4 薬学部という選択

大学の学部を薬学部(6年制)にしたのは薬剤師になりたかったからじゃなかった。それが2回生になったころくらいから最近まで私を悩ませた原因だった。

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受験生の頃。

正直学力も本当にギリギリで、

医療系がいいなら看護とかもあるよ。
化学や薬を扱いたいのなら農学部とか他の学部もあるよ、そうしたら大学のランクを変えなくてもいいしね。
そこまで薬学部に拘らなくてもいいんじゃないの?
上を目指すならどうせなら医師を目指したら?

等、様々な助言をもらった訳で、どの意見も最もらしく、合理的だとうわべでは理解していたけど、進路を決めてから一貫して私の志望は薬学部一択だった。にも関わらず、薬剤師になりたいから、という意思はあまり、ほとんど、全然、なかった。

なんで薬学部以外の選択を自分の進路に見出だせなかったの?
当然そんな疑問が湧いてくるけど、それは自分でも難題。ある程度感覚的なところもあるから。でも説明できないのは気持ちが悪い故、以下に最適解を。

まず、実はナイチンゲールの伝記から医療職に憧れたのが最初である。小学生の頃のこと。だけど、苦しむ人の問診や看護というのは、不器用で、人に寄り添うのに負担になる程の体力を消耗してしまう私には向かない。それに、目を輝かせられるような魅力ある学問を学びたい。そんな欲張りな願望を叶えてくれるのが薬学部だった。
薬というのは人類が古来より探索してきた不死身、長寿に近づくための魔法!人類の夢!それを扱うための化学の学問。表現が誇張し過ぎているような気もするけどご愛嬌。

こういう理由で薬学部を選んだから、薬学部で学びたいという思いが少し強すぎて、そこが私から見えていた最終地点で、薬剤師になりたいという思いまで到達し得なかった。大学卒業後の進路の話もピンとこなかった。薬剤師になることがゴールじゃないよって話以前の問題。これが後々響くことになる。

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実際、基礎の積み上げの量と期間が思った以上に多くて長くて辛いという、多くの薬学生が抱くであろう思いもあったが、2回生になってそれ以上に精神的に明らかな負担となり、脳がずっと眠い眠いと私の瞼の電源を強制終了させてきた原因は、延々に書かなければならない実験レポートだった。
実験レポートは、当たり前だがやったことを書くものだ。私にはその、やったことや生じた現象の文字起こしが、模写の作業を莫大な時間をかけてやっている無意味なことのように思えて仕方がなかった。その時間が長くなり、締切がせまるごとに、押し潰されるような思いに苛まれた。

これ締切に間に合わなかったらどうなるんだろう。
毎回時間に追われて満足いくものを提出できない。

そして時が経つごと、

私って薬学部で学んでその後どうしたいんだろう。

明確でない将来への思いが露呈していった。
最後の実験実習のレポート提出が終わったその日から、心身共に回復し、テスト期間も辛さを感じず、学びに全力を注げることに幸せを感じた程だった。

※薬学部は大変とかどうこうとかじゃなくてあくまで私にとってどうだったかという話。

そんなこんなで薬学部に入ったことを後悔しているかと聞かれると、そんなことは全然ない。辛かったと訴えたいという趣旨でこの文を書いている訳でもないし、1年間の試練は確かに私の血肉となった。

理系脳は持ち合わせておらず、かといって文系脳でもないけれど、化学は面白い。実験だって得意じゃないし疲れるけど楽しい。これから4年間の研究室もとっても楽しみ。なんとなく認めたくないけれど、私はやっぱり勉強が好きみたい。要領も良くないのに、知りたい欲だけがあふれている。

大学生になってから奔走し続けたことだって無駄じゃなかった。
やりたいことに向かって行動している人を見て元気をもらって。
ザンビアの子に「薬剤師になりたいって素敵」って言われたこともささやかな心の支え棒になり。
薬剤師の知識で社会に貢献することの必要性も感じられるようになって。
徐々に徐々に積もった思いが先を見せてくれて、薬剤師になりたいという考えに導いてくれた。今、薬学部の教授という薬のスペシャリストに教えを乞うことが出来ていることの有り難みも、言葉だけじゃなく感じられるようになっていった。もし国家試験に受からなくても、なんて軽々しく予防線を張るようなことは言わなくなった。
これからも走り続ける。

得意よりも好きを優先してきた。
そうさせてくれる環境が常にあった。
残念ながら、苦手と好きは本当にいとも簡単に両立してしまう。すぐに苦手にぶつかって、無茶ばかり。ときには苦手からは逃げるという選択肢もあって、その選択をした方が良いときもたくさんあるけれど、好き、挑戦したい、が上回る、そのときは仕方ない。こういう考え方は非効率で、一番を目指すならおそらく向かないけれど、一番を目指そうなんていうやる気や闘争心はあいにく持ち合わせていないから問題ない。好きなことをしていたいなら、少なからず努力という代償がついてくる。でも、代償という険しい山を登った先には絶景が待っているのが定石。登れる山なら周りより時間がかかっても登って自分色の最高の景色を見たい。その思いが伝われば、差し伸べてくれる手の恩恵、周りの人の声援もきっと受けられる。

だから、"好き"って気持ちだけは見失いたくない。得意じゃないことは特に、原動力がなければ進まないから。諦めたくもない。すべては必然。考え続ければ"好き"はきっと潜んでる。

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