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鶏のからあげ

私はどうも
「鶏のからあげ」が大好きらしい。
ここ最近の1ヶ月で数回家メシでおこなった居酒屋ごっこ。
メニューを決める際必ず「鶏のからあげ」が登場。
毎回、揚げ物を作りたくない私は、「冷凍・お店で買う」という二択の選択肢しかなかった。
結局、その二択で満足出来なかった私は、ゴールデンウィークに居酒屋に行った。
めちゃくちゃ、美味しかった。
あの味が忘れられない。

が、しかし、コスト面から考えると毎回居酒屋行くわけにもいかず、ついに、「鶏のからあげ」は自分で作る!という結論に至った。
普通に料理ができるひとなら、こんなに悩むこともなさそうだが、なんといっても面倒くさがり。
手間のかかるものを遠ざける習性がある。
(どんな習性だ)
料理が下手なわけではないと言っておこう。
舌は肥えているので、味音痴でもない。
ただただ、めんどくさいのだ。
簡単で美味しければ、それでよし!

こんな私も、最近までの25年間くらいは、色々な料理をがんばった。
だんだん手抜きになり、品数が減ったりもしたが、それなりにがんばった。

しかし、2021年、そのがんばりが悲鳴を上げ始めた。
「もう今までどおりは無理!」
そんなふうに、内側が叫んだ。
だから、料理をがんばるのをやめることにした。
そしたら、諸々省くが、旦那が出ていった。(原因はこれだけではないが)
ある日突然、帰ってこなくなった。
こんな結末は考えてもいなかったが、結果、色々がんばらなくて済んだ。
ズボラだから出ていかれたのだ、という世間の批評は受けつけない。笑
なぜなら、それが私なのだから。

もうひとつ、私の大好きな「春雨サラダ」も手間がかかると思っている料理だということもここに記しておこう。(千切りとか千切りとか)

きっと、世の中にはもっと手間のかかる料理はたくさんあると思う。
しかし、私にはこれらの料理でさえ手間がかかると思っているのだ。
手間の基準は、人それぞれ。
すべてにおいて、その人にとっての基準がある。
自分の基準を知ることは、人の基準を知ること以上に大切だと思っている。
そして、どんなに手間がかかっても、自分が自分のために作るのは、手間も惜しまないということもわかった。

このことからわかったのは、「誰かのために」は、いつか終わりがくる。
けれど、自分の好きなものを周りにいる好きな人たちに振る舞うという在り方に変換していったとき、自分と周りの人はどういう感覚になるだろう。感じてみてほしい。

起こった事柄がどうであれ、私は今この在り方で幸せだ。
自分の好きなものやことに力を使い、それによって得られる幸せを娘と分かちあっている。

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