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世間や自分と闘っていた偏食息子の幼少期。

子どもが偏食になるならないは、親の力で決まると思っていた頃のはなし。

野菜が好きな子どもに育ったら子育て大成功☆
離乳食から息子にも自分にも厳しかった。


1.離乳食

離乳食の始まりは
『甘いものを口にさせない』

野菜スープは飲ませても果汁は飲ませない。
果汁を口にして野菜を食べなくなったら大変。
美味しい味を知ったら好き嫌いが増える。

本気でそう思っていました。

野菜を使った料理を食べてるのを見て
『なんてスムーズに育児が進んでるんだろう』

料理苦手なのに楽しんでいた頃。

偏食なんて思いもしなかった。


食事のしつけは育児の基本!
食事以外にあまり目を向けずにいた。

その頃の息子は
目を合わせにくい。
あやしても笑わない。
ハイハイしない。

発達で気になるところがあっても
お野菜食べてたらOKと思っていました。


2.偏食に気づくきっかけ

2歳から通い始めた療育園。
そこは月〜金曜にバス通園で給食を食べて帰ります。

最初は親子で通い給食も親子で食べる。
先生からそろそろひとりでも。
そう言われた親子から順に子どものみで通い始めます。

そのタイミングは発語があるとか、ひとりで食べれるとか何ができるかではなく。

母子分離ができるかと健康面で問題がないか。

給食を食べない息子はクラスで一番最後となった。

先生から「どうしましょうか?」
タイミングはこちらが決めるになりました。

母子分離も難しい息子でしたが早くひとりで通ってほしい。食べる日もあったから声が掛かった日から1人で通園していいよね?
すぐに決めた。

この頃から
息子がどんな様子だったかより、食べたか食べなかったが気になり始める。


その頃の息子の好物はピーマンとしめじ。
『ピーマン食べる』というと皆んな褒めてくれる。ピーマン食べる子どもになったのは凄いから他を食べなくても大丈夫。

「これでいいよね?」
自分に言い聞かせてました。


お肉やお魚を出してもひっくり返す。
スプーンを投げつける。
逃げる。

何歳になっても言っても伝わらない。

発語の無かった息子にとっては行動が声のかわり。そこにじっくり向き合う気持ちは持てず。

2歳だから3歳だから4歳だから分かるよね?
躾だからと自分の思いを優先させてた。


疲れちゃって
ピーマンとしめじと白ご飯だけしか
作らなくなった。

毎日毎日そればっかり。

それを食べなくなったら今度はオクラ。

毎日毎日オクラだけ。

そしたら蕁麻疹を出すようになり
ある日バタっと倒れた。

病院に行ってもしんどい思いをしても
食べるのはまたオクラ。

元気な子どもに育てたいのに目の前にいる息子は元気じゃなく。

野菜を食べたら子育て大成功!
それがガタガタ崩れていった。


そんな息子をみても食べない息子が悪い。
食べたらこんなしんどい思いをしなくていいのに。

食事が大事と思いながら
食事が一番の苦痛になっていきました。



3.偏食は話しづらい


好きなものだけ食べさせワガママに育ったらどうしよう。

いつも頭にあった。

そう思っても食べない。
嫌いなものを食べれるようにできないのはダメな親。


発達で気になることがあったら療育の先生に連絡帳で話せても
子どもの好き嫌いはなかなか相談できない。


親の力が足りないと思われるから。
工夫で何とでもなるでしょうと思われるから。



誰にも話せないから
息子の行動を受け入れるのが難しかったんだなと今は思います。


その頃苦手なものを食べない代わりにおやつも殆ど食べさせなかった。

それも躾と思って。

たまにおやつだけでお腹いっぱいにさせる日もあった。作るのが嫌になって。

罪悪感でいっぱい。

そんな自分もOKと受け入れる日が1日でもあれば、もう少し気持ちは楽だったんだろう。


食卓を穏やかに楽しく過ごせるのが偏食の子どもの付き合いやすさに繋がる。

私にとっては体調関係なく作らない日を作る。

作らないを受け入れる練習の積み重ね。

完全に受け入れるは難しいよね。
練習すると少しずつ変わってく。

何が自分を苦しめてるか話をきいてもらうと
気づけることもありますね。


幼稚園に入り偏食は食べ物だけが理由でないと気づき始めた。

環境を変えていった話は次回に。




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