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『杳子・妻隠』古井由吉

『杳子』
主人公と杳子は深い谷底で出会う。神経を病み、危うい空気を纏った彼女と戯れに逢瀬を重ねるうち、互いの境目が朧げなものになってゆく。この二人の関係を共依存という言葉で片付けてもいいものか読み終わってしばらく考えていた。
「健康になるって、どういうこと」「まわりの人を安心させるっていうことよ」/「いまのあたしは、じつは自分の癖になりきってはいないのよ。あたしは病人だから、中途半端なの。健康になるということは、自分の癖にすっかりなりきってしまって、もう同じ事の繰り返しを気味悪がったりしなくなるということなのね。そうなると、癖が病人の場合よりも露わに出てくるんだわ。そんな風になったら、あなたはあたしに耐えられるかしら......」

『妻隠』
高熱で会社を一週間休んだ男が、専業主婦の妻と暮らすアパートの部屋で桃を食べたり近所の変なばあさんに話しかけられたり向かいの平屋に住む若い男たちと絡んだり絡まなかったりする話。終始不穏である。世間から隔てられた平日昼間の部屋の中でふと立ち止まり日常を見つめてみると、もうすっかり見慣れたと思っていた妻の顔さえ不確かでよそよそしいものに感じられてしまう。日常を繰り返すうちに滲んでしまった輪郭線がはっきりする瞬間というのがあって、それらが無意識の水面下から白日のもとに晒されるとなぜか居心地が悪くなる。
どうやら杳子の方は山口小夜子出演で映画化されているらしく、そちらの方を観てみたいと思った。内向の世代、難しい。

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