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ゼノンの運動否定説について

以下は私の妄想である。アキレスが亀に追いつけないという運動否定論についてである。

仮に運動を「一定時間内における連続的位置変化」と定義するならば、ゼノンの運動否定説には時間の観念がないのが気になる。運動とは、例えば3分で3メートルあるA地点からB地点へと連続的に位置変化していくことをいう。運動(つまり位置変化)と時間は不可分なのだ。

だが、ゼノンの話は時間の観念を欠く。たぶん、時間と空間は不可分なのだ。何かしら時間が経てば何らかの運動が必ずやなされており、運動があれば時間は必ずや経過しているのだ。机の上に石を10分放置すれば、石は何も動かないが、おそらく石を構成する原子は動いているのだ(しらんけど)。犬が散歩すれば、必ず時間も経過するのだ(こっちは知っとる)。

時間を捨象した運動は不可能なのだ、運動なき時間があり得ぬように。だから、時間の観念を欠くゼノンの運動否定説は空想に過ぎぬ。

仮に宇宙空間に何ら物体が存在しなければ、時間の経過は計られないだろうし、もっと言えば、そもそも時間はあり得ぬだろう。時間あっての物体ではなくて物体あっての時間なのだ。空間も然り。空間は移動距離を測って始めて存在する。もし物がなければ何も移動することはなく、何も移動しなければ移動距離を測ることもできず、従って空間は存在し得ぬ。

時間と空間があるだけでは、時間は自らを表し得ず、空間も自らを主張し得ぬ。物があってはじめて両者はその姿を現す。そして時間と空間は物の運動(そもそも運動とは物の状態また位置の変化であるので、物なくしてはあり得ぬが)をまって始めて存在し得ることになる。

つまり、物があれば必然的に運動があり(完全なる静止物体はあり得ぬ)、運動があれば必然的に時間と空間とがある。時間と空間があって、そこに物があって、それでも運動がない、というのは本末転倒なのだ。アキレスがいるけど走ることはできないんだよ、とは言えないのだ。

以上、理系音痴の妄想でした!

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