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【小説】人間ばなな

 お姉ちゃんは人間の形をしていたし人間として問題なく生活していたけれど、その中身はバナナだった。つむじから縦に皮を剥くことができて、すると綺麗な黄白色の果肉が剥き出しとなるのだった。

 そして僕が九歳、お姉ちゃんが十二歳のときにお父さんが会社をリストラされた。我が家は一気に貧乏になって、食べ物もろくに買えなくなった。そこでお父さんとお母さんは、お姉ちゃんを食べることに決めた。それまでは皮を剥いたことはあっても齧ったことはなかった(剥いた皮はすぐ自然にくっ付いたらしい)んだけれど、いざ皮を全部剥いて輪切りにしたお姉ちゃんを食べてみると、やっぱりバナナだったし、ちゃんと美味しかった。

「バナナを産んでおいて良かったわぁ」

「ちょうど食べ頃だったな」

「そうね。ホクロが急に増えていたのは、シュガースポットだったんだわ」

「ああ、バナナの皮についてる茶色い斑点か」

 お父さんとお母さんのそんな会話を覚えている。僕はお姉ちゃんを食べちゃって良いのかなと疑問に思ってはいたけれど、まだ死の意味もよく分かっていなくて、それよりも空腹の方が自分にとって深刻な問題だったから、なんとなく受け入れていた。

 それから十年以上が経って、僕も結婚して息子ができた。息子はバナナだった。見た目は人間の赤ん坊と変わらないものの、つむじに穴が開いているのを見つけて少しぺりっと剥いてみたら、お姉ちゃんと同じで黄白色の果実が覗いた。どうやら僕の家系は、ときどきバナナが産まれてしまうようだ。

 しかし、僕は絶対に息子を食べたりしないと誓う。と云うか、誓うまでもなく、そんなのは論外だ。この歳になって、子供ができて、そして分かった。僕のお父さんとお母さんはおかしかったのだ。いくらバナナだからといって、我が子を非常食扱いするなんてどうかしている。

 妻にも事情を話した。はじめはショックを受けたみたいだったけれど、可愛い我が子であることに変わりはないし、普通に人間として生きていけるのだから、悲観はしなかった。バナナと知っても愛情は変わらない。無論、これから何が起きようと、食べるなんてあり得ない。

 僕らの子育ては順調に進んだ。息子はすくすくと育っていった。そして息子が三歳の誕生日を迎えようとするころだった。

 我が家に、お姉ちゃんが訪ねてきた。

 目を疑った。お姉ちゃんは昔、食べられてしまったはず――僕だって、それを食べたはず。でも彼女は自分がお姉ちゃんだと云うし、実際、お姉ちゃんがあのまま食べられずに成長していたらこうなっていただろうという容姿をしていた。

 ともかく、話を聞いてみなければいけないと思って、家に入れた。妻は息子を連れて買い物に出掛けていて、家には僕ひとりだった。

 ダイニングの椅子に腰掛けると、お姉ちゃんは早速話し始めた。

「本物のお姉ちゃんは私よ。バナナだったお姉ちゃんは偽物」

「えっ」

 何もかもが唐突で、反応に困る。

「そもそも貴方、人間からバナナが産まれるなんて本気で信じてたの? そんなわけないでしょ?」

「…………」

「産まれた時にね、産婦人科医院ですり替えられたの。本物の私は外国に売られた。でも色々あって先月、やっと自由の身になって帰国できたの。お父さんとお母さんには会って来たわ。二人から貴方の居場所を聞いて――」

「ちょ、ちょっと待って」

 身体がガクガク震えて止まらなくなった。冷や汗が噴き出して、動悸がした。

「ぼ、僕らの息子も、ば、バナナなんだ。僕らの息子も、お、お姉ちゃんが産まれたのと同じ、さ、産婦人科医院だったんだ。も、もしかして、僕らの息子も――」

「偽物ね」

 お姉ちゃんはピシャリと云った。目の前が、真っ暗になる。

「先生はきっと、私を取り上げたのと同じドクター篠崎でしょう? あの人は赤ん坊を人間バナナとすり替えて、海外に売り飛ばすビジネスをしているの。人間バナナは医院の地下で大量に栽培されてる。産まれたばかりの赤ん坊からDNAを採って、それをバナナに――」

 そこでガチャリと鍵の開く音が響き、妻と息子が帰ってきた。買い物袋を両手に提げた妻はお姉ちゃんを見て「あら、どなた?」と不思議そうな表情を浮かべ、息子の方は「ただいまーぱぱー」と無邪気に笑って駆け寄ってくる。

 僕は言葉を発することができない。

 息子は僕の足に抱き着く。偽物の息子。人間バナナ。僕は知らなかった。知らずに、本物の息子だと思って、愛情を注いできた。バナナであっても可愛い我が子に変わりはないと、強く信じていた。なのに、違った。本物の息子はいま、どこか僕の知らない外国にいる。涙が滲み始める。まだ多くない語彙で一生懸命にお母さんと買い物に行った先であったことを伝えようとしているこの子は、ただの、バナナなのだ。

「諦めなさい。もう、遅いわ……」

 お姉ちゃんが、僕にそう囁いた。

 でも僕はこれから、愛せるんだろうか?

 諦めて、愛すしか、ないんだろうか?

 このバナナを?


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