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祖母の思惑と私

先日、Twitterで「横溝正史ハマるきっかけ」というタグを見つけた。
改めて思い返すと、私が横溝正史作品を読み始めたのはいつだっただろうか。
出会いから現在に至るまでを、今更ながら振り返ってみる。


※ここから長いですよ


始まりは8歳の時。
この頃私は、人生初のミステリー小説を読んだ。

私が通ってた小学校には図書室が二つあって、「低学年図書室」と「高学年図書室」に分かれてた。この名前は建前で、低学年図書室には小説、高学年図書室には図鑑や辞典みたいな調べ物用の本が置かれていた。
そんな分け方だから、低学年図書室には低学年には少し難しい小説も置いてあった。そこで私が出会ったのが、クリスティだった。
きっかけは、大好きだった『小公女』が入ってる世界名作集シリーズと同じ棚に、クリスティ全集が並んでた。
『小公女』を読み終わって返却する時、たまたま目に入ったクリスティを次に借りて、そこからはまってしまった。
あんまりハマってしまって、家族にもその話をした。祖母にも例外なく話した。

当時、同じ県内だが離れて暮らす祖母のところへ、月一で遊びに行っていた。
たわいもない話をしたり一緒に手芸をしたり、絵を描いたり。
その中でクリスティの話もしたんだと思う。

元々、ウチは読書家が多い家系だ。
好みは違えど、父も母も相当な数の本を読んでいる。例に漏れず祖母もかなりの読書家だが、特に祖母が好きなのはミステリー、お気に入りの作家は松本清張だ。
祖母はあの頃の私に、自分と同じようなミステリー好きの血を感じたのかもしれない。

数ヶ月後、私の誕生日がきた。
毎年祖母は、お小遣いと手作りの何かをプレゼントしてくれていた。
その年プレゼントしてくれたのは手作りの手提げバッグ。しかし、少し重い。中を見ると、クエストのブックカバーが付いた2冊の文庫本が入っていた。読書好きだった私は、新しい本当の出会いにワクワクした。
数時間後、自分がどうなるかも知らずに。


ここで私は初めて、読書での「挫折」を経験した。読めなかったのだ。


これまでも趣味に合わない本、読み切るのが大変な本とは年齢の割にたくさん出会ってきた。
けれど、どんな本でも最後まで読み切っていた。読み切った上で、

「あぁ、面白くなかったな」
「これはあんまり好きじゃないな」

と思うようにしていた。

にも関わらず読めなかったのだ。
30ページぐらい読んで、そのまま栞を挟んで閉じてしまった。
その本とは、

松本清張『砂の器』

今でもこの本2冊(上下巻)は、私の本棚にひっそりと佇んでいる。あれから一度も開いていないし、他の松本清張の作品もまったく読んだことはない。

ちなみに祖母には、私が途中で挫折したことは18年たった今でも伝えていない。感づいてるかもしれなけど。というか、8歳の孫に松本清張の本プレゼントするばあちゃんってちょっと変わってない?

さて、無事読書人生初の挫折を味わった私に対し、祖母は何も言ってこなかった。私ももちろん、何も言わなかった。幼心にかなりショックだったからだ。
決してあの本が面白くなかったわけではない。
ただ、読めなかった。明確には言えないが、何かが確実に私の手を止めてしまった。
私が読書に対して初めて抱いた高い壁だった。

あの頃の私には、あの本を読みとけるだけの知識も、理解力もなかった。ある程度年齢を重ねた今読めば、少しは違うのかもしれない。
けれど中々手が伸ばせない程には、私の中に棘を残した経験なのだ。


転機が訪れたのは2006年、私が小学校高学年に上がった頃だった。

2006年といえば、『犬神家の一族』が同監督・主演で再映画化された年だ。それと同時に、書店には関連書籍として金田一耕助シリーズがたくさん並んだ。

買うものがなくとも毎週書店に通う祖母が、それを見つけられないわけがない。

そこで祖母は、次の一手を考えたのだと私は思っている。

「確かに、松本清張は少し早かったかもしれない。もう少し、ライトなミステリーを読ませてみよう。そして徐々にハマらせて、最終的に松本清張に辿り着けばいい」と。

一応書いておくが、別に祖母が本当に言ったわけではない。私の妄想だ。
祖母が言ったのは「ライトなミステリー」という部分だけ(私が知っているライトミステリーとちょっと違う気がするのだが)。
でも凡そこんな事を考えていたんだと思う。

祖母は3冊の本を購入し、例の如く誕生日にプレゼントしてくれた。

因みに、祖母は松本清張が1番好きだが、横溝正史も好きでかなり読み込んでいる。たまたま書店で目に入ったからではなく、あくまで好きな作家であったから孫に勧めたことは間違いない。

誕生日当日、祖母からもらったプレゼントに入っていたのはこちらの3冊。

①悪魔が来りて笛を吹く


②犬神家の一族

③女王蜂

すぐ読んだ。
何なら貰ったその日に全部読んだ。
学校にも持っていって、休み時間に何度も何度も繰り返し読んだ。
映画の影響もあってか、うちのクラスでプチ犬神家ブームが起こっていて、佐清のマネ(逆立ち)をしたり、みんなで横溝正史っぽいミステリーを考えて回し読みしてみたり。
子供ながらに純粋に楽しんでいた。

それまで触れてきた本とは一味違う気味の悪さ。
古くから続く村の風習、不気味な風土、土着思想、過去の栄華に囚われた特権階級、血の因縁……私の経験したことのない、けれど間違いなく現実だった世界への漠然とした憧れ。
その中に薫る、噎せ返るような”芸術性”。
そして、掴みどころのなくどこか憎めない名探偵。

その全てが私の目には鮮やかに映った。
その全てに惹き込まれたのだ。


話は変わるが、私はサスペンスドラマが好きだ。学生の頃は普通のドラマも見ていたが、一話ごとに完結していて、単発で見れるものの方が好みだから、最近はあまり見てない。その点、サスペンスは全話を見逃していても、今回だけ見ても大体話が分かるので助かる。
平日の昼間に再放送されているものを幼い頃から好んで見ていた。「赤い霊柩車」シリーズとか、「温泉 (秘) 大作戦」シリーズとか大好きだ。
ただ、そんなサスペンスを見ていて一つだけいただけないことがある。

犯人があっさり自分の信念を曲げてしまうことだ。

探偵役が犯人を追い詰めて、最後の最後に言うお決まりの台詞。

「そんな事をして、君のお母さんが喜ぶと思っているのか!?」

泣き崩れる犯人、無事救出される被害者、そっと犯人に手錠をかける刑事……


はい?

心の中の杉下右京が顔を出す。
そんな簡単に諦め切れるなら、最初からするなよ。そんな他人のおっさんに言われたぐらいで揺らぐなよ!やるなら最後まで頑張れよ!!
と、テレビに向かってヤジを飛ばしてしまう。
こんな事、お外で言うとヤバいやつなので滅多に人に言うことはないが、そんなシーンを見るたび、消化不良のような感じで終わってしまう。

その点、横溝正史作品は犯人が最後までやり遂げてくれた。
相当な恨みを持ち、復讐の為に人の道を外れ鬼となる犯人の姿は、私の目にとても新鮮に映った。
そこも横溝正史作品が好きな理由かもしれない。

(とは言っても、全ての作品を読んだわけではないので、もしかしたらサスペンスドラマみたいな話もあるのかもしれない。)


ばあちゃんへ

元気ですか?孫は元気です。
あなたの予想に反して、孫は未だに松本清張の本を一冊も読めていません。
でも安心して。横溝正史はたくさん読んでるから。

                   孫より

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