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実体としてのアルケー論

自然哲学のアルケーには実体としての側面がある。実体とは、万物の根底にあり不生不滅であるものであり、現代風に言えばある種の原子のようなものである。このアルケーの実体的側面を古代ギリシア哲学史的に考察してみた。

・タレスの実体論
いわゆる「万物の根源」は不生不滅の実体であって万物の根底にある。これが一般的見解であろう。実は、タレスがこの見解を抱いていたのかどうかは、私たちが得られている情報からは十分には確認できないのである。タレスの発言としては、「水である」(『何が』水であるのかは、実はよくわからない)、「大地は水の上に浮いている」、「万物は神々に充ちている」、「磁石は鉄を動かすので魂を持つ」の3,4つくらいのものであろうと思われる。

アリストテレス自身は次のように言う。(『形而上学』[1])

凡ての存在者がそれから出来ているもの、すなわちそれを最初のものとしてそれから生じてき、またそれを最後のものとしてそれへ滅んでいくところのそのもの(というのは実体は根底に止りつつ、ただ様態におよってのみ変化するのだから)、それを存在者の元素であり、原理であると主張し、またその故に何ものも生成することも消滅することもない、何故ならそのような本性が常に維持されているゆえ、と思っているからである。…けれどもこのような原理の数と型とに関しては、凡ての人々が同一のことを言っているのではない、むしろこのような哲学の開祖タレスは水がそれであると言っている(このゆえに彼はまた大地が水の上に浮いているという意見を持っていた)…。

タレスが「水である」と言ったのは間違いがないようであるが、では何が水であるのかは、アリストテレスの解釈や推測はあるにしても、タレス自身の言葉は不明なのである。どうやら万物の根源があり、それにタレスは何らかの定義を付与しており、それを水と言ったのであろうが、タレスその人の万物の根源に対する定義は、もはや私たちの手には届かないのである。だから、万物の根底に不生不滅の実体があるとタレスが考えたのかどうかは、どうにもわからないのである。

・アナクシマンドロスの実体論
では、タレスの系譜に連なるアナクシマンドロスとアナクシメネスにおいてはどうか。アナクシマンドロスについては、やはりアリストテレスが次のように言う。

凡てのものは始源であるか、或は始源から派生したものである。しかし無限なるものの始源はあり得ない、何故なら、もしあるとすると、それはそれの限界となろうから。なお、また無限なるものは、何か或る始源であるかのように、不生不滅なのである。(『自然学』アリストテレス)[1]

おそらく、次のような論理であると思われる。「すべては始源か始源の派生物である。始源から物が派生するとは物が生成することであるが、生成すれば消滅は必定である。故に始源の派生物は消滅する。然るに始源それ自体は生成しておらず、故に消滅もしない。故に、始源自体は不生不滅であって、万物を生成し、万物は滅んで始源へと還るのである云々。」

このように考えると、アナクシマンドロスの論理は追いやすく、誤解しにくい。アナクシマンドロス自身の言葉は伝わっていないにしても、それなりに彼の思想は把握できそうである。そしてこう解釈すると、アナクシマンドロスは万物の根底に不生不滅の実体がある、という考えを抱いていたようである。

・アナクシメネスの実体論
アナクシメネスについては、次のような記録を参照せよ。

アナクシメネスはアナクシマンドロスの仲間であったが、彼自身も、この人と同じように、基体として存する原質を一つにして無限である、と主張している。しかしこの人のように、それを無規定なるものではなくて、限定されたものだ、と主張している。というのはそれを空気だと言うのだから。(『アリストテレスの自然学注釈』シンプリキウス)[1]

アナクシメネス…の言うところでは、原理は無限な空気であって、それから生成しつつある事物、生成した事物、存在するだろう事物、神々及び神的な事物が生ずるのであり、残余の事物は空気の子孫から生ずるのである。(『全異教徒駁論』ヒッポリュトス)

「基体として存する原質」という言い回しを見れば、ここにも万物の根底にあって不生不滅なる実体という観念があるように思う。

・クセノパネスの実体論
クセノパネスには「凡そ生じてきて成長する限りのものは土と水である」(『アリストテレス自然学の注釈』シンプリキウス)[1]という言葉があるが、ということは、木も花も犬もすべて成長する生物は土と水であり、しかし表面上はそうは見えないので、それらの根底に実体としてある、ということが考えられるだろう。では、生物ではない石や岩はどうか。これらも元々はなかったのであるが、何かの拍子に生じて来たのであるし、場合によっては巨大化するのであって、従って石や岩も生成か成長かのいずれかをするものであり、あるいはその両方をするものであるので、そういうふうに捉えるならば、やはり土と水から成るのである。こう考えると、クセノパネスの哲学も実体として不生不滅なるものを前提としていると言えそうである。

