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【映画】ナイル殺人事件~原作が先か映画が先か #0013/1000

ナイル殺人事件

ナイル殺人事件」は、アガサ・クリスティのポアロ物が原作で、ケネス・ブラナー監督・主演、ケネス・ブラナーにとってはクリスティ2作品目の映画化。

クリスティの原作は昔々に読んだはずだが、なんと、全く記憶にのこっていない。

映画公開を知り、ケネス・ブラナーが映画化にあたり何をどう工夫したかを楽しみたくて、原作を再読してから映画を見た。

おすすめポイント

  • 映画という尺のなかで最大限に複雑に錯綜しつつ、きれいに解きほぐされる緻密なドラマ

  • 神秘的なエジプトの遺跡の数々の、至近から空中撮影されたような圧倒的な迫力の映像

  • ミステリを読み慣れない人も楽しめる、原作に比べ整理され濃縮された人間関係

  • ポアロの、名探偵としての姿プラス人として苦悩する姿が深い

好きなシーン・セリフ

  • 「ぼくらが幸せならそれで充分だ」

  • ナイル川の朝、昼、夜を、川のまわりの人々の暮らしとともに俯瞰して撮っているシーン

  • 第2の殺人のショッキングな発見のされかた

  • 「名探偵みなを集めてさてといい」の直前、ポアロが談話室に入るところ

  • 登場人物の存在感を全く損なわない、船の乗組員の黒子のような描かれ方

原作が先か映画が先か?私の意見

名探偵を「除外」しない映画

製作総指揮を担当したマシュー・プリチャードのコメント(出典はこちら

「私たちが本作を気に入っている理由は、アガサ・クリスティの真のプロット、真のストーリー、そして何よりも真の雰囲気がスクリーン上で再現されていることです。観客には素晴らしく現代的でとても映画的な作品だと感じてもらうだけでなく、アガサ・クリスティの世界を体験してもらうことが重要でした」

このコメントの通り、この映画には、「現代的で映画的な作品」という面が非常にしっかり織り込まれていると思う。

クリスティの物語には、ポアロにもミス・メープルにも、どこかカラリと乾いた超越性がある。

名探偵自身の内面を他の登場人物と同じように掘り下げるのは、数多くの作品のなかでもその必要がある一部のみ。

それ以外は、「名探偵」という超越性を守ってくれ、揺れ動く登場人物とは対照的に、物語の冒頭から最後までぶれずにいてくれる。

だから読者はどこか安心して、殺される対象からも容疑者の対象からも名探偵を除外することができると思うのだ。

だが、ケネス・ブラナーはこの映画で、ポアロの内面にも深く切り込んでいる。

作品冒頭が戦争シーンだったのは、原作既読の人は非常に意外だったと思う。

そこから最後のシーンのポアロは、確実に何か変わってしまったところがある。

そこが原作と映画との最大の違いだと思った。

原作と映画、どちらが先がいいか?

私にとっては、原作→映画という順番は正しかった。理由は2つある。

1.原作既読の人でも楽しめる映画作りがされている

「ナイル殺人事件」は著名な作品である。既読の人は非常に多い。

だから、ケネス・ブラナーは、それを踏まえた上で、原作の人も驚くような展開を用意している。私も驚いた。

製作総指揮のプリチャードのコメント「真のプロット」というのは、クリスティ原作そのままのプロットという意味ではなく、エッセンスをとったということなのだ。

だから、原作既読でも充分楽しめる。

2.原作の良さ、映画の良さがわかる

文字よりも映像のほうが、どうしてもインパクトは勝る。

「ナイル殺人事件」も、エジプトの遺跡やきらびやかな客船など、最初に映像を見てしまうと、そのイメージが強くなる。

その映像と文字とを引き比べるかたちで原作を読むと、原作オリジナルで描かれている雰囲気が弱くなってしまう気がする。

今回、「ナイル殺人事件」は、原作と映画で結果が大きく違っている登場人物がいる。

私は、原作のその登場人物とまわりの関係がとても好きだ。

原作のテーマのひとつに、物語の中核となる人物たちと、周囲の登場人物たちの対照も、原作のひとつのテーマ、魅力だと思っている。

だが、原作をあとから読むとその違いのほうに気が取られそうだ。

内容がより細かく、詳細に描かれている具体の原作を読んだあとで、それに解釈をくわえ、製作者の視点で抽象化した映画を見る。

自分には、その順番のほうが、両方の良さをしっかり味わうのに効果的なようだ。

皆様はどうだろうか。

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