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『月下の一群』つれづれ

若い頃、堀口大学の『月下の一群』で読んだラディゲの四行詩には影響を受けた。露骨でない、洒落っ気のある、どこか陰影を感じるその言い回しには時に心を揺すぶられた。「屏風」はこんな詩である。

白百合のやうに清潔な少女よ!
屏風のかげであなたは裸になる、
このお行儀が私をかなしませるので、
あなたはひなげしのやうに赤くなる。

この詩は、もう何と言っていいか、本当に心に刺さった。爾来、何とかラディゲの作風をものにしようと何度ラディゲ風の詩を書いたことか。因みに堀口大学の『月下の一群』は若き私のバイブルであって、「大学はどちら?」と聞かれたら「堀口大学です」と答えるようにしている。聞かれたことないけど。

大学の訳詩にはギー・シャルル・クロスという詩人の作も多い。「リュクサンブール公園で」などは特にどういったこともない作だが、詩人の孤独がしみじみと身に染みる。それはそうとこの詩人がエジソンをライバル視していた発明家だと数十年後に知った時にゃ、腰を抜かさんばかりに驚いたよ。え、え、え?発明家??

私は一人の小さな女の子を思ひ出す、
それはリュクサンブール公園の五月の或る日のことだつた。
私は一人で坐っていた。私はパイプを吹かしていた。
すると女の子はじつと私を見つめてた。
大きなマロニエの木蔭には桃色の花がふつてゐた、
女の子は音なしく遊びながらじつと私を見つめてた。
女の子は私が言葉をかけてくれればいいがと思つてゐたのだ。
彼女は私が幸福でないと感じたのだ、
でも幼い彼女は私に言葉をかけることは出来なかつたのだ。
榛(はしばみ)の実のやうに円い目をした女の子よ、やさしい心よ、
お前ばかりが私の苦悩を察してくれたのだ、
彼方(むかう)をお向き、どうして今のあんたに理解が出来ませう?
彼方へ行つてお遊びなさい、姉さんが待つてゐます。
ああ誰も治すことも慰めることも出来ないのだ。
小さな女の子よ、何時かあんたにそれが分る日が来るでせう。
その日、遠いやうで近いその日、あんたも今日の私のやうに、
リュクサンブール公園へ、あんたの悲しみを考へに来るでせう。

しみじみ。


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