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斜めで見る世界

私は、なんて否定的な人間だったんだ。

と、オードリー若林さんのエッセイを読んで書かれてる言葉に自分を重ねた。

斜めに世の中を見る癖、いい加減にやめたいな。
まじで、そう思った。

ヘッダーに載せる斜めの写真を色々探してたら、めちゃくちゃ気持ちが悪くなった。

まずは、自分の内側を素直な角度に、戻してみることから始めようと思った。

自分自身が肯定できない理由が、ここにあったとは…
外側を見る視点が、そのまま自分に跳ね返る。
ほんとにその通りだ。

家の近所に、時々見かける男性がいる。
歳の頃は、50代。
私と同年代くらいだろうか。

彼は、いつも白いピタッとしたジーンズを履いている。
トップスは、くたっとした柔らかな生地のシャツをパンツにイン。
胸元のボタンをいくつか外し、内側のタンクトップらしきインナーを見せている。
首元には、いつもふわっとストールを巻いている。
そして、足元は裸足にローファー。
「石田純一か」とツッコミたくなる衝動に駆られる。
もっと自分に似合った格好をすればいいのにと、初めて見かけたときに思ってしまった。

ある時道端で遭遇した彼は、同じようなスタイルではあったが、シャツの色が鮮やかなピンクだった。
私は、ぎょっとして2度見してしまった。
きっと、私のその顔はとても訝しげだっただろう。
そのような心中だった。
私は本当に失礼な人間だと思う。

それゆえ、私は自分自身にも厳しかった。
こんな服を着たら笑われる。
こんなに派手なのは2度見される。
トップスをウエストインにするなんて、余計に太く見えるんじゃないか。
めちゃくちゃ気にして、着たい形の服が着れない。
だからなのか、他人事なのに、どうしてもそんな視線を送ってしまう。
年齢相応・見た目相応・体のライン(スタイル)相応など、ファッションに対してこのような価値観が私の中に鎮座している。

でも、ある時気がついた。
それは、自分の着ている服をスカートのウエストにインするか迷ったときだ。
頭の中で、ずっと私に文句を言ってる人がいた。

「あの人全然似合ってないね」
「太ってるのにインしてるわよ」
「あの人残念だね」
みたいな、私を否定する声が聞こえた。
これは、私が外側に向けてる視線と同じだった。

わかっているようで、全然分かってなかった。
誰かを否定するということは、その否定が自分に跳ね返っていることを。

こうして、自分に制限をかけ続けることが幸せなことだろうか。
私は、もっと自分に優しくなろうと思った。
そうすれば、私の世の中の見方も変わるはず。
斜めの世界からおさらばしよう。

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