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VRCでの見聞と人々の"VR生"と僕の想いと

はじめましての人は初めまして。そうでない方はいつもありがとう。
mayoi2goと申します。
ざっくりと自己紹介するならVRCでバーの店主をやってたり、たまにイベントの企画をしたりして過ごしています。ざっくりしすぎか。
そんな私とVRCとの出会いなどはまた次の機会に綴ろうと思います。
今回はそんな世界で私の思ってることをただ綴ります。きっと人によっては後ろ暗い部分や考えたくない部分を指摘することになるような気がするので考えすぎる人とそういうのを聞きたくない人はこのまま戻ることをお勧めします。
そしてもしどうか勇気をもってこの声を聴いてくれたあなたがもし何かを感じてくれたなら、その言葉を私に向けて飛ばしてみて欲しい。

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この世界に生きる人々と接してみて

VRC日本人界隈、(界隈と言ってもかなりの数があるので一概にこうとは言えないですが)様々なタイプの人がいますが、皆割と"流されすぎてるんじゃないかな"と勝手に思ってます。
繋がりが少なかったり、年若い(私も若いですが)子が特に顕著な気がします。
「3Dモデリングしてる人が多い、だからここは自己表現と作品作りの研鑽の場なんだ」
「誰も彼もお砂糖(VRC内恋愛のこと)ばかり、私も誰かパートナーがほしい」
「混ざりたいけど声を出して話すのは抵抗があるから無言でいるけど辛い」
「声をソフト(あるいは自力で)で変えてる人がいる、私も変えるべきか」
とか、とか。
挙げだすとキリがないですが最初に一つだけ言います。
あなたがあなたで在れるならそれで十分です。
逆にあなたがあなたで在れないのに、それをするのは違うんじゃないか。

作ったあれこれ

ある子の話

最近話した子の中の一人が
「VRCで私を見て欲しくて色々してきたけど、あくまでも皆作品を作って"その作品を見て褒めているのであって、私自身については見ていないんじゃないか"」(一部言い換えたりしてます)って零していました。
これ、半分正解で半分間違いだと思ってます。
自己表現としてモデリングをする人は本当に多い。ワールドやアバター、小物の多さからもそれは伺えます(1タイトルのためにここまでの人を動かしてるのは純粋に凄いことだと思う)。
結果として賞賛されたり、変な言い方をすれば承認されたりしている人が本当に多い。それも"一個人として"。
その反面、レスポンスがなかったり、自作のモデルをあまり使われていないと思うと滅入ってしまったり、それが原因で離れてしまう人も何人も見てきました。
でも、私はモデリングって"しなくてもいいこと"の一つだとも思ってます。
VRCにインして、販売アバターなりを買って"なって"、フレンドとただ話す。ゲームワールドに行く。なんならVR睡眠もすればイベントにも行く。
これ、ここまででモデリングしてますか
皆気負いすぎてると思うんですよね、さっきの言葉を使うなら"流されてる"。
もっと気楽にインして皆と遊べばいいと思う。
この世界は何をしてもいいし、何もしなくてもいい。

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"お砂糖"について

VRC内で恋してパートナー関係を結んだり、なんなら現実でも付き合ったり結婚してたり、なんて話も珍しくなくなってきました。それも人によっては"性別の垣根すらなく"。
これ、私は可能性のようなものを感じてます。これからきっとこういった人と人との関係はより増えて、より密接になっていくと思う。
かくいう私もある人と"両方の世界でパートナー関係にあります"。
しかしこれもまた"人"同士の関係であるが故に問題も同時に孕んでいます。
お砂糖報告、と称してTwitter上での報告をよく見かけます。
そしてそれを見て「私もそういう相手が欲しい」と零す人も。
これについて私から言いたいことがいくつかあります。
・「パートナーが欲しい」という感情で相手を探して繋がっても長く続かない
相手と自分の求めるパートナー像が違うとこれはそもそも最初から成立していない
・「その人でなければいけない理由」を持ってない人を稀に見かける
言いたいことはもっとあるけど、かいつまんで言うとこんなところ。
まず一つ目から。
「Twitterなどでお砂糖報告を見て自分も欲しくなった」という人。これ地味に危険だと思ってます。だって"相手を見てない"んですもの。
そもそもの恋愛感情を持つ動機が相手と何の関係もない。だからこれ、そういう関係になった後、必ずと言っていいほど互いの間にすれ違いが生じます。
本当に"恋愛"と思ってそういうことをしようとしてるなら、そういう関係になる前にちゃんと相手を見てあげてください。何より相手がかわいそうです。
次に二つ目。
自分の思う"パートナー"相手の思う"パートナー"、これが違うとそれもまたすれ違う要因になります。
これ、とても便利な言葉であると同時にそれ故の問題を孕んでいると思ってます。
"恋人みたいな関係"をそう呼ぶ人もいれば、"他より少し仲がよくて気付いたら隣にいる人"と考える人もいれば、"よく一緒に遊ぶ相手"という程度の人まで本当に様々です。これをまとめて"パートナー"と呼んでいるんだからそりゃ摩擦も起きるという話です。
ちゃんと互いに相手とどういう関係になりたいのか、どういう関係でいたいのか話し合わないとこの問題はいつか当たる壁です。
最後に。
"その人でなければいけない理由"をちゃんと見つけてあげてください。
最初はなくてもいい。徐々に見つけていく関係もまた美しいものです。
これについてはそんなにいないかなとも思いますが、やはりいないわけではないようです。
「その人の声が好き」、「その人の仕草(ムーブ)が好き」、「特定のアバターを着ているその人が好き(その人の改変が好き)」、これだけではないでしょうが大方こんなところでしょうか。
これ自体は悪いことではないと思ってます。ただ、それ"だけ"ではきっとその関係はすぐに瓦解してしまう
この人のこういうところが好き、この人がこうするからこそ好き、そばにいたい。そういう"その人でなくてはいけない何か"。
私はちゃんと奥底の"私"を見てくれるパートナーが大好きです。
共にあるとき言葉を交わさなくても奥底を掬い上げるように訊ねてくるのが嬉しい。
私が立てないときは支えてくれるあの人を、あの人が立てないとき傍に立って支えてあげたい。
あの人にしかできないことを、一番近くで見ていてあげたい。

