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お弔いに。

まだちょっと苦しくて、ろくに推敲もできないままだけど、投稿します。
ボンのこと。
想い出がかすまないように。

2022年、まだ桜が咲かないくらいの時期。
アパートの更新が迫り、とはいえ引越す気も特になく、なんとなく物件情報を眺めていたら、猫の飼える部屋が目に止まった。
家賃も安かったため、勢いで引越しを決めた。春の終わりに引越し、夏前には譲渡会にいた。

譲渡会の猫紹介写真で、お腹を見せて、でろーん仰向けになっていたのがボンだった。
夫がそれを見て一目惚れし、お見合いの上、ボンはうちの子になった。

譲渡のとき、「この子は口内炎で」と言われた。
「猫によくある病気なんです。」と。

全然そのときは事の深刻さがわかっていなくて、丁寧にお世話すれば口内炎も良くなるかな、とか考えていた。

初日なのに、ボンは私たちが撫でていたら、嬉しそうにゴロゴロとおなかを見せてくれた。

家に来てしばらくすると、ボンの体重が一気に減って、ヨダレも増えてきた。

動物病院へ連れていくと、検査の結果、「この子は猫エイズですね。」と。
「口内炎も、エイズによるものですね。ステージも進んでいるでしょう。
猫の口内炎は基本的に治りませんし、エイズがあるなら尚更です。口の痛みで食欲が落ちないよう気をつけてください。
寿命も長くは無いと思います。」とのことだった。

ショックで、夫とふたり、かなり落ち込んだ。

ボンはその後、気候の変化でしばしば体調を崩した。
その度に病院へ連れて行き、注射や点滴を打ってもらった。

ボンはストレスでフケが出る猫で、病院へ行く度、全身からブワッと大量のフケが出た。

ボンが体調を崩すと、ヨダレが増えてニオイが増した。
部屋はいつも独特なニオイで、あたたかい季節は、なかなか暮らしづらかった。
病院へ連れていくのも一苦労だったし、金銭的な負担も大きかった。

でも、できるだけ長く生きて欲しかった。

ボンはとても賢くて、優しくて、人間が大好きな猫だった。
エサの場所を変えてもすぐ覚えるし、帰ってくるとスリスリと迎えに来る。
よく人の後を追いかけるように歩いて、ときどきつまづいて危なかった。
私たちの調子が悪いと心配してくれた。

ベランダでブラッシングしてもらうのが好きだった。
食べるのが好きだった(口が痛くて、食べるものには制限があったけど)。
冬は布団にもぐりこんでゴロゴロ言っていた(そのせいで布団は臭くなった)。

妊娠がわかってからは、私がほぼ家で過ごすようになった。
ボンは私がいると嬉しそうにしていた。

その頃には、ボンの点滴が欠かせなくなっていた。
病院から点滴セットをもらってきて、夫とふたりで夜、ボンに点滴を打った。

出産で家を離れると、ボンがストレスで弱るんじゃないかと心配した。
その後結局、産後1ヶ月を過ぎるまで、私は夫の実家に泊まり、家に帰ることができなかった。

新生児を連れて、病気の猫のいる家に帰るべきなのか、迷ってしまったから。

その間、夫が毎日、自宅へ猫の世話に通ってくれた。

ストレスのせいなのか、関係なかったのかわからないけど、ボンはどんどん弱っていった。

娘を連れて家に帰り、娘が3ヶ月になる頃、更に引越しが決まった。

古いマンションで、エレベーター無しの5階を赤子連れで昇り降りするのは、なかなかに大変だった。
頻繁に手伝いに来てくれる義母は足が悪く、尚のことつらそうだった。
部屋も狭かったから、猫と娘の距離が近いのも気になった。
ボンが身体を震わせると飛ぶヨダレが、娘の目に入らないかな、とか。

他にも不便な理由はたくさんあって。

でも、環境の変化にボンが耐えられるのかは疑問だった。
だとしても、苦渋の決断で引越しを決めた。これを逃すとタイミングは難しいと思ったから。
ボンがもっと弱ったら、それこそ引越しなんてできなくなると思ったから。

後悔をしている。
ボンにはつらい思いをさせてしまった。

引越し中、片付けが終わり、生活が軌道に乗るまで、私と娘はまた、夫の実家に泊まり込むことになった。
ときどきボンの様子を見に行くと、痛みで声も出ないのに、だからいつもは鳴かないのに、掠れた声で「あーぉ……」と言った。

