見出し画像

円周率は多様性だよねって話

現実世界の私たちは、少数派の中の多数派(所謂、特定の名称が付くマイノリティ)の苦しみは、理解しようとする風潮がある。この風潮そのものに、差別意識を感じる。

多様性の尊重が謳われる世の中になった。だが本質は何も変わっていない。変えることなどできない。
殆どの人間は自分が多数派でいることに安心感を覚えるらしい。無意識に多数派の中に居場所を求め、自分が多数派だと確かめ安堵する。マジョリティに属することに意義を感じる世の中は、そう簡単には変わらない。

ある特定の分野でマイノリティに属して苦しむ人は、世間の常識が変わってほしいなんて思わない。誰にも受け入れられないってわかっているから。
その前に、多数派が受け入れる側だということもおかしい。
少数派は、存在すら気づかれない。

抑々、ある特定の分野と範囲において、より優位な集団に属する場合を多数派と言っている。つまりは、分野や範囲を変えることで多数派は少数派になりうるという事。少数派要素を持つことは多数派であり、常に多数派でいる人は、少数派である。
また、多様性を取り上げる小説は多く、現実世界の少数派は、小説界隈の多数派。
結局、どちらか一方にのみ分類される人はいないのだろう。




最近、小学生の授業で円周率を用いた計算が出てきた。

私が円周率を初めて知った小学5年生の頃の記憶が蘇る。


当時の私は疑問を抱いていた。
『どうして円周率は3.14なんだろう?』と。
疑問を解決しすべく、円周率が約3.14だと確かめられるある小さな検証をした。

3.14という数字の重さに感動し、体内が3.14で埋め尽くされる不思議な感覚を味わった。意味のない数字を覚えるのが好きで、円周率の虜になった私は、50桁ほどは覚えたような。


そんな当時の感情に浸ろうとする矢先、同期のバイト仲間がこう言った。

「円周率って、多様性に似てるくない?」

すぐには理解できず、何故そう思うのかを詳しく聞いた。
彼の理論を自分なりに消化したくて、noteに書こうと思いました。




円周率が多様性? 彼の理論

円周率は無理数であるため、3.1415926535897……と循環しない無限小数である。
小学校では円周率を3.14として計算する。それはまあ、学習指導要領で規定されているからだろう。
大多数の小学生が、3.14を用いる。よって3.14で計算をする人は多数派であると言える。

多くの人が円周率=3.14という既成概念にとらわれている。そんな状況の中Aさんは、『3.142の方が正確だ』と考え、3.142を用いて計算する。Aさんの友達2人も3.142を用いることにした。

一方で、『3.14以降の数字も存在するのに使われないなんてかわいそう』と思ったBさんは、3.141592653を用いて計算する。


円周率を3.14以外で計算する少数派がいると知った多数派の子たちは、自分たちの固定観念を押し付け、少数派をいじめる。
少数派の子たちは、自ら正しいと思った方を選んだだけなのに、多数派に属していないという理由でつらい思いをする。
少数派は、ただ自分の道を歩むだけでも(基本計算をするだけでも)苦しいのに、さらに周りの子達にも受け入れられず、一層苦しむことになる。

色々な人がいても良い。3.14で計算する人、3で楽をする人、3.1415で正確に求めたい人、πを用いる人。
そして、多数派に属する人は、多数派になれず苦しむ人がいるってことを頭に入れておかなければならない。




文章化してみて

 彼の話、理解はできたが、納得はできなかった。というか、想像しづらくてわかりにくいというのが正直な感想。多様性を円周率で例える行為自体、軽侮するようでよろしくない。



Aさんは、少数派の中の多数派。Aさんの苦しみは同じ少数派仲間同士で解消できる。
Bさんはどうだろうか。他人に相談しても、『普通に考えて有り得ない』と多数派の常識を基準に判断、排除される。"普通"とは大多数の意見なだけで、正しさを意味するものでは無いのに。


深く考えようとするほど、考えが浅いことに気付かされる。


私自身も、少数派の中の多数派。
この種のトピックは、全て想像でしか考えることができない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?