お金と価値と死。

 死ぬことって悪いことじゃねえだろ。って思っちゃうんですけど。「生きてて偉い」って全然違うと思うんですよ。全然偉くないと思うんですよ。だって「生きていることは偉いこと」=「死んでいることは愚かなこと」ってことなんですよね。なんでそうなるんですか?生きたいなら生きればいいし死にたいなら死ねばいいだろ。生きることに理由なんていらないし、生きたいと思うことに理由なんていらない。それは死もまた然りなんじゃないの。どうしてだめなの。どうせ人間80億もいるんでしょ。一人の人間に一体どのくらいの価値があるのか。全く無いでしょ。運任せみたいな価値でしょ。そもそも最初から生きたいと思って生まれてきた人間なんて一人もいない。価値がある人間と無い人間があるだけ。でもそれって一体誰にとっての価値?人類?日本?この世界?なんで誰かにとって価値がある人間にならないといけないの?そうでないと、生きていけないから?それも人間の本能ってこと?人類にとって価値のない人間はいなくてもいいってこと?本当にそうなの?貨幣制度ってそういうところを如実に表すよね。人類にとって価値のある人間にしか貨幣って与えられないんだよ。価値のない人間にとってこの上なく残酷な社会だよね。だってお金がないと生きていけないのだから。本当にベーシックインカムってあるべきだよね。この社会ってお金を与えられて初めて価値を見出されるんですよね?無職やニートやホームレスが忌避されるのってそういうことですよね。でも人間はいっちょ前に「価値のない人間などいない」って言うんですよね。矛盾してますよね。おかしいですよね。ベーシックインカムはあってしかるべき。だってこの社会においてお金を与えられていないと人間は価値を見出されないのだから。これがふざけたことなのか正しいことなのか僕にはわからないですが、人間の道徳観念からは大きく逸脱していますよね。
金を多く払う人ほど好待遇を受ける。利益を多く生み出す人間ほど注目される。金持ちほど人間として認められる。貧乏人は人間じゃないんだと。自分の住んでいる場所で使うことのできない貨幣を持っている人は価値が無いのだと。それが外国通貨であったり親切心であったり同情であったりするけれど、本当にお金ってものは人間から価値を奪うものなんだなと。国から価値を与えられなければ生きていけないというのもなんだか不思議な話ですよね。すごく合理的で「人類が生き残る為」だけであれば価値のない奴をDNAから排除できてすごくいいですよね。しかしこれも人間の奇妙なところで、そういう機能が備わっているのに「私がよりよく生きていく為」という嗜好錯誤もする。「生き残るだけ」に不満を持つ生物なんですよね。もっとネズミを見習えとか思ったりする人もいるかもしれないし、人間として当たり前の権利とか思ったりする人もいるかもしれない。(俺は俺がもっと理想と現実のギャップを知った方がいいと思う。)でもきっと多くの人が、「幸せ」に生きて「幸せ」に死にたい。幸福を放棄した時が、人間が人間でなくなる時だと僕は思います。
とある評論家が「文明の進化とは、前の時代の貴族が持っていた特権を庶民が持てるようになること」とおっしゃっていました。この「貴族」を「高所得層」(つまり多くの価値を持っている人たち)だとすると、文明が進めば庶民もたくさんのお金・価値を持てる社会になるんじゃないかなって思います。なんとかして、僕の生きている時代にそれが実現できればいいなと思います。僕らは、とりあえず幸福を常日頃感じていれば黙って生きてるんです。でも幸せになるためには「価値」が必要なのが人間の社会で。自己満足だけでは行き詰るところがあるのが人間の社会なので。どうにかしてお国のお偉い様方、我々に価値をお与えいただけないでしょうか。我々、価値がなくなれば生きていけないのです。お恵みをお与えください。さすれば人々はもっと健康になるでしょう。国民の安全と健康を維持し守るのがあなた方の責務でございましょう?どうか我々を見捨てないでください。我々に価値をください。
翼をくださいと、もう一度言わせてください。

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