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"声"のお話

VRCでは割と当たり前のようにボイスチェンジャーを使用していたり、ともすれば地声を練習して変えた人も多くいます。
それとは反対に、無言でいようとする人も。
これ、バーチャル世界ならではのものだと思っています。
ただ、たとえばボイチェンを使い始めた人に「ボイチェン使い始めたんだ」と言う人もいれば、私みたいにあえて触れないひともいます。
これが人によっては「自分の声が嫌いで使い始めた」、「アバターに見合う声を出したくて始めた」、「ボイチェン使ってるVtuberさん見て始めた」、「自分らしくあるために始めた」と様々に理由を持って始めているものと思います。どうか本人の口から触れない限りは触れないであげてほしい。
そしてどうか「ボイチェン使ってたよね」や「あっちの声出してよ」などと言わないであげてほしい
その理由は前述の中にもありますが、それは経緯はどうあれ理由ありきで本人が決めて始めたものです。そこに人がとやかく言うのは違うと思うし、より自然に在りたいと思ってそうしたのならなおさら触れないであげてほしい。
僕らができるのは、そんな人達を「そういう声の人なのだ」とあるがまま受け入れてあげる。それだけです。
僕は声が変わってもなるべく変わる前と変わらず接することを心がけてます。声が変わってもその人の根幹は変わってないしね。
彼らは確かにあがいてもがいて、その世界に今在るんですから。
もうひとつは声のない人のお話。
様々な理由で声を出せない人(障害、人間恐怖その他)、意図的に声を出していない人、声で自分を決められたくない人。色々いると思います。
そしてこれはVRモードでインしてない人にもけっこういらっしゃいます。
確かに動きによる表現は制限されているし、思ってることを伝えるのはきっとずっと難しいと思う。それでもこの世界に踏み込んでそこにいてフレンドたちといられるのなら、それはきっととても凄いことなんです。
VRモードで無言の人達もたくさんいらっしゃいますよね。彼らはその動きで、ともすれば彼らの持つ雰囲気で自然に世界に溶け込んでいる。
人々と共にその地を踏み、共に遊び、共に暮らしている。
これ、とてもすばらしいことだと思うんです。
声がなくとも人は人と在れる、暮らせる、そこに存在していられる。
人は人がいなくなったとき、まず"声"から忘れるのだそうです。
声でもって人とつながり、そこに立つ私にとってはそれはとてつもなく耐え難い。あの人に、この人に、その記憶に根付いたこの声がいつか消えてしまうかと思えば寂しい。
そんな声がなくともあの世界に生きている彼らを、私は誰よりも何よりも尊敬する。
きっと言葉で語れなくとも、そこに在るだけであなたたちは凄い。

最後に

ここまで読んでくれてありがとう。
きっと長く稚拙で読み飽きたりあくびをしたり白い眼でみたりしながらここまで読んでくれたのだろうと思うと感謝に絶えない。
ここまで長々と思ってきたことを綴ったが、つまるところ言いたいのは
「皆流されすぎて考えすぎてる」。
もっと肩の荷を降ろして、気楽にいればいいと思う。
この世界は何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
誰と共にあるのも自由で、どう在りたいかもあなたが決めていい。
ただ、せめてその世界に在るからには、ちゃんと自分の行動の"理由"と向き合ってあげて欲しい。見えるものもきっと変わってくると思う。
人と人とのかかわり故にきっと問題はこれからも山積みだと思う。
でもそんなこともきっと、解決して時間が経てば笑い話になるだろう。
だからどうか、"考えながら"今を楽しんでみて欲しい。
誰よりも何よりも、あなたがもっとずっとあなたらしく在れますように。
この世界がどうかずっと"優しい世界"でありますように。
バーチャル人生一年目の若造より。未来の誰かへ。


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