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「河童の三平」が舞台化してしまう…!その4〜舞台化してしまった〜

ご無沙汰しております。
紆余曲折を経まして……2021年の年末にこどもステージ「河童の三平」無事終幕いたしました!!!

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河童の国
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お馴染み スイカのシーン

ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。
こどもステージの常連のお客様も、この度初めて円を知って下さった方も、また何度も何度も劇場に足を運んでくださった原作ファンの皆様、演者たちへの度重なる応援のお言葉、Twitterでのイラスト、全員で公演への糧にしておりました。自分のことのように一生懸命応援してくださり、差し入れも沢山頂き、皆様のお陰で公演が成り立ったと心から思います。気にかけて下さったお一人お一人に心から感謝しております。

両国・シアターΧにて

私はこの数年、ずっと三平の舞台のことばかり考えて、その間にコロナになり、私事も色々あり、、、形になった時はもはや「感慨深い」ではなく、「どうか何事もトラブルが起きませんように」「関係者みんなの気持ちが挫けませんように」と祈りに祈り続ける状態でした。想像していたのとは全く違う日々でびっくりしました笑。

楽屋の増えていく絵はお母さん役の馬渡亜樹さんが犯人だった

「こどもステージ」という円が培ってきた形式と、水木先生の「河童の三平」。この組み合わせは絶対に合うと100%確信していました。だからと言って放っておいてもいい作品になるよね〜という精神にはどうしてもなれず、三平の何がどう「こどもステージ」に合うのか、そもそも水木先生の世界観がどんなものなのかを円の皆さんに伝えなければならない、というプレッシャーが常にございました。なぜなら、絶対に変な形にしたくなかったから!!!
私はこだわりが強すぎる頑固者で、こどもの頃から好きな作品の映画化とかアニメ化とか、原作を蔑ろにされたと思うと許せなさすぎて暴れたくなるんです。実際暴れてました。(蔑ろにされた、と思うのは完全に私の主観でしかありませんが)そして何より水木先生と京極夏彦先生の二大巨頭、絶っっっっ対に水木ワールドを尊重した作品にしたい、そうじゃなきゃ私は死んで詫びる(言葉の綾ではなくまじで)と思っていました。

さて、私たち水木ファンは『「河童の三平」を脚本にしていただくならば京極夏彦先生以外にいないに決まっとるだろうがあ!!』と思うのは積年の常識と言いますか、至極当たり前の発想だと思うのですが、皆様、水木先生をなんとなくしか知らない方にこれをどう説明されますか?私は、ここでまず組織を動かすことの難しさを学びました。今まで私が当たり前に享受してきたさまざまな作品の裏には、こうしてプロジェクトを動かされている方がいたんだなと、本当に尊敬する気持ちでいっぱいになりました。蔑ろにされたとか思って暴れて今まですみませんでした。

私が一番こだわりたかったのは、水木先生の名言でもある「好きなことをやりなさい」の精神がちゃんと舞台のどこかに残っていること。それさえあれば、このメンバーで京極先生の脚本、うまくいくに決まっていると思っていました。だけどこれが一番難しい。

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「水木サンの幸福論」より

演劇界というのも中々古い習慣が残っており、しかも人に見られる仕事。「他人と比べる」という感覚は常にあります。もちろんわたしにも。だけどできることなら、この公演の間だけは、水木先生の「幸福の七か条」に沿った環境でありたい、そうすれば舞台化しても「水木作品」になれると信じていました。

↑勝手に販促。

なので、12月20日、アフタートークをしてくださった京極夏彦先生が「この舞台を見れば水木幸福菌にちゃんと感染する」と仰られた時は、もう……、脳みそがうまく機能せず、言葉を理解するのに数日かかりました。恐れ多すぎるお言葉です。本当に。

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記憶があまりなかった京極先生のアフタートーク。私は背筋に鉄筋が入っているかの如く微動だにできなかった。

