体調が回復し、生活が安定してからしばらく経ちました。 今の私は、今まで生きてきた人生の中でも一番いい状態で自分と向き合えている生活を送っています。 もちろん落ち込む日もあるし、うまくいかないと思う日もやってくる。 それでも、そんな自分を受け入れることが楽しくて、何よりも自分の感情に素直に生きられています。 ここ数年で生きることがとっても楽になりました。 そんな私ですが、生活の中で不便さを感じることが多々あります。 電車に長時間乗れない、映画館で映画を見ることができな
22時就寝予定のはずが… 今日は昼寝もせず朝早くから家事をこなし、日中は作業に没頭、珍しく料理まで…と忙しくしていたから、寝る時はスッと寝れるはずだった。 寝る準備は完璧だったのに ホットアイマスクをつけて、 お気に入りの雨音のbgmを流して、 深呼吸をして、 睡眠導入剤の力を借りて、 完璧だった。 なのに、なぜか寝られない。 布団に入って数時間、考えごとをしていた。 ら、急に一年前の記憶が走馬灯のようにフラッシュバックした。 天国と地獄が入れ替わったあの一週間
インプットとアウトプット先日、ミュージカル『ファントム』を観に行った。醜くて美しい、愛の物語。 生の舞台は人間のエネルギーを直に受け取れるところが好きで、以前から劇場に行くことは多かった。 昨年、うつ病と摂食障害の真っ只中で失踪未遂を起こした私を地獄から救ってくれたのも、ミュージカルだったことを思い出す。 既にこのnote↓が懐かしい。 私は人間のエネルギーを大量にインプットすると、アドレナリンの放出が止まらなくなり、不眠気味になる。今回ももちろん眠れず。 そこで気付い
私の直感について私のポジティブな予想や直感はよく当たる。どうしてかと聞かれても、直感でしかないので説明はできないが、不思議なことに本当によく当たる。 逆に、HSPである私にとって不安や心配事は生活を共にするルームメイトのようなものだが、その予期不安が現実のものになることはほとんどない。 今、私の頭の中をぐるぐると走り回っているのは、今までの自分の精神状態では到底思いつくことのできなかったポジティブな直感だ。 今までの毎日からは考えられないくらい日常の苦痛がスッと消え去った
こんにちは。 どうも精神的に体調が悪く、これはもしものことがありそうだと、あってしまってからじゃ取り返しがつかないと判断したので私は今、地元に帰省している。 まずは、冷静ではいられなかった毎日で、これだけ冷静な判断を下せた自分よ、ナイス。ありがとう。 眠れず母と泣き続けた朝 数日前、実家で過ごしていた私はいつものように眠れない夜に、いつものように訳もわからず泣いていた。悲しい理由を考えようとすればするほど頭の中にモヤがかかって、限界までたまって行き場を無くしたモヤが涙にな
久しぶりに更新します。緊張。 アイドルに救われた話みたいなありきたりな話とは思いたくないくらい、自分の中で何かが大きく変わったあの日。 昨日ふと、1年前に行ったライブの映像を観た。 当時(というほど前でもないけど)感じていた気持ちや見ていた景色、描いていた色、感覚を思い出して、気が付いたら手元に水溜りができていて現実に引き戻された。 自分の中でずっとずっと押さえつけていた何かが限界に達して、蓋を押し上げた中身がどんどん溢れて止まらなくなっていた。 「私、めちゃくちゃ
前回に引き続き書いていきたいと思います。 具体的な症状について私の場合、 ①自分の体型や痩せることへの異常な執着 ②詰め込むように食べ続ける強迫的な食行動 が主に続いています。 ①については、前回の記事にも書いたように 「太っている自分には魅力がない」 「太っているせいで誰にも愛されない」 と、とにかく自信がなくなりました。 落ち込むと全てが体型のせいに思えてきて、うつ状態になることがよくあります。大袈裟ではなく、死にたくなります。 落ち着いている時であればこれらが全て
私は食事が怖い。 食事によって人生が変わってしまったと思うくらい、食への恐怖心がある。 今回は、私が摂食障害になった経緯や症状、これを読んでくださった方へのお願いなどを、2回にわたって細かく記していこうと思います。 摂食障害とはまず、摂食障害って?という方のためにかるーく説明します。 摂食障害とは、食に対する偏った思考や異常な食行動が続くことを言い、心と体に負担がかかってしまう状態のことです。 例えば、 ・十分な食事を摂ることができない ・食べる量をコントロールできず、体