・ヘラクレイトスの実体論
闘争の哲学者たるヘラクレイトスはどうであろうか。彼は「万物は火の交換物であり、火は万物の交換物である、あたかも品物が黄金の、黄金が品物のそれであるように」(『心の平静について』プルタルコス)[1]と言う。火が万物となり万物が火となるのである。もう少し詳しく言えば、「…火は元素であり、万物は火の交換物であって、稀化と濃化によって生じる。」ということである(『哲学者列伝』ディオゲネス・ラエルティオス)[1]。その希薄化と濃厚化の詳細は不明だが、少なくとも万物の元素であって、ヘラクレイトスにおいては、火は万物の根底にある実体であることがわかる。

・エンペドクレスの実体論
エンペドクレスは次のように言う。

「…見るに明るく、いずこにても温き太陽を、またその熱と輝く光輝とに浸されたる凡ての不死なる部分〔空気〕を、また凡ゆるところにおいて暗く冷き雨を、而して土からは基礎の確たる固きものどもが流れ出る。そしてこれらのものは凡て怒の御代にありては、形を異に、離れているが、愛の御代にありては、一緒になり、互に相求める。何故なら、これらのものから、かつて有りしものも、現に有るものも、後に有るだろうものも、すなわち木々も、男女も、獣どもも、鳥どもも、水に養われる魚どもも、命長く位いと高き神々も、出できたるゆえ。何故なら、ただこれらものも〔要素〕のみにあって、互に駆けぬけつつ、いろいろな姿のものになるゆえ。」(『アリストテレス自然学の解釈』シンプリキウス)[1]

ヘラクレイトスは文学的比喩を使って四元素を描出する。「温き太陽」とは火であり、「その熱と輝く光輝とに浸されたる凡ての不死なる部分」とは空気であり、「暗く冷き雨」とは水であり、そして「基礎の確たる固きもの」が土となる。空気については「不死」と言われているが、これは他の元素にも通じるであろう。したがって、ヘラクレイトスにおいても四元素は実体として不生不滅となる。

・アナクサゴラスの実体論
アナクサゴラスはこうである。「…何ものも一つとして生じもしなければ、滅しもしないで、むしろすでに有るものどもから混合せられたり分離せられたりするのだから。そういうわけだから、生成という言葉の代りに、混合という言葉、消滅という言葉の代りに、分離という言葉を用いれば、正しいだろう」(『アリストテレス自然学の注釈』シンプリキウス)[1]という。これもまた実体としての根源論である。

・デモクリトスの実体論

レウキッポスと彼の友人デモクリトスは、要素は充てるものと空なるものであると主張するが、そのさい一方を有るもの、他方を有らぬものと、すなわちそれらのうちで充ちて堅いものを有るもの、空なるものを有らぬものと呼ぶ(それゆえにまた有るものはいずれも、有らぬものより以上に有ることはない、何故なら物体は空なるものより以上に有るのではないから、と主張する)。そしてそれらを有るものどもの質料原因とする。そして基底にある実体を一つとする人々が粗薄と緻密とを受様の原理だとして、その実体の受様によって、その他のものどもを生ぜしめるように、これらの人々も同じく差異をその他のものどもの原因だ、と主張する。けれどもその差異は三つ、すなわち形態と配列と位置である、と言う。何故なら彼等は有るものがただ形と並びと向きとにおいてのみ異なる、と主張するが、しかし形は形態であり、並びは配列であり、向きは位置であるからである。

アリストテレスの『形而上学』[1]によると、デモクリトスらは以上のように主張したようである。「基底にある実体」としてアトムを仮定したわけである(ちなみに、アトムという概念は、現代からすればきわめて科学的と見られるのかもしれないが、当時としてはまったく知覚できない代物であり、その他の自然哲学者の多くが現に知覚できるものから観察などを通して考えたのと異なって、デモクリトスたちはアトムを単なる思惟によって観念的につくりあげたわけであり、その意味でデモクリトスはイデアを仮構したプラトンに負けず劣らず観念論者だったことになる)。そして物質の多様性はこれら基底に存在するアトムの形態と配置と位置が異なるにつれて異なって知覚されることになるのである。私の知る限りでは、このデモクリトスらはアトムを不生不滅とは言っていないようであるが、アトム論者までの自然哲学史を通観すれば、そのように考えても無理はないだろうと思う。

[1]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 岩波書店
[2]『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 講談社学術文庫

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