甘子

2001 バラバラな中途半端な文を書きます noteが好きです

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世界の輝かしさについて

みんななんで生きているんだろう。どうやって生きることが出来ているんだろうと思う時がある。 理由は、私がいつでも死んでもいいと思っているからである。こう聞くと、すごくネガティブで何もこの世界に楽しみとかない人間であると思われてしまうかもしれない。 昔はそうだった。協調性がない、みんなと違う、心の底から違う意見を持ってしまっている。そんな自分が嫌いだった。敢えて人と違うことをしているつもりがなくてもそうなってしまう素直な自分が心地いいはずなのにひとりぼっちな気がして嫌だった。 し

    • 最近

      最近の私はどうだろう 最近ってどこまでを指すのか。 辞書によると「現在より少し前のある時」らしい。 なんだか曖昧だなとか思う。なぜなら、その定義でいくと調子いい時もあって悪い時ももちろんある。これが人生なのかとも近頃分かってきたような気がする。 完璧な人生なんてなくて、世の中・自分が定義した道徳心から離れてしまう行動をすることだってそれなりにある。 それをすべて受け止める(どこかで妥協する)こともそれなりに必要であるみたい。私は妥協することが苦手みたいだ。そこはわがまま

      • 最近はまた音楽を聴くのが楽しくなってきた^^

        • 昔は毎月発売される雑誌とか連ドラが楽しみで生きていた。今の楽しみは自分で選んで購入する本とかYouTubeに変わったのかな。

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        世界の輝かしさについて

        • 最近はまた音楽を聴くのが楽しくなってきた^^

        • 昔は毎月発売される雑誌とか連ドラが楽しみで生きていた。今の楽しみは自分で選んで購入する本とかYouTubeに変わったのかな。

          メモ

          3/28 昨日の夜頭痛と右耳が痛すぎた、バイトに行く気持ちがあったが今日頑張ったらきっとまたぶり返すと思い休んだ。散歩がてらコンビニへ行った。耳が聞こえずらく、人と話すのが怖くなった。吐き気もした。今日は少し食欲があったから美味しそうと目に入った蒙古タンメンを買って食べた。食べ終わったら気持ち悪くなった。

          わたしは何かをずっと間違えてて勘違いしている気がする。それがなにか気づくまで自分を待ってあげよう。それまでは辛いと思うけども、今の自分をそれはそれで受け入れたときに見つかるかもしれないから。

          わたしは何かをずっと間違えてて勘違いしている気がする。それがなにか気づくまで自分を待ってあげよう。それまでは辛いと思うけども、今の自分をそれはそれで受け入れたときに見つかるかもしれないから。

          写真フォルダなんか見なくても今は日常を愛している

          これまでは毎日写真を撮ることで日常を記録していた 毎日を生きることに必死だった。予定があるのかないのか予定を把握出来ないまま夜が明けて、気づいたら13時になっている時計を眺める朝(昼)から始まる毎日だった。 毎日なにをしているのか、なにもしてないのか分からなくなっていた。 そんな日常を覚えておくために、自分が生きた証を残しておくために、忘れないようにしたくて写真を撮っていた。 ここ数ヶ月はそんなことをしなくても私の中に充実した時間がしっかり記憶されている。 そんな中

          写真フォルダなんか見なくても今は日常を愛している

          家族がいる前でテレビで笑ったり、電車の前の人のメガネがめっちゃ曇ってることが面白く感じられるくらいまでにはきてるよ。大丈夫、笑えてるよ。

          家族がいる前でテレビで笑ったり、電車の前の人のメガネがめっちゃ曇ってることが面白く感じられるくらいまでにはきてるよ。大丈夫、笑えてるよ。

          雪の日とその次の日は下を向いて歩いてても大丈夫なのが嬉しい⛄️

          雪の日とその次の日は下を向いて歩いてても大丈夫なのが嬉しい⛄️

          「ただ悪い日だっただけ」という言葉も歌もあるけれど、それだけでは庇いきれないほど数年ずっと調子が悪い。 その中でも確かに笑ったり幸せを感じた日があったなあ、人生ってこうゆう感じなのかな。 22年間生きても自分のことも世の中も人生もまだ分からないよ。

          「ただ悪い日だっただけ」という言葉も歌もあるけれど、それだけでは庇いきれないほど数年ずっと調子が悪い。 その中でも確かに笑ったり幸せを感じた日があったなあ、人生ってこうゆう感じなのかな。 22年間生きても自分のことも世の中も人生もまだ分からないよ。

          22歳1ヶ月

          22歳になって1ヶ月が過ぎた。 最近の私の心は相も変わらず、ザワザワモヤモヤしている。そして、頭はガンガングアグアしている。 毎日いつこんな日々から抜け出せるのだろうと考えている。 私がなにかを成し遂げたらここから抜け出せるのだろうかと思い、「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本を買って様々な課題やミッションをやり始めるところだ。 それはさておき、私のモヤモヤは色んな方面に向いている。家族、友達、元恋人、自分の将来、友達とまで言えないような同級生が大体の悩み

          22歳1ヶ月

          君も今までの彼氏と一緒だったんだね また1から人と出逢ってきっとお互い恋みたいなことを繰り返していくんだね

          君も今までの彼氏と一緒だったんだね また1から人と出逢ってきっとお互い恋みたいなことを繰り返していくんだね

          豊かに暮らそうと自分に好きなものを与えて暮らしているだけなのに、なんでこんなにも不安と恐怖に襲われるのだろう。ただ穏やかに生きたいだけなのに。

          豊かに暮らそうと自分に好きなものを与えて暮らしているだけなのに、なんでこんなにも不安と恐怖に襲われるのだろう。ただ穏やかに生きたいだけなのに。

          私の心が傷つかないように

          1.ずっと心に穴が空いたまま日々が続いている。離れた友人、恋に発展しかけた人、やっと見つけた異性の友達。好きな人といることを選んで全て切ってしまった関係が、自分で選んだ選択なのに心の蟠りとなって今もある。この気持ちの正体を知りたくて、色んな本を読んだり動画を見たり、時には人と話したりもした。結局空いた穴の正体はずっと前からわかっていて、それをすぐに埋めることなてできなかった。ただ私の心は穴が空いているってことを自覚するとなぜだか少し落ち着いた。 2.他人に無関心なのはいいが

          私の心が傷つかないように

          なにか専門的に得意なものがある人は魅力的に見える。でもそれは人間性とは全く関係ない。なにかが優れていても人間性が優れているとは限らない。 それならば、私は自分が得意なもの・長けてるものがなくていいから心が豊かな人間になりたいと思う。

          なにか専門的に得意なものがある人は魅力的に見える。でもそれは人間性とは全く関係ない。なにかが優れていても人間性が優れているとは限らない。 それならば、私は自分が得意なもの・長けてるものがなくていいから心が豊かな人間になりたいと思う。

          暮らしをしよう

          最近私はずっと考えていたことがある。 私はどんなところで生活するのが向いていて、心が豊かになり余裕をもっていることができるのか。 ここ数ヶ月SNSをやめて人との関わりを意図的に減らしていた。自分がなにを望んでいて、どう生きていきたいのか、自分の心が分からなくなってしまったからである。 私は基本的になんでもいい人間である。それと同時に人に無関心なのだ。これを聞くと冷徹な人間に感じるかもしれないが、仲がいい人のことは心配になるし助けたいともちゃんと思う。たまにその咄嗟に出る

          暮らしをしよう