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「推しチーム」とそれ以外を分けるもの

 プロ野球シーズンも終わりましたがいかがお過ごしでしょうか。私はダラダラしていたらあっという間にキャンプインの季節になりそうなので慌ててnoteを書いています。

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 今年の日本シリーズは最高に面白かった。プロ野球を真面目に観るようになってから4連勝しか目撃していなかったので、余計に面白かった。おととしと去年がたまたまあれだっただけで通常はあんなものなのかと思っていたが、有識者が口を揃えて「ここ10年で一番」と言っているので本当に別格だったらしい。


 今季はこちらのエッセイを毎日読んでいたのでややヤクルトに肩入れしていたわけだが、そうは言ってもパの女なので&日本一からより遠ざかっている方なので(+今のところ最後に日本一になった25年前に生まれた者として)、オリックスにも傾いていた。

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 そもそも野球というスポーツ自体が好きなので、ヤクルトやオリックスだけでなく他のチームもそれぞれに良さを感じている。でも私は言うまでもなく「ヤクルトファン」でも「オリックスファン」でもなく「ロッテファン」だ。「好き」は濃淡あれど12球団に注いでいるのに、「ファン」と言えるのはロッテだけだ。

 いったいロッテとロッテ以外は何が違うのか。推しチームへの気持ちとそうでないチームへの気持ちの違いについて、私がこの2年弱でひとまず行き着いた結論は、「推しチーム」には「勝つと嬉しい」に加えて「負けると悔しい」という感情が発生するということである。

 例えばヤクルトびいきの気分で神宮に行くとする。気持ちはヤクルト寄りなので、ヤクルトが勝つと当然嬉しい。いやー村上くんのホームランすごかったなー! とか言って、はしゃげる。でも負けたとしても「ぐぁぁくっそーー負けたーーー!!」とはならない。「負けたけど相手の○○選手のホームラン見れたしいっか……」となる。

 これがロッテだとそうならない。「うわぁぁ負けたもういやだつらい無理ダメだ」となる。リアルに寝られない時すらある。どう考えても健康に悪い。この「悔しさ」はロッテに対してだけ感じる特別なものだ。

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 「負けた悔しさ」を感じるのはつらい。私などは文化系一筋の人生を歩んでいたため、一度もスポーツのような「勝ち負け」が発生するものを通ってこなかったので、この気持ちに慣れていない。正直逃げたくなることもある。なんとかごまかして、別に悔しくないように装いたくなってしまう。けれどそれは全力で勝ちに行って、負けて、悔しさを感じ切っている選手たちに失礼なのではないかとようやく思えるようになってきた。

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 今年の日本シリーズがヤクルトとオリックスで良かったと心から思う。「2年連続最下位からのリーグ優勝」という一言だけでは片づけられない、選手や最下位のチームを応援し続けたファンやチームにかかわったすべての人の思いが報われたシーズンだった。でも、ロッテが優勝を逃したことと日本シリーズに行けなかったことへの悔しさもちゃんとある。ヤクルトとオリックスの姿を見て、あんなシーンの中にいるロッテを見たいと切に思った。
 野球は表も裏もあるスポーツだから「勝つ喜び」と「負ける悲しみ」はセットで存在する。12分の1の「好きなチーム」は、その「裏」の気持ちを感じるために見つけるものなのかもしれない。


 そんな野球の表も裏も教えてくれる我が推しチーム千葉ロッテマリーンズさん、来年もどうぞよろしくお願いします!

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