室井さんが苦しむとロッテが日本一になる(は?)
プロ野球にもいろいろジンクスがある。例えば「2リーグ制導入後(1950年~)西暦の末尾が『5』の年は必ず在阪・元在阪球団がリーグ優勝する」とか、「パ・リーグのチームは丑年は日本一になれない」とか。まあぶっちゃけジンクスというのは過去に起こったことに何らかの法則性を見出しているだけなので、何か探せば法則が見つかるんじゃないかと思って私も探した。そして見つけたのがこれ。
というかこれはどちらかというと「室井さんが苦しんだからロッテが日本一になった」というより「ロッテが日本一になった年は室井さんにとってつらいことがあった」というのに近いので、ロッテのジンクスじゃなくて室井さんのジンクスだろこれはという感じではある。でも後者にしてしまうとなんかロッテのせいみたいになっちゃって心外なので……。
2005年
ソフトバンクとのプレーオフを制し、阪神との日本シリーズでは初戦の10-1(7回濃霧コールド)を皮切りに3戦連続2ケタ得点と大暴れしストレート勝ちで日本一になった年である。例のネタ、正直「いつまでやってんだよ……」という感じで好きではないのだが[*]、確かに引っ張られ続けてもおかしくないくらいの圧倒的得点差ではある。
[*]ただ文春野球のこのシリーズを実況した吉田アナのコラムに「Hit」を押したらちょうど「334Hit」だったのだけはちょっと「おっ」と思った。この時ぐらいしか反応してないから許してほしい。
で、この年室井さんに何があったかというと、逮捕。いや「苦しみ」のレベルがすごい。「逮捕されて東京拘置所にぶち込まれて自分を陥れた弁護士軍団に大学時代の恋人が自殺したことを『もてあそばれて捨てられた』と事実をねじ曲げられて職場中に拡散される」クラスのことがないとロッテは計33点も取れないということだろうか。そんな……33点もいらないから室井さんにもうちょっと優しくしてあげて……。
容疑者は2005年2月の話なので、室井さんが特別公務員暴行陵虐罪共謀共同正犯の容疑で捕まったりスリアミと面会したり闇討ちされたり喫茶店で昔の恋愛を語ったりその格好新宿じゃ浮くぜと指摘されたり広島行きの飛行機に乗ったりしている頃、一方267日後に日本一になる千葉ロッテマリーンズは「優勝を頭の中にイメージして」(by福浦さん)春季キャンプをしていたわけである。なんというか、みんな頑張ってる。
2010年
史上初にして今のところ唯一、3位からクライマックスシリーズを勝ち抜き中日との日本シリーズも制したいわゆる「史上最大の下克上」の年である。この年を舞台とする「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!(以下OD3)」では室井さんは広島から帰還してあの円卓の末席に名を連ねる警察庁長官官房審議官になっている。見ようによってはある意味こっちも下克上しているのかもしれない。
この年の日本シリーズは7試合中3試合が延長戦(そのうちの第6戦は延長15回引き分け)で、日本一を決めた第7戦も8-7という僅差で勝利するなど2005年の圧勝とは対照的な内容だったのだが、OD3の室井さんの苦しみも容疑者での「逮捕」というドラマチックなものとは対照的に、真綿で首を締められるようなイヤな苦痛だった。
室井さんはこれまでとは違い最初から最後まで現場へ出られず彼の愛する現場の意思に反するような命令を下さなければならない。今までは悶々としていても最後はなんだかんだで室井さんがやりたいようにやってスカッと着地していたが、今回はずっと悶々としっぱなし。あまりのキツさに柳葉敏郎が「会議室のシーンの記憶がない」と言い出すくらいである。たぶんこの人は毎回室井さんをやるのはキツいと思っている(それでも劇場版皆勤賞なのですごい)が、その中でも特にキツかったのがOD3と言えよう。
ちょっとこの「じわじわ追いつめられる感じ」が似ていなくもないOD3と2010年日本シリーズ。タイムリミットまでに超法規的措置にサインしなければならないがそんな命令は下したくない……1勝したら向こうも1勝してくるし15回までやって引き分けた翌日も9回裏に同点に追いつかれてまた延長……じわじわ……。
しかしロッテは最終的に日本一になれてハッピーエンドだが、室井さんの悶々は別に解決しない。室井さんを置いていかないで、千葉ロッテマリーンズ。
番外編:1974年
ロッテはこの他にあと2回日本一になっているのだが、まあ初の日本一に輝いた1950年は生まれてないためノーカウントとして、1974年はどうだったのだろうか。当時室井さんは10歳。室井さんにも10歳だった時があるんだな。当然そんな時代のことは公式で描かれていないのでわからないが、室井さんの人生は違う意味で早熟なので、10歳で既にしんどいことを経験していても何らおかしくはない。20歳の若さで「恋人の死」を経験した男を舐めてはいけない。
1997年はどうなんだ
室井さんが一番苦しかったのって意外とテレビシリーズ(1997年)のあたりだったんじゃないか学派。まだ青島くんとの信頼関係もできてなくて、所轄のこともわかってなくて、直属の部下からは疎まれ、まさに孤立無援、針のむしろ。その後は捕まったり会議室に閉じ込められたりしているとはいえ青島くんとの関係は盤石だし、味方もたくさんできてるし、この時ほど深刻な状況ではなかったと思われる。
じゃあそんな一番つらかった年のロッテの成績はというと、6位である。…………あっこれはもしかして関係ねえな!? と思ったがここまでやってきて結論が「たぶん関係ない」では済まされないので、「室井さんが比較的安全な状態で苦しんだらロッテが日本一になる」ということにする。ついでに1950年に室井さんが生まれてもいないのに日本一になったのは「『ロッテ』という名前のチームにだけ関係することであって『毎日オリオンズ』とは関係ない」ということにしておく。
そんなわけなので室井さん、今年も苦しんでくれませんでしょうか……ロッテのために……ひどい私利私欲だ……。
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