noteをはじめてしばらく経ち、やっと使い方も分かってきたところで、唐突ですが自己紹介しようと思います。 いや、忘れていたわけではありません。 忘れていたわけではありません。 (なんで二回言った) 私のことを知ってもらおうとはじめたはずなのに、自己紹介すらしていなかったとは…。ちょうどよく気が抜けていて良しとしましょう。 基本情報渡辺芽衣と申します。5月生まれなので、めい。「トトロのメイちゃん」という言葉は致死量に達しているので、私に向けてはあまり言わない方が安全です。
前回の続きです。 入院生活 中期閉鎖病棟での1ヶ月間の生活を終え、ようやく開放病棟へ移動になりました。面会時間も増え、看護師さん同伴でなら院内の散歩も可能になり、できることが少しずつ増えることがとても嬉しかったです。 ここでは3ヶ月間過ごすことになりますから、学校にも通います。病棟に併設されている学校に通い、日々の授業はもちろん、様々な行事にも参加させてもらいました。 小学生から高校生までが一緒に生活するというはじめての経験は、兄弟が沢山できたような気がして、寂しさを忘れ
今回は私が強迫性障害になり、その後精神科に4ヶ月の間入院していた時の話を書きたいと思います。 ここでひとつ注意していただきたいのが、今回の話はあくまでも私の例であり、人によって最善の治療方法は異なるということです。 それを前提とした上で読んでいただけたらと思います。 そして、私が強迫性障害になったきっかけについてはこちらに書いてあるので、こちらの記事を読んでからの方が話がわかりやすいかもしれません。 入院するに至った経緯以前も書きましたが、私は強迫性障害により、家庭内で
前回の続きを書いていきます。 ビリギャル大逆転、高校高校は家から通える距離の、私立のミッションスクールにかろうじて拾ってもらい、入学することができました。 一年生。 中学でのブレーキ故障事件から、最初から飛ばしすぎるのは良くないと学んだ私は、その恐怖からか、なかなかエンジンがかかりませんでした。 一日登校するだけで全神経を消耗してしまい、次の日に休んでしまったり、遅刻や早退を繰り返したり、思うようにいかない日々が続きました。 高校は義務教育ではありませんから、行かなければ
今回は学校について書いてみたいと思います。 私が今まで送ってきた学校生活、そして大学生として学校に対して今思うことなど、順を追って説明していきます。 あくまでも私の経験した学校生活からの視点なので、参考程度に読んで欲しいと思います。 激動の6年間、小学校。小学校は、地元にある公立の学校に入学しました。 小学生時代の私の通知表には、「活発」「明るい」「授業中に進んで発言できる」といったプラスとされる言葉が並んでいることが多く、良い子だと褒められるような子どもでした。のちにこ
以前のnoteで、私は発達障害であるということをお話ししました。 今回は発達障害の二次障害として引き起こされる「強迫性障害」について書いていこうと思います。 強迫性障害とはどんな病気なのか強迫観念と強迫行為というものが特徴にあります。 これは、例えば「細菌が気になってずっと手を洗ってしまう」「ドアに鍵をかけ忘れた気がして何度も家に戻る」などと言った強迫観念により、明らかに度を越した不安やこだわりがあらわれる、というものです。 本人にも「無意味だけどやめられない」という意識が
私には生まれ持った気質として「HSP」というものがあります。HSPとは、Highly Sensitive Personの略で、とても敏感な人のことを指します。特徴には、音や匂い、ひかりに敏感だったり、共感力が高かったりすることなどがあります。 HSPには個人差があり、これから紹介するものは私の場合なので、ひとつの例として読んでいただければと思います。 どのように敏感なのか私は突発的な大きな音がとても苦手です。例えば、猛スピードで走る車の音や急に驚かされた時などがあります。
私には発達障害があります。 その生きづらさを過去にどう乗り越えてきたか、今どのようにして自分の特性と向き合っているかを知ってもらいたくてnoteをはじめました。 発達障害である自分にできること、それは、「伝える」ということであると思います。発達障害やHSPで苦しんでいる方の中には、周囲に言えず苦しんでいる方もいます。互いが互いを認め合える社会に少しずつでも近づけるよう、私には「発信する義務」があるのだと感じました。 今苦しんでいる人、同じような過去を持つ人、家族が生きづらさを