私もママになる前は子どもが苦手だったよ。
どうも、まゆみっこです。
最近ホームパーティーを我が家でやったのですが、義弟が子どもはそんなに得意じゃない様子。何か話しかけられても必要最低限の回答&最大の愛想を振りまいている。笑
あー、分かるよ。私もそっち側の人間だったなぁとしみじみ感じていた。
ん?なんで、今は大丈夫なんだっけ?
と、今日は考えてみた。
大学生は特に子どもが苦手
小学校はまだ高学年が低学年と触れ合える機会があるじゃないですか。ところが、中・高に進むと、親戚で小さな子がいない限り、触れ合える機会はめっきりなくなる。
大学になったら、子どもが異次元の世界の生き物に見え始めた。
・テンションについていけない。
・声がでかい。
・予測不能な動きが疲れる。
・子どもの興味関心事項に興味がない。
・境界線関係なく、ぐいぐい来る。
・調子に乗ってる子が痛々しくてみてられない。(昔の私)
特に、あの予測不能な動きで、パーソナルスペースをぶち壊しにくるのが心的ストレス笑。幼さゆえの悪気のない礼儀のなさ。ちょっと悪ふざけして、被害がこっちにも及ぶとか。そういう挙動が、当時の私には、ちょっと無理・・・ってなっていた。
あー、記憶を掘り起こしてみると、小学生の頃からこういうタイプ苦手だった。爆 (この辺の苦手意識、もう少し掘り起こしたいな)
子どもを産んだら子どもの世界に放り出される
が、時は経ち、今じゃキッズのママ。
否応なしに子どもの世界に放り投げだされる。もう、どっぷりですよ。
でも、子どもが生まれて4年間くらい経ちますが、一緒にいて、ご飯食べて、笑って、怒って、遊んでいたら、子どもの目線を思い出してきた。
写真は枕カバーをかぶって、ギャハハハ!と楽しむ子どもたち。子どもはなんでも遊びにする。
こんな遊びが楽しかったこと、こう言われたら嬉しかったこと、悲しかったこと、寂しかったこと。思い出してきた。
絶賛、子育てで生きなおしをさせてもらっています。
子どもと一緒に生きて、あの頃の自分を思い出す作業を粛々としている。子どもの気持ちに(成れる)と(慣れる)のだ。
忘れていただけだったんだ。
大人になってから虫が苦手になったのも同じ構造
同じ共通点として、今は苦手だけど、慣れると大丈夫なもの。
虫です!!
今はベランダで絶賛はらぺこあおむしを5匹くらい面倒みてますが、
発見した頃:ヒイイイ!!!なんかいる!!!きもちわる!!!
3日経った頃:うわ・・大きくなってる・・うわ・・。
5日経った頃:沢山食べてるな。むっちむち、もっちもちして可愛い・・♡
2時間くらいこの体制で、食べ疲れなのか、じっと空を仰ぐあおむし(りんごちゃん2代目)。はぁ、かわいい・・。
その昔、イモリも、カメも、バッタも、カタツムリも、ミミズも、トンボも、みんな手づかみで取れていた。手の中で蠢く虫はくすぐったくて楽しかったのを思い出す。
まぁ、今でも手づかみはマジ無理ですけどね!!笑
子どものときは、曾ばあちゃんが苦手だった
そんな子どもの時はどうなんでしょう?人類皆友に見えるのか?いや、そうではなかった。
私は老人が苦手でした。
だって、しわしわじゃないですか。干からびてミイラみたいな手の曾ばあちゃんとか、同じ人間じゃないように感じて、怖かった。
でも、怖いのははじめだけ。
恐る恐る話してみると、やっぱりモゴモゴして怖いけど、回数を増やしていくと、妖怪みたいな存在から「曾おばあちゃん」という人間になっていく。
まとめ:慣れは一番の特効薬。抵抗感のあるものに目を向けてみよう。
自分と離れていたものや、今まで触れ合ったことのない人。障がいをもっている人、異国の人、若い人、不良な人、異性(LGBT含む)、住所のない人、国を逃れてきた人。
一見私たちとは縁遠い人たちも、慣れれば、心を通わせ合える。でも、私たちは一緒と思う必要もない。対話で解決出来ないことも前提にもっておく。
知って、場を楽しむ。
自分にとって抵抗感のある人って、自分を知る最大のチャンス。なんで自分はこう思うんだろうと考えてみると、沢山の発見が眠っている。
お陰様で、今は子どもに特段苦手も得意もなくなりました。まゆみっこでした。
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