今さら「ちむどんどん」を観る【中:セリフ・恋愛・細かいところ編】
セリフ編
セリフが無意味
全セリフが伏線とかいうドラマはたぶんないでしょうが、「ちむどんどん」では意味のないセリフの分量が多すぎると思いました。例えば店の「ちむどんどん」で出す沖縄そばを試食するシーン。
……智のセリフいらなくないですか?こういう「いらないけどとりあえず喋らせてみた」的なセリフがちらほらある。
あるいは木俣レビューで指摘されていた暢子と和彦の披露宴。「乾杯用のスプマンテは冷えてますか?」「やんばるにこんな店ないねえ」とそれぞれ割り振られたそれっぽいセリフをただ言ってるだけ。決められたセリフしか言わないゲームのNPCみたい。町にいるNPCなら町についてのセリフを言い、洞窟の手前にいるNPCなら洞窟についてのセリフを言い、厨房の中にいるコックなら料理の準備してる風のセリフを言い、招待客ならレストランの立派さに感嘆するセリフを言う。「NPCっぽさ」はセリフだけでなくキャラそのものの薄さにも影響していると思っていて、例えばこの披露宴に呼ばれず、借金のカタにどこかに売り飛ばされたのか?などと囁かれていた賢吉夫婦。彼ら(特に賢吉)は借金返せ!とか1人東京にやれ!とか再婚しろ!とか比嘉家にとって嫌なことを言う災いもたらし係だから祝いの席に出す役じゃないんでしょうね。いじめっ子たちや真境名商事の社員たちが暢子に嫌な思いをさせるためだけに生まれて消えていく人間にしか見えなかったのも同じ。
セリフの無意味さはなぜかクライマックス手前のはずの第24週で最高潮に達します。「まくとぅそーけーなんくるないさ、であるよね……ちむどんどんするかしないかだよね」「ちむどんどんするならまくとぅそーけーなんくるないさ!ちむどんどんするかしないか!」と方言その2つしか知らんのかと言いたくなるような水よりも味がしないどうでもいいセリフが飛び交い、かと思えば「ちむどんどんが止まらないよ!」「新しい冒険が始まる気がするわけ」とジャンプで即打ち切られるマンガの決めゼリフみたいなのを急に言い始め、困惑してしまいました。暢子を一喝した博夫の「おとなしくしてくれない!!」だけがこの週で輝いてたセリフ。
方言がちょっと気になる
私は方言を使わないのではっきり言えないんですが、「だからよ」の使い方がちょっと気になる。あと「うちたち」も。沖縄の子って「うちなんか」って言ったりしない?でも、イントネーションに関してはヤンキーやガラの悪い人が完璧沖縄イントネーションだと嫌な思い出が甦ってくるのである程度違う方が精神衛生上いいなと気づきました。
あと方言じゃなくて慣習の点で、確かに沖縄では下の名前で呼び合う文化が強いけど最終回の暢子(68)の新聞記事で「暢子さん」と書かれたりしてるの気になる。フォンターナ時代の雑誌取材でも「暢子さん」って呼ばれてましたね。店の人たちに「暢子と呼んでください」と求めるところまではわかるけど、公の雑誌や新聞なら沖縄であっても「青柳さん」でしょ。和彦も取り上げられてるなら区別のために「暢子さん」になるけど、和彦はまったく出てないし。新聞記事なのに閉じかっこの中に句点入れてるのも気になるけど。
恋愛編
恋愛絡みがしばしばホラーっぽくなる
自分でも何を言ってるかわかりませんが、時々ホラーっぽいんです。渡辺レビューで「智から見れはホラー」と評された騙し討ち披露宴はもちろんのこと、歌子が就職した会社にいた花城真一。声のかけ方がなぜか不気味で、歌子のリアクションも(人見知りのせいもあるかもしれないけど)劇伴も不穏。歌子がサイコな男にストーキングされる展開になるのかと思ってしまった。花城は前述の通り2年前のことをわざわざ蒸し返してあれ彼女のお古だから(笑)と言ってくるヤバい人なので、あながち不気味に感じたのも間違ってないかもしれませんが。リアルサウンドの記事では「『いい人』役」と書かれてたけど、いい人に見えないよ!
