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(11)わたしを180° 変えた3つのきっかけ


ピースボートでわたしを変えたきっかけは3つ。

①タヒチという国
 「人間がにんげんを生きる姿」

②世界一貧しい大統領と言われているウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領
 「お金では買えない『時間』をどう使うか、どう使いたいか」

③パーマカルチャーを提唱する共生革命家のソーヤ海さん
 「人と自然が共生できるデザインを生きる」

人間がにんげんを生きる姿

ひとつめはタヒチという国

南半球を一周した中で印象に残った国のひとつがタヒチだった。タヒチのパペーテという地域にわたしは足を運んだ。

海も島も美しかった。でもその裏には、これまでにフランスによる核実験が193回行われている事実を知った。しかも核実験は住民の同意もなく半強制的に。

ここに住む人たちは自然と共に生きている。
水を仲間だと呼んでいる。
『大地は私たちの母だ』と言っていた。
彼らの母である大地に
核を落としキノコ雲が上がるのを見る。
その時の心の痛さは計り知れない。

それなのにここに生きる人たちは
こんなにも明るくてあったかい。
それはもしかしたら明るくいなきゃ
やっていけないからなのかな〜なんて勘括ってしまったほどに。

フランス人が入植してからは、タヒチ語は教育からなくされフランス語を教えられ、文化も否定されたという。
でも思えば、日本も過去に同じようなことをしていたなと。


結局、世界は常に
「犠牲になる側」と「犠牲にする側」
「搾取される側」と「搾取する側」と。
この構図が世界から無くなる時は来ないのだろうか
、と思った。

この美しい南太平洋は
たくさんの核実験の犠牲になってる。


お金を得るために教育を受け働く人生と
自分の必要なものは自分で自給自足して
ゆっくりのんびりと生きる人生と
「生きがい」がある人生ってどっちなんだろう。って、ふと考えた時、

当時のわたしにとって、心惹かれていたのは、
彼らのような生き方だった。

どんなにお金があったって
どんなに教養があったって
どんなに学歴があったって

今この瞬間を
こころ穏やかに
こころ豊かに
微笑みながら
幸福感とともに生きられなければ
何の意味もないと思った。


彼らは
今を生きていて
彼らは
音楽と共に生きていて
彼らは
自然と共に生きていて
彼らは
人とあたたかな心を通わせ生きていて
彼らは
溢れるこころの豊かさを持っていて
彼らは
ほんものの笑顔をして生きていた。

そんな彼らが眩しかった。
彼らの『生きる姿』はわたしの胸に強く強く、残っている。今もなお。
人間が、生きるとは、
にんげんとは、これだ。って思った。


お金では買えない『時間』をどう使うか、どう使いたいか

2つ目はホセ・ムヒカ元大統領

国際協力を勉強していたから貧困率の高いアフリカと南米を見てきたい!という理由で南半球一周のクルーズを選んだんだけど、その寄港地のひとつに、ウルグアイという国があると知ったその瞬間から、絶対にウルグアイではヒッチハイクしてホセ・ムヒカさんに会いに行こう!と決心していた。

知らない人は有名なスピーチがあるのでぜひ見てみてほしい。

わたしが初めてホセ・ムヒカさんを知ったのは大学1年生の頃にたまたま見ていたテレビだった。


『ひとは発展するために生まれてきたのではない。しあわせになるために生まれてきた』
『わたしたちは物をお金で買っているのではない。そのお金を手に入れるためにかけた時間で物を買っている。物はスーパーに行けば手に入るが、時間はどこに行っても手に入れることはできない。わたしたちにとってなにより大事なものは時間だ。』
『日本人は大切なものを見失っている』
『消費をすると時間が奪われる』
『ひとは生命あるものからしか幸せを感じられない。物は人を幸せにはしてくれない』

そう言うムヒカさんの存在に一気に惹きつけられた。死ぬまでに絶対にこの人に会いたいと思い、ヒッチハイクをすることに決めていたのだが、ウルグアイに寄港する前日になんと急遽、ムヒカ大統領のほうからピースボートの船へと来てくれることになったのだ!

もう奇跡だーーー!とわたしは、はしゃいで喜んだ。テレビで見たガタクラのようなかわいい水色の車が船のそばへと来た。そしてそこから降りてくる本物のムヒカさんを見てわたしは大興奮していた。ムヒカさんは本当に穴の空いた靴下を履いていた。

そしてわたしの心に深く残っているムヒカさんの言葉たちを、船の上で、ムヒカさん本人の言葉で、わたし自身の耳で聴くことができた。 

『人生において何よりのは大事な時間、愛する人と共にいてください。人生を愛してください』

そんなメッセージが深く胸に響いた。

わたしは、この世で最も大切な生命を、時間を、なにに使いたいのだろう、そう問いかけたとき、資本主義の歯車には踊らされたくないと強く思った。知らず知らずに、消費の渦に飲み込まれ、時間とお金を消費する人生は嫌だと思った

【当時の記事】



人と自然が共生できるデザインを生きる

そして3つ目がソーヤ海さん。


わたしが乗っていた船に乗船してくれていた海さんの存在は、わたしがムヒカさんの言葉を機に生まれたわたしの中の問いの、答えそのもののような存在だった。

人と自然は共生できる。
資本主義の網目から行けてオフグリットに生きることができる。
パーマカルチャーという、デザイン次第で、人は自然の中で持続可能な暮らしが可能であること
を、海さんは実体験と共に教えてくれた。

わたしとってその世界は希望そのものだった。
資本主義・貨幣経済の歯車にはなりたくない、でも、どうすれば良いのだろう?と思っていた矢先のソーヤ海さんだったのだ。

自然を愛し
自然と共に
地球を生きる
ソーヤ海さんの生き様は
パワフルで、ダイナミックで、美しかった。

わたしも、そう生きたいと、心から思った。

そしてもう一つは、瞑想。

いくら平和を叫んでも、その人の内側のエネルギーが平和でなかったら、それは戦争に繋がるエネルギーを発しているのと同じ。
だからなにより大事なのは、自分の内側を平和にすることだと、そう海さんは言い、船内で歩く瞑想、食べる瞑想などを実践してくれた。

そこには、流れゆく時間を、どう過ごすのか、どんな在り方が人に幸福感を与えるのか、教えてくれた。

『Happiness is here and now』

幸せは今ここに在る。むしろ、今ここに「しか」無い。
過去を嘆いても、未来を憂いても、何の意味はなく、今ここに心が在ることで初めて幸せを感じられる。

そんな感覚を生きてて初めて味わった。わたしがのちに参加する、ヴィパッサナー瞑想を知ったのも海さんがきっかけだった。



音を立てて崩れたわたしにとっての『生きる』

そんな感じで
この3つの要素たちがわたしを180℃変えさせた。その3つの存在は、当時21歳だったわたしにとって、それはそれは衝撃的だった。

誰かのために、何かをすること
困っている人を、救うこと
価値や意味のあることだけを、やること
誰かや何かに貢献して、生きてゆくこと

そう思って、生きてきた。
そう思って、国際協力を学んでいた。
そう思って、英語の教員になろうとしていた。

でもそれらすべてがわたしの中で静かに、音を立てて崩壊したのだ。

そんなきっかけによるわたしの内側の変化は次の(12)で詳しく。

とってもよろこびます♡