落下と脱線

冷たい雨がどんどん降ってくる水曜日に、亡くなった祖母と対面し、雨が止み切らない土曜日に、祖母を見送ってきた。

亡くなった人は雨を降らせる。何となくそう信じるきっかけとなる出来事は、母方の祖父が亡くなった時に起こった。実家から出棺する時、今まで晴れていた空が一気に暗転し、数分間だけざーっと音を立てて雨が流れ落ちた。親戚の誰かが、盆栽に水をやりたかったんだな、とつぶやいた。外には祖父が手塩にかけて育て上げたたくさんの盆栽。間違いない、と信じるのはそう難しくはなかった。

亡骸との対面は、娘と息子も一緒だった。初めて見る死んだ状態の人間を見てただならぬ空気を感じたのだろう、六歳の娘は「大人になりたくない。死んじゃうから嫌だ」と抱きついてきた。いつもは騒がしい三歳の息子も、何もしゃべらずずっと黙っていた。

祖母の息子である父は憔悴していた。涙もろくしょっちゅう泣いていたが、女手一つで自分を育ててくれた母親の最期を直視するのはさすがに酷だったようだ。

顔を見る。そこに横たわるその人は、言われなければ自分の祖母だとはわからないくらい、知っている祖母とは別人だった。もう五年以上会っていなかったので仕方ない。会いに行けなくてごめん、とは思ったが、本当に会いに行けなかったのかわからない。母に何か勘繰られるのが嫌で、会いに行こうとほとんど思わなかった。冷たい孫だった。おばあちゃんに会いたい気持ちごと、母によって消去されてしまったみたいだった。

娘は落ち着いたのか、自分のお菓子を祖母にお供えしてくれた。食べてくれるかな、いまお口が空いてるからきっと食べたね、と言っていた。いつの間にかこんなに優しい子に育っていた。

最後のお別れは私の子供たちは行かなかったのだけど、娘はおばあちゃんが骨になると聞いて、そんなのは絶対に絶対に嫌、と悲しそうにしていた。大丈夫だよ、と言った。お空でみんなを見てくれているよとかそれっぽい、いかにも大人が言いそうな、そして自分が言われてきたであろうことを言ってみたが内心全然大丈夫じゃなく、こんなに大人になったのに、まだ自身の死に対しとてつもなく恐怖を感じるし、子供に納得させられるだけの答えを探せていないことに愕然とした。

死を意識し恐怖を感じるうちに、その感覚を「自分の意識がないうちに超上空から突き落とされた」と考えるようになった。落とされた瞬間は覚えていないが落下の途中で目を覚まし、気づいたときにはいつか自分がぶつかってしまう状態になっており逃れることはできない。それはいつだろういつだろうと思いながら、同じく隣で落下している人と会話し気を紛らわすことくらいはできるが、一人になれば恐怖からも、最終的な運命からも逃れることができないのだ。

子供を産むということは、一人の人間を無意識のうちに超上空から突き落とすということだ。わたしは二人の人間をそういう状態にしてしまった。だからその罪悪感から逃れるためにせめて子供たちの死への不安を取り除きたいと思うが、所詮死の前では自分以外の人間は無力で、一人一人がそれぞれ折り合いをつけて生きていかないといけないのである。死に向かい、死んでいった全ての人を尊敬する。

最後のお別れ、と書いたのは、葬儀がなかったからだ。火葬のみを行う、直葬という名称らしい。アルツハイマーで施設に入ってからは付き合いもなく、親戚付き合いも皆無だったため呼ぶ人がいない。写真もなく、写真くらいは作ってあげてもよかったのに、と思ったが、お金がないの一点張りで拒否されるだろうし、そもそも実家を出た自分が口出しするものでもないことはわかっていた。アルツハイマーになりトイレの場所もわからず家が糞尿だらけだったのを世話していたのは母だった。その苦しみを一切通らずに口と金だけ出してればいい、と割り切ることもできなかった。

私が実家を出る前は、本当にひどい有様だった。父はまだ定年前で昭和の価値観、母を三色昼寝付きと揶揄し、嫁の分際で、亭主に逆らうのか、と今でいうハラスメントの権化だった。代わりに母は子供を囲い、私や弟が祖母と父と交流するのを嫌がり、ストレスが高じて潔癖症になり、ずっとビニール手袋をつけて生活していた。私もそんな生活が限界で、父と祖母に黙って一人暮らしを始めた。

誰も悪くなかったし、みんな悪かった。それだけのことだ。今となっては、どうしてあんなにみんな意地を張っていたんだろう、と思う。でも過ぎてしまった時間も、アルツハイマーで失われた記憶も、死んでしまった人も戻らない。子供にはそういう思いをさせたくない、と思いつつ向き合う現実は時に厳しい。四十年生きてきてわかったことは、若い頃の理想はほとんどがきれいごとである、ということ。理想のために生きていても、段々と脱線してどこを走っていたのかわからなくなる。できることは立ち止まって、線路があったであろう方向へちょっと戻ってみることくらいだ。祖母はたぶん、立ち止まるきっかけを置いて行ってくれたんだろう。まあ、まだ祖母の半分も生きていないのだけど。

たくさんのお花と好きだった俳句に囲まれて、祖母は旅立った。帰りはすっかり雨も止み、また新しい世界が始まった。


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