そしてヒロインの相手役という絶対ホラーであってはいけないはずの和彦ですらところどころ怖い。初めて2人で重子さんへの挨拶に行く前、「暢子は詩なんか読まないでしょ」と嘲笑った(ようにしか見えなかった)のにゾッとした。母親と比較して教養や知識のなさをバカにするって、完全に結婚後モラハラするパターンでは……。ちむどん世界だとモラハラどころか暢子のイエスマンになったけど、他のドラマなら伏線ですよ。暢子に対して「こんな男やめなよ……」と思いたいけど、暢子は暢子で問題が山積みなのでむしろ割れ鍋に綴じ蓋でいいんじゃないですかという気持ちにしかなりません。
モラハラの前兆を抜きにしても、和彦は新聞記者のくせに明らかなネズミ講の話を聞いても黙って突っ立ったままで、取材に繋げるわけでもなく妻を追って考えなしに事務所に飛び込んでいって乱闘に巻き込まれ週刊誌に撮られてクビになるすごい間抜けに描かれてて切ない。重子さんに銀行に就職しろって言われても拒んでフリーランスになっちゃうし。和彦を宣言通りフリーランスにしたいなら東洋新聞社時代にもっと有能に描いておけばいいのに、田良島や房子のおかげで取材できてたことしかないし。なんだかこのドラマって「やりたくないけどやらなければいけないこと」って絶対やらないよね。東京に養子に行くのも家を売るのも智に好意はないってきっぱり言うのも独立しようとしてる妻を支えるため就職するのも。
暢子への愛が暴走する智も怖い。外堀埋めようとしてる。付き合ってもないんですよ?遊びに来いって言われたからスナガワフードに行ったら電話でどう考えても暢子を想定した結婚話をしてるのを聞いてしまったシーン、暢子の怯え方もBGMも付き合ってもない女を嫁さんにもらうってお客さんにまで言っちゃう智も全部ホラーそのもの。花城の時といい、なんで演出までホラー調なんだ?サイコラブホラーストーリーなの?私が観てるのは朝ドラじゃないの?
応援されないカップル
暢子と和彦にモヤモヤするのは「愛ちゃんという相手がありながらくっついたこと」ではないと思う。恋愛は非合理的なものなので、婚約者がいながら他の人を好きになってしまうこともあってい い。気持ちに善悪はない。しかしそれを行動に移してしまうと非難を受けたり、誰かとの関係が壊れてしまったりする。そうやって罰せられることを受け入れ、罪深い恋だということをきちんと認識した上でそれでも好きだと自らの気持ちに殉じる姿勢が不倫や教師と生徒の恋愛など倫理的に許されない恋愛を描く作品の醍醐味ではないでしょうか。そこまで覚悟して初めて観てる側も「よく覚悟した!じゃあもうみんなを敵に回しても愛を貫き通せ!」という気持ちになれる。
ところが「ちむどんどん」の2人にはその「覚悟」がありません。それどころかこれが罪深い恋であると本人たちも周囲も一切認識していないように見えます。略奪&婚約破棄で「罪」 の要素はバッチリ揃っているのに。暢子と和彦はこの罪を受け入れるどころか遺骨収集をしている嘉手刈さんの「逃げている時に女の子の手を離してしまった」という後悔や優子の戦時中の過酷な体験を自分たちの恋愛を正当化するために使います。もっと罪状を増やしてどうする。どうせ正当化するなら幼い頃バスで手を握ったあの思い出を使えばいいのに。ここらへんから愛ちゃんのあの字も出なくなり、彼女をそれなりに知っていたはずの鶴見の人々も愛ちゃんのことなんかコロッと忘れたように暢子と和彦のこと祝福してて怖い。誰かひとりやふたりは不誠実では?とか応援できないとかモヤモヤしててもおかしくないのに、まるでそんな人最初からいなかったかのよう。後に重子さんがやっと「大野愛さんはどうしたの?」と言及してくれたけど、これもちむどん世界に染まり切ると暢子の都合のいいように記憶を改竄されて、まだ染まってない重子さんだけはかろうじて覚えてるみたいなことに見えて怖い。不倫ドラマだと思って見ていたら最初から後ろめたさも葛藤もなしでフルオープンで、最終的には周囲の人々の記憶からも正妻の存在が消え2人は晴れやかにゴールイン……という世にも奇妙な物語だった的な怖さ。
「2回恋愛していいのは男だけ」ルール
レビューでもブログでも指摘されていることですが、ちむどん世界には「男は2回恋愛していい、女はダメ」というルールがあるようにしか見えない。あまり作者と作品を結びつけない方ですが、さすがに「脚本の人なんかあった……?」と邪推してしまった。
