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『仕事なんか生きがいにするな』泉谷閑示

タイトルが自棄っぱちのようでもったいないと思う。副題の方が内容に沿ってる。働かなければご飯が食べられない。では、生きることとは仕事をすることなのだろうか。そこに生きがいを見出せずにいるのだとしたら、一体何をよすがにどう生きればよいのか。

消費社会が生み出した「質より量」という概念、すぐに役に立つことやわかりやすいこと、面白いこと(売れること)を至上の価値として考えてしまう社会風潮。量ばかり嵩み奥行きのないコンテンツに慣らされてしまった私たちは、自分の中の空虚さを埋めるように次から次へと情報を得、人との繋がりを求めSNSをチェックし、有意義に過ごしたと思いたい一心で出来合いのレジャーや娯楽に時間を費やす。ハングリーモチベーションで支えられてきた消費社会の残滓、それが私たちの生きる現代社会だ。

人間らしい在り方を取り戻すためには、儲かるとか役に立つとかいった意義や価値をひたすら追求するのではなく、生き物としても人間としても意味が感じられるような生き方を模索することが必要だ。「意味」は「意義」のような価値の有無を必ずしも問うものではなく、しかも、他人にそれがどう思われるかに関係なく、本人さえそこに「意味」を感じられたのなら「意味がある」ということになる。子どものころは、チラシの裏に絵を描いたり、秘密基地を作って遊んだり、それらの行動が将来の自分にどんな価値を持たせることができるのかなんて考えたことはなかったはずだ。「意味」とは、人が「意味を求める」という志向性を向けることによって初めて生み出されてくるものである。

特別なことに意味を求めるのはしんどい。日常の瑣末な出来事をいかに非日常的に感じ取って遊べるか、そこに私たちが自分らしく暮らしてゆけるかの鍵がある。たとえばスーパーに行って目に付いた食材を買いレシピを検索せず料理をしてみたり、目的を決めずに気になった角を曲がってひたすら散歩してみたり。私たちは「何者かになる」必要などなく、ただひたすら何かと戯れてもいい。それが遊びの真髄であり、自分なりの豊かな生活を謳歌するためのささやかだが大きな力となるのだ。

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