さて、当然ながら大変だったことばかりではございません!
私がこの公演を通して最も感激したこと。それは、水木作品を別角度から構築し直す作業に一から関われたことです!!!
例えば…
・三平は釣竿を普段どこに仕舞ってるの?
・おじいさんは百姓してるから家では普段足袋は履かないかな?
・タヌキの耳の中の色はピンク?白?
これらに関わる衣裳や小道具をどう作るか。これはほんの一部です。物質的に舞台を立ち上げる為に必要な、演出や美術・衣装さん、俳優、各アーティスト様方の大掛かりな工程に、私は一から全部関われたのです。この作業のワクワクすること。毎日全身ビリビリでいつも涙目でした。そして、わかった事があります。

水木先生の漫画って、言葉ではうまく説明できないのですが、「え?!」と読者の方がつっこみたくなる所が沢山ありますよね。あの独特な「ぞんざいさ」というか、脈絡ないようで勢いがすごくて納得せざるを得ないめちゃくちゃさ。
あれは、どう足掻いても他の誰にも描けないのだと体感しました。



私はこのめちゃくちゃな感覚をどうにか舞台に残したい、と足掻きました。京極先生の脚本という圧倒的な安心感はあっても、水木先生の独特な感覚を舞台で表現するにはどうすればいいのか、演者さんの動きを、音響を、小道具を…それこそ皆様に無理言ったり、生意気にも演出に口出しまでして。だけどある時気づいたのです、「これは水木先生にしかできないことなんだ」と。全身全霊で大人たちが向き合って、「落語みたいに考えればいいんじゃないか」とか「不条理劇なんじゃないか」とか足掻いても、それでもあの感覚は、水木先生の才能そのものであり、歯が立たないのだと悟った日があったんです。
それに気づいた時ものすごく感動して、一人で家で泣きました。
水木先生の偉大さを、こんな形で体感できる日が来るなんて。演劇で勝負して完敗したような心地になって、それがものすごく幸せだったんですね。ファン冥利に尽きる経験をしたな。だけど「水木先生には到底届かないけど、でも手を伸ばし続ける」という姿勢を持ち続けることがこの公演の正解なのではないかと思いました。その謙虚さが、公演を成功に導くと、最後の方本気で思っていました。

演者の皆さん

それと、水木漫画は台詞が知的。京極先生の抽出してくださった台詞は改めて拝読すると話し言葉より書き言葉調が多く、これはもしかしたら先生が哲学書を愛読されていた背景があるのかもしれません。そしてこれが、新劇畑の円の俳優さんにはベストマッチしたと思いました!ヤマケンさんの死神も、何やら舞台に立って頂くと古代の哲学家っぽい感じがしましたね。
(※新劇とは海外戯曲をやり始めた時代の演劇スタイルみたいな意味で……気になる方はご検索を!)

それだけではなく、シーンの切り替わりや小道具の扱いなど、当たり前ですが漫画と舞台では同じようにはいかず、無理難題が山ほど出てきます。でも大抵のことは漫画を読めば答えが描いてあったのです。
水木先生の尋常じゃないレベルの「緻密さ」と、なんでココそうなってるの?!という「ぞんざいさ」のバランスの凄まじさを、物質的に存在する小道具を作りながらたっぷり体感しました。

若手の皆さん小道具作りお疲れ様でした。

この公演を通して、私は世界中の河童の三平ファンの中で最も恵まれた「構築作業」を体感できました。本当に、贅沢でした。

まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが…ここでお知らせです。
おめでたいことに!今年2022年の8月中旬に再演が決定致しました!!
東京8月18日→リニューアルオープンのパルテノン多摩にて

鳥取8月中旬→リニューアルオープンの境港市民交流センターにて

多摩公演、劇団扱いのチケット販売は6月ごろを予定しております!

リニューアルオープンのオンパレードだ!!!境港は!!!水木先生の故郷(そして私も鳥取出身)
まだまだ旅は続きます。どうぞ今後ともお付き合いくださいませ。

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