ルールの存在を確信したのがニーニーと清恵さんの件。なぜ清恵さんが「謝る」役でニーニーが「許して受け入れてあげる」役なのか。逆でしょう。ネズミ講や詐欺は犯罪だけど酷い男と結婚してしまったことや離婚や水商売をすることは犯罪じゃないし、清恵さんは親の借金増やしてないし。それなのになぜか涌井が来てホテルが恐れをなして逃げるのがよくわからない。離婚で揉めてるってプライベートの問題だよね?商談に関係ある?ニーニーの犯罪的な過去を知って逃げるならわかるのに。罪深いニーニーが過去を知られて出ていって清恵さんが探しに行って私だって消したい過去があるけど人生やり直せるんだよ、と言うならすごくわかる。素直に入ってくる。物語を不自然にねじ曲げてまで清恵さんを悔い改める側、ニーニーを許す側にしてるのやっぱり「女は2回恋をしてはいけない」ルールがあるんじゃないかと思ってしまった。智が2回恋をしても智ではなく歌子が「姉のお古」発言を聞かされることによって嫌な思いをする。智は男だから2回恋をしても罰せられることはない。
細かいところ編
地理的になんか変
銀座周辺で働いている人たちがわざわざ鶴見まで来て飲んだり、愛ちゃんがあまゆに来て原稿を書いていたり、ちょくちょくおかしいところがあります。これ、フォンターナや東洋新聞社は東京じゃなくて横浜の中心部にある設定の方がよかったんじゃないでしょうか。フォンターナは山手、東洋新聞社は関内あたりとか。それで愛ちゃんや田良島たちは川崎や多摩川越えたあたりに住んでる設定なら帰る途中鶴見に寄っても不自然じゃないし。
なぜか頑として髪を結ばない
ずっと結ばないならそれはそれでいいんですよ。よくないけど。ただ暢子はおでん屋をやっていた時や良子の結婚式では結んでいるのでものすごく気になる。フォンターナで結ばないのはわざと?ケンカ売ってる?と疑念がわく。この「無知ではないことがわかってしまうが故にかえって印象が悪くなる」のはニーニーにもあって、お金の仕組みも何もわかっていなさそうに見えるのに「独身の大叔母の遺産を相続できるかもしれない」という知恵はあるので急に怖い人に見えてしまいます。
ちなみに暢子は後になってようやくフォンターナでも髪を結ぶようになりますが、あまりにもツッコまれたからなのか、それとも単なる成長した演出なのか……。
ダレるコメディ
歌子と智のドキドキシーンを目撃してそこにいることがバレる優子のくだりを見て「尺長すぎ」と思ってしまった。まさかコメディシーンで「ダレる」という感想が出てくることがあるとは思わなかった。ショートコントかと思ったら4~5分続いたみたいな感じ。コメディで「下手だな~」と初めて感じて、逆にこれまで見た作品のコメディシーンって上手かったんだなと再認識した。みんなすごく高度なことしてたんですね。
なぜ下手だと感じるのか分析してみました。まず優子が隠れる→まもるちゃんが目撃して物落とす→優子が(行って)ってやる→優子が芋転がす→歌子と智があれ……?みたいになる→「……」と段階が多すぎる。その後優子と歌子が会話して「ファン第1号」という言葉を使って歌子が「やっぱり聞いてたよね?」ってなるのもうまく言えないけど全然スマートじゃないと感じる。セルカンの「タイムマシン」の「元少年たちががんばってる」「元?ああ、もしかして!」に感じたスマートじゃなさと同じ種類。
もっと細かい不自然
細かいところにも引っかかるシーンが。まず「車が通りそうにない狭い道でトラックに轢かれて『瀕死の重体』になる智」。関係ないはずなのになぜかアニメダイナミックコードを連想しました。あのアニメにあったのと同じタイプの珍妙さ。
智と言えば暢子がネズミ講の事務所に行くところで、暢子が店を飛び出す→智も飛び出すそぶりを見せたのに店の外に出てこない→和彦が入ってきて飛び出す→智が今度こそ飛び出す、という細かいけどはっきりわかるレベルの不自然シーンもあった。なぜ素直に暢子→智→和彦の順にしなかったんだろう。
さらに来沖した房子が帰る日。なぜかブスッとした表情でゴーヤーを切る暢子→「オーナーさん今日帰るんじゃなかったの?」「うん……」→バスが発車する時間になっていきなり現れる暢子。「バスを追いかけて走る」画が撮りたかったなら店の準備で忙しくて見送りに行くのがギリギリになったとか、そういうのいくらでもできそうじゃないですか。
もうここまで来ると小姑みたいでいやなんですが、製麺所の運天さんから電話で麺が作れない連絡を受けた時、「開店は明日なのに……」と言ってそのまま電話切るのに引っかかった。普通「はいわかりました、失礼します」とか電話を終える時のセリフ入らないか?「運天さんのせいで……」的な雰囲気を漂わせたまま電話切る失礼な奴になってる。まあ暢子が失礼なのは今に始まったことではないけど。
不自然といえば歌子をいつまでも病院に連れていかなかったのが最大の不自然でしたが、比嘉家から一番近いとおぼしき病院はマンシェットを逆さまにつけてしまうすっとこどっこい病院であることが最終週で判明したので、こんな病院しかないなら医療不信になってもしょうがないかもしれない。どんな伏線回収だよ。