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【本】『ジョブ型雇用社会とは何か』②~言葉の定義から疑おう! #0020/1000

『ジョブ型雇用社会とは何か』では、ジョブ型との比較により、ごく当たり前のことだと思っていたことが、そうではないことに気付かされていきます。

「同一労働同一賃金」の議論は「同一労働」の前提を確かめてから

値札が人につくのがメンバーシップ型、ジョブにつくのがジョブ型です。

よって、誰がそのジョブにつこうが、ついた人にはその値段通りの賃金が支払われ、人柄は関係ありません。

「同じジョブなのに、または同じ価値の労働なのに、値段が違うのはおかしい」というのが、今話題の「同一労働同一賃金」の問題点ということになります。

それを踏まえず、無意識に日本のメンバーシップ型前提で「同一労働同一賃金」を語る人も多いと著者はいいます。

そうですると論点がごちゃごちゃになり、問題を解決するための結論がなかなか出ないということになります。

議論の前に、何をもって「同一労働」というのか、お互いの認識をきちんと合わせる必要を感じました。

日本の年功賃金制は人に値札をつけたための客観的基準

日本の年齢とともに賃金が上昇する「年功賃金制」には、年上への敬いや、積み重ねた経験の価値への対価などという漠然としたイメージがあります。

ですが、著者は、ジョブではなくヒトに値札をつけるための客観的基準として、勤続年数や年齢が必要なのだ、といいます。

つまりは、「この人はできる」といっても、それを客観的に数値化することはできないので、やむを得ずそうせざるをえなかったということなのです。

ということは、日本型のメンバーシップ型から、その年功賃金制だけを切り離すということが非常に困難であることがわかります。

日本のメンバーシップ型の教育と採用の在り方はiPS細胞的

日本の採用は、「このジョブを遂行してもらうために、応募してきた人のなかから、一番スキルの高い人を選ぶ」というかたちで行われてはいません。

「新卒採用から定年退職までの数十年間同じ会社のメンバーとして過ごす仲間を選抜する」仕組みです。

一度入社した人は、iPS細胞のようにその会社の手になり足になることを求められます。

それゆえに、スキルよりも人柄、どこにいっても活躍できる抽象的な能力が重視されることになります。

よって、学生運動に従事していたことを隠して採用された新卒労働者が、試用期間満了後本採用を拒否された事案については、「信条を理由として雇入れを拒否することを違法でもなければ公序良俗違反でもない」という最高裁判決がくだされたりします(「三菱樹脂事件」最高裁判決)。

これは社会保険労務士の勉強をしている人なら、必ず学ぶ判例ですよね。

ですが、ジョブ型の目線でみれば、採用判断は「このジョブを遂行するスキルがあるから採用する」「スキルがないから採用しない」のみで行われる必要があるので、信条を持ち出すのはNGになります。

「日本はジョブ型にすべき」という声が大きいなか、ジョブ型にするにはこの採用の自由を捨てる覚悟が必要だということは、著者は「日本の中で一番理解されていないところではないか」と言っています。

おりしも今は4月、人事異動の時期です。

「これまで営業畑で経理は未経験ですが、なるべく早く戦力になれるようがんばります」といったような異動のあいさつをよく聞きますが、これはジョブ型ではありえない、ということなのです。

メンバーシップ型は大学教育のあり方にも影響していた

日本では、戦前から、賃金は「生活給」としての側面がありました。

戦時統制下、1939年の「賃金臨時措置令」で定期昇給以外の賃金引き上げが禁じられたそのかわりに、扶養家族ある労働者に対し臨時手当の支給を認めた閣議決定がされます。

その後、終戦直後に作られた古典的労働法は、実は、欧米諸国と共通のジョブ型モデルを基にしています。

そこで、この能力にもスキルにも関係のない家族手当も、GHQ労働諮問委員会と世界労連から批判の的となりました。

ですが、「日本の労働組合は断固として家族手当を守り抜い」たとのこと。

結果、家族の生活も、主たる労働者により保障される生活給としての流れは残り、結果、それによって、子息の大学費用も親の負担となりました。

日本の大学教育が「ジョブ型で必要なスキルをつける」という職業教育訓練から大きく離れているのは、「その費用が親の年功賃金でまかなわれていたから」だと著者はいいます。

よって、ジョブ型であれば当然の、「大学生が卒業後多種多様な職業に就き、社会に貢献することになるがゆえに、その費用も社会成員みんなが公的に賄うべき」という発想もひろがらなかったということです。

日本の雇用形態をジョブ型にするには、そもそもそのジョブにつくためのスキルを身につける場所が必要となり、学校教育も大きく変わらざるをえないのです。

最後に

この本を読むと、日本の「メンバーシップ型」が単に働き方の問題だけではないということがわかります。

「メンバーシップ型」は、上に述べた大学教育や、労働組合の在り方(日本はメンバーシップ型ゆえに企業別だが、ジョブ型ならばもちろん職業別となる)から、国の予算の割り振り方まで、深々と根をおろしているのです。

一部を切り取って変えればいい、というものではなく、全体がゆるゆると変わっていなかければいけないことがわかります。

また、日本の労働法はジョブ型に基づいているということを私は初めて知りました。

ジョブ型に基づいた労働法と、それと真逆の日本の雇用システムとの差を「最高裁判例が埋めている」ということも、この本で学びました。

だから、社会保険労務士の試験対策で最高裁判例を学ぶことは、運用上非常に重要なのだと腑に落ちたのです。

これからの日本の働き方を考えるには、「ジョブ型が新しい」「メンバーシップ型は古い」ということから離れ、前提から確認して、何か課題でどうすれば解決できるかを考える必要がありそうです。

また、日本のあらゆる制度にメンバーシップ型が根付いていることも認識し、それへの対応も必要となります。

新しい世の中の動きが見え始めたときに、新しいものに引きずられずどう対応していくか。

そういう大きなスケールの問題についても、考えさせてくれる本です。

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