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あんドーナツ

私は相当に思い込みが強い。

小さなスーパーでパートをしているとき、ミニのプレーンドーナツをあんドーナツだと思い込んでいた事があった。
そのスーパーでは、お徳用のミニあんドーナツが時々入荷する。
これが、値段の割に美味しいのだ。
その時も、パートの人たちと帰りに買って帰ろうとウキウキしていた。

次の日、いつも一緒のパートさんに、「昨日のドーナツあんこ入ってた?」と聞かれ、「うん!あんこ入ってたよ!やっぱり美味しいよね、あのドーナツ」と返した。

そしたら、彼女が笑いながら、「あれ、あんドーナツじゃなくて、プレーンだったのよ〜」と言った。
それでも私は、「じゃ、私のだけあんこ入ってたのかなぁ」と返すと、「そんなわけないじゃなーい」と再び笑われた。

そんなわけないのだ、商品のパッケージには、一言も「あん」とは書いてない。
(家に帰ってからも確認した)
大量注文の商品なのに、私のだけに「あん」が入っているわけは無いのだ。
また、やってしまった。
あまりの思い込みの激しさに、穴があったら入りい気持ちになった。
そして、このとき、過去の思い出が蘇った。

小学一年生になったばかりの頃、思ったりより人数が多いとの事で、新クラス編成のためのクラス替えがあった。
3クラスから4クラスへ。

クラス替えの前に、1組から4組までの先生の紹介があった。
私は、4組の先生が紹介された途端、「絶対に4組が良い」と思った。

なぜなら、4組の女性の先生は見るからに若く可愛くて優しそうだから。
入学当初、担任だった2組の先生は、地味で野暮ったい服を着たおばさん先生(実際の年齢は知らない)で、ウキウキしなかった。
全くもって失礼な子供である。

クラス替え当日になった。
みんな現時点の自分の席に着き、名前とクラスを言われたら、親教室へ移動。
クラス替えは、このような形で淡々と行われた。

「野村さんは、4組」
「やった〜、4組だ♪」
ウキウキしながら4組の教室へ行って1番前に座った。
全員が揃い、確認のため出席簿順に名前が呼ばれる。
全員の確認が終わり、先生が「名前を呼ばれなかった人?」と言った。

私は、勢いよく手を挙げ「呼ばれてません!」と朗らかに言った。
先生は名前を確認して、「野村さんは2組ね」と言った。
私は、とてもがっかりした。
2組は、地味で野暮ったいおばさん先生のクラスだったのだ。

というか、ここでお分かりだと思うが、そもそも4組なんて言われてなかったということだ。
私の「4組がいい」という願望が、「私は4組のはず」という思い込みの強さに「野村さんは、4組」に変換されていただけ。
このときの私の中に恥ずかしさというものはあったのだろうか?
穴があったら入りたいと思っただろうか?
私の中でうっすらと覚えているのは、地味で野暮ったいおばさん先生で「残念」ということだけだった。

このときから、私は全く変わっていない。
思い込みの激しさは、より激しくなったのかもしれない。
だって、ドーナツの味まで思い込みで変えてしまうのだから。

しかし、今このどうしようもない自分を責める気にならない。
そこまでの思い込みの強さを利用して、「私は裕福だ」と思い込めればいいのにと常日頃思っている。

果たして、裕福になる日は来るのか。
私に幸あれ。

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