き続けるためのマニュアル」として受け取ろうと思う。きっと人生のいろいろなポイントで、わたしはこの曲に手を伸ばすことになると思う。もう前に進みたくないと思うくらい、絶望に沈みこんだ時。大切な誰かを失った時。もしかすると「君に届くまで」の「君」は、その時に失ってしまった人を指すことになるのかもしれない。ここにはもういない、届かない誰か。それでも、いつかは君に届くまで、この場所で目を凝らしながら生きていく。


「生きる」という、当たり前だけど勇気がいるサイクル。それを根底から支えるこの曲に出会えた奇跡に、ありったけの感謝を込めて。2010年七夕。生憎の雨模様だったけど、天の川を渡って、わたしの心には最高の音楽が降り注いでいた。

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