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募集します

 隣の席の男子のノートのらくがきが見えて、それが妙に上手かった時、みたいな感情。

 意外な才能やギャップを言い表す際に的確性と少しのノスタルジック補正を加えた絶妙な表現だ。普段はこうしているが、そんな趣味や特技もあったのかと自分だけが知ってしまった感じが堪らない。
 私のnoteもきっとそうで、しょうもないカスみたいな生活、経歴で、ステージに立っているというだけでも充分不可思議なのに、ここに辿り着いてしまった人は若干そのような気持ちになったことだろう。いや、そうであってほしいだけかもしれない。

 そのような人への憧れがかなりある。お笑い芸人のsuzuriとか、バンドをやっている子の作ったLINEスタンプとか、なんかそんなんズルじゃないか。そういうこともするんだ、みたいな気持ちにさせられるのがなんとも羨ましい。しかも特にそれをひけらかさなかったりするともはや悔しい。

 個人が持つ意外性とは、そういうそつなさによって最も発揮される。

 美術大学を5年で卒業、普通に暗い引きこもりがちな自分がしていたら意外なことってなんだ?noteとか、別に全然書いてそうじゃないか?昔から実はやっていたし。ただ、ステージを観て、ステージ上の私が貴方に与えた印象と、このように文章を綴っている姿が意外なものであったなら、それは一つのブランディング成功例だ。こんなことまで言ってしまうからきっと意外性が薄れていくのだろう。手の内を明かしすぎている。しかし社会的信用がかなりギリギリな自分にとって、変な人間ではない、頭の中はこうなっていると開示することは、信頼してもらうにあたって必要なことのようにも感じる。でもやっぱり羨ましいなぁ、ギャップがある人間。憧れるよ。意外性を持ちたいと思ってしまった瞬間から、それは卑しく打算的なものに変わってしまうという恐れもある。難しい。

 やっていたら意外なこと、募集します。プライド、ありません。ちなみに今は風呂に入るのが面倒くさく、脱衣所まで来たのに洗濯機の前に座ってnoteを書いている。洗濯機から変な音がする。キキキキキキ

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