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パルメニデスの一なる宇宙について


何らかの物が存在するとしたら、その物には何らかの性格があるだろう。円い・四角い・高速で運動する・静止状態にある・短命である・長寿である、等々。もし何ら性格を有していないとしたら、その物は存在すると呼ぶに値しないであろう。

物があれば、全体と部分があるであろう。諸部分が集って一つの全体としての物を構成するのであり、あるいは物は全体としてあって諸部分から成るのである。

こうして考えてみると、ここで性格・全体と部分といった問題が立ち上がるであろう。1)一つの全体に何らかの性格を付与して部分を等閑視する場合があり、2)部分に何らかの性格を見出して全体に頓着しない場合があり、3)全体と部分とが同じ性格であると考える場合があり、そして4)全体と部分とで性格が異なるとみなす場合があるであろう。

ミレトス学派はどう考えたであろうか。彼等はアルケーについて考察を巡らせた。アルケーとは、アリストテレスの要約に従えば、a)万物がそこから生じてそこへと滅するものであり、b)万物の不生不滅の元素であり、c)万物を統御する原理である。一言でいえば、アルケーとは元素の性格を強く持つものである。それはミレトス学派の祖たるタレスにとっては水であり、アナクシメネスにおいては空気であり、ヘラクレイトスにおいては火であり、ミレトス学派とエレア学派の架橋たるクセノパネスにとっては火のみならず土でもあり、少々変わり種としてはアナクシマンドロスの無限なるものというものもあり、それは水・空気・火・土のいずれでもなく、いずれの性格も持っていない何か別の物であった。彼等は2)部分については考察していながらも全体の性格については無関心であった。

ただ、ヘラクレイトスとクセノパネスを除いては、である。というのも、ヘラクレイトスは万物の元素を火であり、かつ「万物は火から成立し、またそれへと解体する」としながらも、同時に「全宇宙は…火から生れ、再び火に化するが、この過程は交替で、一定の周期を以て永遠に行われる」とも言うのである(『哲学者列伝』ディオゲネス・ラエルティオス)[1]。クセノパネスも万物は土から生じて土へを還るとし、同時に土から世界が誕生して世界は土へと解体される、と言っている。すなわち、この点ではヘラクレイトスとクセノパネスは3)全体と部分とが同じ性格を有していると考えているのである。

では、ミレトス学派とは毛色の異なるパルメニデスはどうであろうか。彼は言う。

「有るものは不生なるものゆえ、不滅なるものゆえ、何故なら完全無欠なるもの、また動揺せざるもの、無終なるものゆえ。それはかつて或る時にだけ有ったでもなく、またいつか或る時に初めて有るだろうでもない、何故ならそれは現在一緒に全体とし、一つとし、連続せるものとして有るゆえ。」(『アリストテレス自然学の注釈』シンプリキウス)[1]

つまり、宇宙は(全体なのであるから)一なるものであり、不生不滅・完全無欠・不変不動・無始無終・全体・連続なのである。これらの性格の多くはいわゆるアルケーとしての元素と同じである。どういうことかと言えば、パルメニデスは1)一つの全体に何らかの性格を付与して部分を等閑視するのである。ある言い方をすれば、元素たるアルケーを拡大して宇宙そのものと同一視したのである。

なお、4)に関しては明確な記述はないようであるが。

参考文献
[1]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 岩波書店
[2]『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 講談社学術文庫


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