運動否定論5 アリストテレスの第三者論

『ブリタニカ国際大百科事典』の「第三の人間」によると、アリストテレスの第三者論は以下の如くである。

「形相論 (イデア論) 批判に際して用いられた論証。アリストテレスの注釈家アレクサンドロスは3つの型に分類している (『アリストテレス形而上学注釈』) 。その内容は,有名なアリストテレスの論証を例にとると,もし個々の人間 (A) のほかに「人間自体」 (X) というイデアがあって,AがXへの類似という関係を有することで存立しているとするならば,AとXの相似関係を保証する,すなわち両者に共通に類似している第三の人間 (Y) の存在が要請され,さらにA-Y,X-Yの類似関係についてもその関係を成立させる「人間」の存在が要求されて無限背進が生じる。これは不条理であるとするもの。」

プラトンによれば、個物はイデアを模倣することによって存在する。アリストテレスは、そんな言い草は「空虚なことばであり、詩的な比喩にすぎない」と手厳しい。なぜなら、一人の具体的人間が人間自体というイデアに類似するとしたら、両者に共通する第三者が要請される。すると今度は、一人の具体的人間と第三者に共通する第二の第三者もまた要請される云々。かくして第三者が無限後退的に発生するので、不合理である、と。

このアリストテレスの第三者論の論理構成は、ゼノンの運動否定論のそれと似ている。ゼノンの考えを応用すれば、アキレスが便所に行くには、まずその半分の距離を走らねばならず、そのためにはそのまた半分の距離を走らねばならず云々、かくして走るべき距離が無限に半分割され、アキレスは便所に間に合わない。アリストテレスの場合はといえば、個物がイデアを模倣するには(そうでもなければ個物は存在し得ないのだろう)、まずは両者を介在する第三者に似なければならず、そのためには個物とその第三者を介在する第二の第三者に似なければならず云々、かくして個物はイデアに至ることはかなわぬ夢となるのである。ゼノンはアリストテレスの隠れたる後継者なのである。

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