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集中力はいらないを読んで。

引越しが決まっているので少しいらないモノを売ったりしていて、本も全部メルカリにするといつまで待てばいいのかわからないので、まあまあの量を BOOK OFFにオフしました。

10冊で1000円くらいでした。多くはないのですが、まあまあ本も無くなったしよしとするかと思いつつ、今のおうちから近いので2日後くらいに散歩に行きまた本を買ってしまいました。

一時期はよく読んでいた「森博嗣」先生の本です。作家として有名だけれど、もう新しい作品は書いていないんじゃないかな?「すべてがFになる」が有名でしたが、わたしはエッセイなどが好きでした。たしか、めちゃくちゃライターで忙しくしている時期にそうはいっても名の通った雑誌を作っていたので周りの食いつきも良く(今となってはなんだかさもしい感じもしますが笑)いろいろな人と交流しました。その時に隣にいた頭の良さそうな面白い男性が教えてくれた作家さんでした。

森博嗣先生は、先生だけあってたしか大学の工学博士の傍ら、工作などもしつつ、1日1時間だけ執筆に当てている先生でした。はじめは3時間と言っていたかな?だけどたしか1時間で6000Wはかけるからそれ以上は絶対にしないという先生で、だけどたぶんトータル300冊以上出しているように思います。村上春樹さんもそうなのですが、締め切りというのの半年とか1年前に終わらせるというのが筆が早く多作の作家さんの特徴でだけど、1時間に6000Wってどうやって?頭の中にあったにしても書くスピードっていうのは追いついていかないなぁと思ったりしていました。

だけど、だれにも影響されていないという独特のその内容が私は好きだったし多分好きな人が多いからエッセイもたくさん読まれていたのだと思います。

さて。

この本。大変なアイデアは集中からは生まれないということが良くわかる本です。ねじり鉢巻をしてギリギリとやっても、集中力は出ないよ、リラックスしていたほうがいいよという本です。

例えば作品を書く時にも一つの作品には集中しないで分散して書くとか、思考にはリラックスが必要であるとかそういったことも書いてあります。

なかなか真似できないなぁと思っています。あとがきも「自分を縛っているのは自分」というフレーズがあるのですがなかなかどきっとしますね。

私はとても不器用なので、一つのことをしている時にはなかなか他のことはできないし(年齢を重ねてましになったところがあるとはいえ)、集中して神経がヘンテコになったことも一度ではありません。常識なんてクソ喰らえと言いつつ反対の目では思いっきり常識に囚われてしまっているということがあるのではないでしょうか?

今日は孫請け状態になっている文章のフィーを交渉し、だめなら断る(そのままやる前提になっていたので)のでもいいか!という気楽な気持ちでいました。(お金に余裕がめっちゃあるというわけでは全然ないけど、そういう仕事の仕方はどんな仕事にしてもやめようかなという感じです。誰でもでできる仕事というのは、誰でもできるので単価が安くなりがちなのでだれかがこうやっていわないと安くなってしまうかも。私は高い案件もしたことがあるから交渉できるのだと思うけれど、時代もあるのかな。おそらく自分より若いひとが進行をしているのだろうなぁ)

ヨーガの生徒さんのなかには、このコロナ禍でもみんなが交通費がかからなくなったりしたのでなんとボーナスが出たというお話も聞いた。もともと給料が高い会社でやめる人も多いそうだけれど彼女には合っていて、私は社長にでもなってしまうのでは?とほんの少し思っているのだけれど、彼女もまた常識を信じない、心配をしない、マイペースにいつも過ごしている人である。悩みがないので、いつも勉強をしたり仕事はだれかに振るのが仕事なのでなにかをしているわけではなさそうだけれど、お給料がある程度多いとだんだん安定をしてくるみたいで5年前の少し所在無さげなところが1ミリもなく、世の中はお金ではないけれど、お金というのもいい意味で人の器を大きくするのかもなぁとちょっと思ったりした。(彼女から頂いた誕生日プレゼントはちょっと豪華でした)

人の集中力という話に戻るのですが、本当に人が集中できる時間というのは20分くらいらしいから、小学校とかほとんどが無理をさせているということになるし、まあライターという職業も全然無理なことをしているということになる(私はわりかしじっとして家にいることが苦手ではないのだけれど)わたしも24歳くらいでライターになるまではこんなに神経を張りつめさせて無理をさせる仕事だと思っていなかったので、何回か身体を壊すまでは大変に自分の身体をぞんざいに扱っていたなと思うのだけれども、それにはきっと今までの常識を覆す(ライターだから夜中まで仕事をしてもいいだとか、無理をしてもいいだとか、ご飯などもそこそもに企画や執筆に没頭してもいいだとかいう謎の常識)ための思考が必要なのだろうなとちょっと思う。いまネットでライターの仕事を見た時にほんとうに悲しくなったり怒りが湧くくらいの条件のものもとても多くて、それはその金額でもしますよという人が増えてきてしまったから(もともとの値段とかを知らずに!)おうちでできるよ、ひきこもっていてもできるよみたいなかんじでどんどんとこんな感じになってきたのかな?などと。昔は、大変な仕事だけれど、ギャラはいいので仕方がないかという感じで取り組んでいたけれど、今はギャラが安くなってしまい、職業ライターを続けられている人はなかなかモチベーションが必要で(作家さんとか社長さんとか他の仕事をしながら本を出すなどといった人はいいかもしれないけれどそれとて、別の人が編集してライティングしている場合があるのだ。当たり前だけど)いい業界にしていくためには、ブランクもあるけれど経験もあって知識もある人がピンポイントでもサポートできるような仕組みを作ったほうがいいように思う(そうでないと若い人の使い捨てと言ったら言葉は悪いけれどそういったかたちになってどんどんと成熟したものとは遠ざかっていく気がする)

ところで、ヨーガを学んで教えていなかったらどうなっていたかな?とちょっと考える時がある。特にヴェーダーンタを学んでいることでとても自己尊厳を取り戻したように思う(もともと備わっているが忘れてしまっているもの)けれど、過去の習性というのはなかなか消えるものではないので、癖が出てきたらまたその都度気づいていくしかないなぁと思ったりしました。

長くなってしまったし本の感想だけではなくなってしまったけれど、色々な意味で常識を疑いシステムを疑い、自分を信じて習性に囚われずに進めたらいいな、そうありたいなと思ったりするこの頃。


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