新居での生活が始まった。
部屋を分けたから、ボンは寂しそうだった。

ボンが少しでも暮らしやすいよう、消臭抗菌加工のキャットタワーを購入した。
DIYでキャットウォークも作ろうと話した。
ボンの好きな猫用牛乳も注文した。

そうこうしていると、私がコロナにかかった。
娘も熱を出し、夫も調子が悪そうにしていた。

少し経つと、ボンがまた体調を崩した。
咳き込んで吐いていた。
夫が猫部屋で一晩過ごすことにした。
翌朝、布団を見ると、ボンがおねしょをしていた。
そんなこと、これまで1度もなかったのに。

日中、ボンの歩き方が明らかにおかしかった。

私と娘の体調はほぼ回復してきていた。
対して夫は、高熱で寝込んだ。

みんなでボンと一緒にいたくて、寝室に来たボンをそのまま追い返さずにいた。
布団にはペットシーツとタオルケットを敷いた。

1度、なぜかボンがヨロヨロと台所に来て、「あぉ、あぉ」と鳴いた。
よろけるように床に座り込んだ。

その様子を見ていたら、涙がボロボロ零れてきて、「ボン、ごめんね。ごめんね。」と何度も撫でた。
ボンの体はガリガリで、とてもひんやりとしていた。

その日の夜は、みんな一緒に布団で眠った。
ボンは苦しそうだったけど、何度か私の元に来ようとした。その度、私はボンに近づいて、頭や体を撫でた。

朝。
天気のいい日だった。
夫がボンをクッション乗せ、窓際に寝かせてあげた。
よくそうやって日向ぼっこをしていたから。

お昼前、娘をあやしながら台所に立っていると、夫が私を呼んだ。
急いで向かうと、ボンが旅支度をしていた。
もう、呼吸はほとんどしていなかった。

「ボン、ボンちゃん」と何度も呼んだ。
私がここにいるよ、ってわかるように。何度も。

ボンが、咳き込むように、「がふっ」と全身を震わせた。
苦しそうだった。
何度か繰り返して、とうとう動かなくなってしまった。

楽に、なれたかな……と思った。
私も夫も、顔がびしょびしょだった。
娘だけ、わからずにしかめっ面をしていた。

義母に連絡をして、義実家の庭にボンを埋めさせてもらうことになった。

あたたかい昼下がり、妹を抱いて、近所の花屋さんへ向かった。

花の用途を聞かれたので、「猫が死んじゃって、お棺に入れる花を……」と伝えると、「うちにも5匹いるんだよ。」と話してくれた。

輪数が多いのはこれで、これはいくらで……、と説明をしてもらい、中からガーベラを選んだ。薄いオレンジに、かすかなピンクが入った、大きなガーベラ。
「もう開いちゃってるから。」と多めにわけてくれた。

帰宅すると、ちょうど義母と義弟が来た。
蓋付きのバスケットにタオルを敷いて、ボンをおさめた。
ボンちゃん。

義実家で、義弟といっしょに深い穴を掘った。
ボンちゃんのバスケットに花を入れると、義弟がニボシも入れてくれた。

ボンちゃんが食べられなかったニボシ。
お魚大好きなのに、ニボシは硬いから、口が痛くてとても無理だった。

今度は。
今度はたらふく食べられる。
硬いニボシもおなかいっぱいに食べられるね。
もう痛くないね。
大好きなもの、どんなものでも食べられるね。

でもさあ。
でもさあ、もっと一緒にいたかったなあ。

つらいなあ、まだ行かないで欲しかったなあ。
構ってあげられなくてごめんなさい。
本当に、ごめんなさい。

私たちのところに来てくれて、愛してくれてありがとう。

そう言って、心の中でもたくさん話しかけて、みんなでボンちゃんを土に還した。

義母がそこに、セイヨウニンジンボクを植えてくれた。
「いい香りの花だよ。ここだったら、施術中も木が窓から見えるよ。」と。

出産以降、構ってあげられなかったけど、妊娠があったから、あの時期一緒にゆっくり過ごせたのかな、と少し思った。
働いていたら、病院も看取りも、仕事で難しかったかもしれない。

家の中に戻って、夫に大丈夫かと声をかけた。
いちばんボンの面倒をよく見ていたのは夫だったし、深い愛情を持っている人だから。

落ち込んでいたけど、ボソッと、「ボンちゃんにはまた会える気がするんだよね。」とつぶやいた。
「ボンちゃんって、そんな猫な気がする。」と。

それはたしかにそうかも、と少し思った。
ボンちゃんは家族が好きな猫だし、私たちに会いたがっていそうだ。
どんな形になるかわからないけど、いつになるかもわからないけど、それはいつか、果たされる気がする。
ボンちゃんはそんな猫だ。

今度は健康で、痛みも無く、大きな声で「にゃお」って鳴いて欲しい。
ニボシもちゅーるも、肥満が心配になるほど食べて欲しい。
それで、一緒のお布団で寝よう。ベランダでブラッシングもしよう。

確かな再会の日まで、また。

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